6 予期せぬ訪問者 【6-3】

【6-3】

「ありがとうございます」

「いえ……」


僕はその間に、ガラス部分を丁寧に拭くことにした。

単に水拭きしてしまうと、跡が残ってしまう。

せっかくのオフに気持ちよく出かけようとしている人なのだ。

気分が少しでも晴れますように。


「整備士さん」

「……はい」

「整備士さんは、普段どんな音楽をお聞きになるの?」

「僕ですか?」

「えぇ……」


なぜ、僕に質問をするのだろう。

周りには奥さんもいるし、赤石さんもいる。


「そうですね」


普段はバイクで移動することが多く、

あまり、音楽と一緒にどこかへ行くという習慣はない。


「特にこだわりはないのですが、親の影響で、洋楽を聴くことの方が多い気がします」

「洋楽? そう、ご両親の影響なの?」

「あ……はい」


それも、今現在ヒットしているものよりも、ひと、いや、ふた昔前の洋楽。


「亡くなった母が、よくカーステレオで洋楽を聴いていたものですから。
子供の頃は、意味のわからない歌が流れているのが普通でした」

「……そう」


窓を拭き終えて、運転席のドアノブも拭く。

何度も触れる場所だから、意外に汚れるものだ。


「どうぞ」

「ありがとう。ねぇ、これ……ぜひ、いらしてくださらない?」


『TEA』さんが差し出してくれたのは、

『スレイド』という店で行われる、会員限定のコンサート招待券だった。


「昔からよく流れている洋楽を、選んで歌うつもりなの。
私のファンの方は、年齢がだいぶ上がってきているから」


紹介されている曲の中に、確かに母がよく聴いていたものも含まれていた。

生演奏と歌など、今まで経験したことはない。


「大きな店ではないのよ。オーナーと昔から縁があって。
こちらに戻ってきたら、ぜひというお約束をしてあった店なの。
2枚ありますから、整備士さんがご一緒したい方と、ぜひ……」

「あ、いえ、僕は……」

「普段、聞きなれている音楽とは違うかもしれませんが、
若いファンを増やすと思って、ぜひ、協力してくださいな」


『TEA』さんの誘い方は、強引ではなく、それでいて導くような積極性があった。

僕は、断るタイミングも、チケットを戻すタイミングも損ねてしまう。

『TEA』さんは、もう一度僕に頭を下げてくれた後、静かに走り出し、

街の中へ消えていった。





「あの人、完全に俺を無視していたな」


横から現れたのは、最初に『TEA』さんの車を誘導した赤石さんだった。


「無視だなんて、そんなことはないでしょう」

「いや、そんなことは大いにありだ。車を誘導したのは俺なんだぞ。
それなのに、そばにもいなかった歩に声をかけて、修理を頼むなんて、
お前は熟女キラーなんだな」


赤石さんは、そう言いながら、僕のわき腹を何度もつついてくる。

向こうが声をかけてくれたのに、僕にあれこれ言われても困る。


「困ったな、こんなことになって……」


手の中にあるチケット。

僕は店の名前も、場所も、よくわからない。


「『スレイド』だろ。あの人の言うとおり、あまり大きな店じゃないよ。
でも、プロを目指す人たちが、度胸試しをする店として有名なんだよな。
今、活躍している人たちも、結構昔、舞台に上がっていたって聞いたことがある」

「赤石さん、お店、知っているのですか。だったらこれ……」

「いらないよ。俺によこしたわけではないだろう。
確か、何かのドラマでロケ場所になっていたはずだぞ、ネットでも引いてみろ」


ネットかぁ……

家にはPCがない。


「歌うご本人がお前を招待したのだから、お前がいかないとおかしいって」


社長夫妻にもチケットを譲ろうとしたが、同じ理由で、拒絶されてしまう。


「『スレイド』ってさ、結構有名な外国タレントも、お忍びで行ったりするんだよね」


ワイドショー仕込みの奥さんは、そういった豆情報まで披露してくれた。


「こんなものをもらっても……」


『スレイド』で、軽い食事とアルコールがついたコンサート。

いったい、いくらするのだろう。

こんな気をつかわせてしまうのなら、修理代金をもらっておけばよかった。


「あ、そうだ、ねぇ、遥ちゃんにパートナーを頼みなさいよ」

「おぉ、そうだ、そうだ。うちの仕事で色々とお願いしてしまったし、
それをお礼にしろ」

「お礼?」


確かに、椎名さんなら、こんなコンサートを聴くという経験もあるかもしれない。


「今、電話してあげようか、歩」

「今? いや、仕事中でしょう」

「おぉ、してやれ、してやれ」


こちらの意見など、まるっきり聞く間もなく、

奥さんは知っている椎名さんの携帯番号を回しだした。



【6-4】

歩の日常に、飛び込んできた訪問者。
穏やかだった毎日に、小さな流れが起こり、そして小さな渦を作り始める。
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