8 偶然の終わり 【8-5】

【8-5】

『子供の頃の話』



両親が亡くなったのは、僕が中学2年。


「男だからなのかな、そういうことに興味を持ったこともなくて、
両親が亡くなったのが中学2年でしたから、当時も子供ですし」

「あ、そうだよね、うん」


奥さんは広げていた書類をまとめ、

取引先からいただいた『シャーベット』が、冷凍庫に冷やしてあるのだと言う。


「僕には、何か……」

「ううん、違うのよ。ほら、うちは晴美が嫁に行く前に、
なんとなくそういう子供の頃の話とか、話してやったからさ。ふと思っただけなの。
ごめん、ごめん、考えさせちゃったね」


聞かなければならないようなことが、あるのだろうか。


「いえ、いいですけど」


母とじっくり語り合うようなこともないまま、別れを迎えてしまった。

『子供の頃の思い出』。確かに、自分が覚えていない頃の話など、

今なら聞いてみたい気もする。

人並みに流行病も経験しただろうし、言葉を覚えた時、何を一番に話したのか、

アルバムに残されている写真が、どんな場所で撮られたのか、

そんなたわいのない話が、してみたかった。



いつまでも時間はあるものだと、疑っていなかったから。



「あの、奥さんが僕を知っているのは、いくつからですか」

「……ん?」

「幼稚園くらいですか?」


母と奥さんが知り合ったのは、病院だと聞いている。

僕の一番古そうな記憶も、この工場だ。

ミニカーを数台持ち込んで、大きな車がジョッキで上がるのをはしゃいで見ていた。


「うん、もう少し前だったかな。景子が歩を連れてくると、
工場は危ないって言っても、まぁ、外に出たがっていた」

「そうですか」


ふわりとしか残っていない記憶。

僕は父によくミニカーを買ってもらった。

その中の数台は、今でも部屋のオブジェとして置いてある。

思いがけない話を、もう少し膨らませてくれるかと思っていたが、

奥さんは、そこで言葉を止めると、視線だけが下を向く。


「あの……」

「ごめん。景子の話をしたのは自分なのにね。もう、辞めようね」


奥さんはそのまま事務所を出ると、買い物に行くと社長に向かって声を出す。

自転車に乗った姿が見えなくなるまで、ほんの数分の出来事だった。





『歩は、景子から子供の頃の話とか、あと……生まれたときの話とか、
そういうことを聞いたことはないの?』



仕事を終えてバイクに乗りながらも、何度かこのことを考えた。

祖母は、僕の小さい頃のことを、覚えているだろうか。


「ただいま」

「あぁ、お帰り」


台所のテーブル上には、おそらく『憩いの和』で作ったであろう、

包装紙箱が置いてあった。


「何、今日はこれを作ったの?」

「そうだよ。ちらしを使っているから、材料費もかからないし、
どうせゴミになるものだけれど、こうして捨てることが出来たら、楽だよね」

「まぁ、確かに」


僕の手のひらに乗るくらいのサイズだが、便利そうには見えた。

こういうものも、今流行の『エコ』と言えるのだろうか。

僕は、どういう作りなのか、色々と角度を変えて眺めてみる。


「なぁ、ばあちゃん」

「何だね」

「僕が小さい頃の話、何か覚えてる?」

「どうしたんだね、そんなこと急に」


確かに急なことかもしれない。


「いや、今日さ、奥さんが母さんから小さい頃の話とか、
聞いた記憶があるかって、尋ねてきたからさ」


歩はこうだった、あぁだったと、すぐに戻るように思っていた祖母の台詞は、

何かをまとめているのか、思い返すまでに時間がかかるのか、なかなか戻らない。


「ばあちゃん……」

「歩は、普通の子だったよ」

「普通?」

「そう……普通。ほら、お皿を並べてくれるかい」

「うん……」


『普通』という言葉が、特に何も語ることがないと言われているようで、

少し拍子抜けをした気分だった。





季節は8月に突入し、ますます作業のしにくい気温になった。

工場の中で大きな扇風機を回すものの、汗が目に入りそうになる。


「あぁ、もう」


赤石さんの嘆きが聞こえ、少し遅れて栗丘さんから終了の声がかかる。


「みんな、ほら、冷たいの飲んでね。熱中症になっちゃうから」

「はい」


この季節になると、祖母は昼食を握り飯に変えてくれる。

食欲がなくなりがちでも、なんとなく食べやすいからだろう。


「地球は、もうやばいところまで来ている気がするんですよね、俺」

「ほぉ……」

「この暑さは、人間の住む環境とは言えない気がします」


赤石さんは、奥さんがゆでてくれたそうめんをすすりながら、そう真面目に語る。


「湿気がな、これがなければもう少し過ごしやすいのだろうけれど、
べたつく感じが、確かにきついよな」


栗丘さんも、そうめんと奥さん手作りの弁当を食べながら、

この暑さについて、語っていく。


「あれ?」


奥さんの視線の先に、黒塗りの高級車が見え、従業員が一斉に立ち上がった。



【8-6】

『偶然』という時間を断ち切るとき、
奥に沈めたはずの思いだけが、互いに湧き上がる。
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