6 予期せぬ訪問者 【6-4】

【6-4】

社長夫妻は、入ってこられることにウエルカムな人たちだけれど、

入っていくことにも抵抗がない。

商売人としての積み重ねが、身についているのだろう。

『時を逃す』ことを、何よりも嫌う人たちだ。


「あ、遥ちゃん? どうも、こんにちは。ごめんなさいね、お仕事中でしょ?」


時計を見ると、午後3時近かった。

だから仕事中だと言ったのに。


「あのね……」


奥さんは僕の方へ合図を出してくる。チケットを指差しているので、

1枚手渡した。


「ごめんね、あのね、7月の最終土曜日の夜なの。うん……」


奥さんは、今日偶然ジャズシンガーの『TEA』さんが車の修理に来て、

代金をもらわない代わりに、

僕に対して会員制のコンサートチケットを置いていったのだと、丁寧に説明し始めた。


「そう、そうなのよ。『スレイド』でのコンサートなの。うん、あ、知っている?
そう、さすがね」


やはり、椎名さんはお店を知っていた。


「それでね……歩がこういったところに顔を出したことがないからって、
二の足を踏んでいて。だから、パートナーとして参加してあげてくれない?」


『TEA』さんの本名は、公表されていない。

それでも、チケットの端に書いてある演奏曲のリストが、

亡くなった母を思い出させてくれた。

CDからでもなく、ラジオからでもない生の歌声で聴くと、

どんな感覚が生まれるのか、確かに体験してみたくもなる。


「歩、歩!」

「はい」

「遥ちゃん、来てくれるって」

「あ……はい」


偶然と偶然がどんどん重なり、僕と椎名さんは一緒に、

『TEA』さんのコンサートへ行くことが決まった。





「悪いね、巻き込んで」

「いえいえ、電話をいただいてとてもラッキーです。
会員制のコンサートだったら、人も少ないでしょうし、近くで聴けますし」


椎名さんは、早速その日の夜、仕事を終えた足で、チケットを受け取りに来てくれた。

成り行きでそうなったけれど、彼女が嬉しそうにしているので、

これでよかったのだと思えてくる。


「それにしても、偶然ってすごいですね」

「うん……」

「『パール』が後藤さんに拾ってもらえたのも、それを私が譲り受けたのも、
みんな偶然ですけれど、でも……」


……でも


「その偶然は起こるべきだったのだと、思いたくなります……」


偶然が起こるべきだったこととは、どういう意味だろう。

導かれていたことだと、そういうことだろうか。


「これからも、こんな嬉しい偶然、たくさんあるといいのだけれど……」


椎名さんはそういうと、『パール』の最新写真を見せてくれた。

泣き虫だった子犬は、すっかり家に慣れ、お気に入りの場所でいつも眠るという。


「私、『パール』にいつも話しかけるんですよ」

「『パール』に?」

「はい。だから、『パール』は私の全てを知っています」


椎名さんはそう言うと、楽しそうに笑い出した。

話せない犬に語りつくしているとは、なんだか想像すると、おかしくなる。


「あ……」

「ごめん」

「また私の意見を笑ってますね」

「笑えますよ。だって、話し相手にならないでしょう。
あいつ、何も言わないし」


漫画に出てくる犬なら、笑うし、飼い主にゴマも擦るけれど。


「失礼ですね、後藤さん。話し相手になりますよ。『パール』は辛い話をすると、
私を励ますように鼻を寄せてくれますし、楽しい話をすると、
尻尾をたくさん振ります」

「へぇ……」

「はい」


チケットを渡すだけだったはずなのに、気付くと工場の隅で、

30分以上も話していた。気をつかっていた奥さんが、電気を消してもいいかと、

遠慮がちに尋ねてくる。


「あ、すみませんでした。私、長居をしてしまって」

「いえいえ、ごめんね、遥ちゃん。追い出すみたいで」

「いいえ……」


僕は軽自動車に乗り、工場を出て行く彼女を送り出し、

自分のチケットを、リュックの中に押し込んだ。


「ねぇ、歩」

「はい」

「遥ちゃん、いい子よね」

「……そうですね」

「あのさ……」

「はい」


奥さんは、いつも見せないような真剣な表情で、僕を見ていた。

何か重要な話でもあるのかと、動きを止める。


「あ、うん、いいや、ごめん。お疲れ様」

「はい」


工場の電気がそこで消え、色々とあった一日が、終わりを告げた。





7月の最終土曜日。

そう、椎名さんと約束をしたコンサート当日がやってきた。

軽い食事とお酒がついているため、会うのは夕方過ぎになる。

仕事は休みだったが、僕はPCに来ている問い合わせが気になり、

バイクに乗って、工場へ向かおうと家を出る。

アパートの敷地前に、誰のものかすぐにわかる車が置いてあった。

僕が玄関から出たのを知ったのだろう。あわせたように扉が開く。


「拓……」


拓が何を言いたいのか、どういうことを求めに来たのか、

それはすぐにわかった。



【6-5】

歩の日常に、飛び込んできた訪問者。
穏やかだった毎日に、小さな流れが起こり、そして小さな渦を作り始める。
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