8 偶然の終わり 【8-1】

8 偶然の終わり


【8-1】

『偶然』手に入れた、『TEA』さんのチケット。

彼女の迫力ある歌声と演奏は、僕の中で沈んでいた両親の記憶を、

鮮明に思い起こさせた。

後悔もあったが、それよりもむしろ、優しかった親に育ててもらったという、

心地よい記憶がどんどんとあふれてきて……


僕は、椎名さんに自分の思うことを、思うままに話し続けてしまった。


「椎名さん」

「後藤さん、もういいです。ごめんなさい。もう何も話さなくていいです」


椎名さんは、辛い話を聞いているのが耐えられなかったのか、

自分が聞いてきたはずなのに、立ち止まったまま首を振っている。


「大丈夫ですよ、僕は……」


そう、話している僕の方は、内容ほど辛くなかった。

むしろ、受け止めてもらっている意識が強くて、どこか喜びに近いものさえ、

感じている気がする。


「椎名さん、こちらこそごめんなさい、辛い話を聞かせてしまって……」


そう、聞かせてしまったという気持ちの方が強かった。

椎名さんは立ち止まったままで、下を向き耐えている。

こんなつもりではなかったのに。

僕は、数歩進むと、自然に耐えている彼女の方へ手が向かってしまった。

ただ謝っているだけでは、わかってもらえない気がして。




語らせてしまったのではなくて、僕自身が語りたかったのだと、

そう彼女に伝えたくて……




『TEA』さんの優しい歌声と、抱き寄せた椎名さんの体温が、

僕の奥底にあった思いを、もう一度揺り動かしてくれた。





『もう……いいです。ごめんなさい。もう何も話さなくていいです』


演奏終了後、あらためて食事をしようかと思っていたのに、

僕の話が重かったのだろう。彼女はそのまま帰ることを選択してしまい、

駅で別れることになってしまった。

僕の手には、今日の思い出として残る『スレイド』のワイン。

ラベルには、大き目のマイクに向かって熱唱する、歌手らしきイラストがついている。



口から出て行ってしまった過去の話を、戻すわけにはいかない。


「はぁ……」


どうして、あんなに細かく語ってしまったのだろう。

社長や奥さんにさえ、愚痴に近い言葉で、過去を語ったことなどなかったのに。

僕は袋の中にあるボトルを掴む。

それほどアルコール度が高いわけではないし、わけがわからなくなるような、

酔い方をしていたとも思えない。

到着駅まで、あと10分程度ある。

僕は、椎名さんのアドレスを呼び出し、『今日のお礼』をメールにした。





アパートに戻り、空気を入れ替えたくて、部屋の窓を開ける。

畳に座り、サッシの横にワインボトルを置くと、赤の色があの時とは別の色に見えた。

目を閉じ、耳だけをすませると、ピアノの音が、どこかから聴こえる気がする。


「ん?」


メールの印に、携帯を開くと、相手は椎名さんからだった。

僕はすぐに内容を確認する。


『今日はありがとうございました。とても楽しかったです。
もう少し、お話をさせてもらうつもりだったのに、取り乱してごめんなさい』


彼女は、取り乱してなどいない。

僕の話を真剣に受け止めてくれたから、辛さが身にしみてしまったのだろう。


『会社の友人に、今日のことをメールしたら、『TEA』さんのCDを持っていると、
言っていました。ぜひ、借りてみようと思います。後藤さんも聴いてみませんか?』


別れたときよりも、少し明るい雰囲気に戻っていたことが嬉しくて、

僕はすぐに『ぜひ聴かせてもらいます』と返信をする。


『それならば、また、仕事の帰りに寄らせてもらいます』


今日という記憶が、悲しい話に覆われてしまわずに、僕はほっとする。

あらためてワインボトルを手に持ち、赤の色を確かめようと、

月明かりの前に、出してみた。





次の日、工場に出社すると、昨日出かけたことを知っている奥さんから、

すぐに質問をぶつけられた。僕に音楽の知識があれば、より細かく語れるのだろうが、

そのセンスはない。


「とにかくすばらしかったです。すみません、こんな言い方しか出来ませんが、
始めて生の演奏で歌を聴いて、こう……なんだろう、神経がピリピリするというか……」

「神経?」

「あ、はい……うーん……」

「あはは、いいわよ、歩。なんとなくは伝わる」

「すみません」

「謝ることじゃないのよ。『TEA』さんは歩にチケットをくれたのだから。
よかったと思ったのなら、それで……」


あらためて、自分のボキャブラリーのなさに、落ち込みそうになる。


「そうです。椎名さんが調べてくれたのですが、あの『スレイド』というお店は、
音楽で頑張ろうとする人たちの、憧れの修行の場だそうですね」

「修行の場、へぇ……そうなの」

「はい」


社長はいつものように新聞を広げ、老眼鏡をつけ文字を追っている。

途中で指が止まり、メガネを上にした。


「目の前で客の反応が見えるし、あの舞台から、
どんどん巣立って大きくなった先輩方がいるので、
みなさん自分も立ってみたいと思うそうですよ」

「小さなライブ会場で、『TEA』の曲かぁ、聴いてみたかったわ」

「すみません、僕が行ってしまって」

「やだ、また、そういう意味じゃないのよ、歩」


社長は、何か気になる記事があったのか、1枚だけ新聞を抜き出すと、

何やら真剣に読み始めた。



【8-2】

『偶然』という時間を断ち切るとき、
奥に沈めたはずの思いだけが、互いに湧き上がる。
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