9 別の世界 【9-1】

9 別の世界


【9-1】

「美味い、美味すぎる」

「本当に、美味しいわね。さすが『MITUMA』よ」

「ですよね、あぁ……冷たさに頭がキンキンするけれど、
そんなことどうでもいいくらい美味い」

「わかったから、意味なく立ち上がるな俊祐」


伯父が持ってきてくれた『MITUMAのジェラート』は、当たり前のように高級で、

暑さに愚痴ってばかりだった僕達の頭を、

キリッと目覚めさせてくれるには十分の味だった。

数を数えて、3日はそれぞれが楽しめると赤石さんが笑う。


「ねぇ、話ってなんだったの? すぐに終わってしまったけれど、
ようするにこの暑い中、歩の様子を見に来てくれたってこと? 哲治さんが」

「いや……釘をさしにきたのでしょう」

「釘?」

「はい」

「誰によ、歩に?」

「はい」


誰だって、自分の子供がかわいいのは当たり前だ。

伯父は、何も知らないような顔をしていたけれど、

本当は拓から状況を聞いているのかもしれない。

コンサートの日からすぐに、伯父が姿を見せたという事実は、

『森中家』が、本当に椎名さんとの将来を考えているという現実を、

僕に突きつけた。





その日は何ごともなく終わり、そしてまた次の日になった。

『TEA』さんのコンサートから、明日でちょうど1週間になる。

金曜日の午後は、週末で出かける予定の人が調子を見て欲しいと車を持ち込むこともあり、

どちらかといえば忙しいのだが、今日はさらに急ぎの直しが入り、工場内は慌しかった。


「よし、完了」

「こっちも終わりました」

「確認、お願いします」


寝板を動かしながら車の下から出て行くと、事務所から笑い声が聞こえてきた。

その声の主が誰なのか、僕にはすぐにわかる。

作業着についたかもしれない汚れを少しでも落とそうと、手で払い、

僕はその場で立ち上がる。事務所の中にいる椎名さんは、

何がおかしいのか両手を叩いて笑っていた。

僕は別の工具をいくつか選び、また車の下に入る。



『偶然』



思いがけずに起こることだから、偶然なのだ。

これ以上、積み重ねていくと、それは偶然という言葉だけではごまかせなくなる。


「歩、歩ってば、ちょっと出てきて」


奥さんの声が聞こえたので、寝板を動かしまた外に出ると、

横には椎名さんが立っていた。





『車検』を終了した車を、取りにくるという連絡が入ったので、

僕は窓ガラスを拭きながら、彼女を事務所から離した場所に誘った。

手垢や水垢が残らないように、上から丁寧に拭いていく。


「私にも出来るのなら、手伝いましょうか」

「いえ、大丈夫です。綺麗なようでも埃がついていますから、
洋服が汚れます」

「……でも」


作業をしながらでは、あまりにも失礼だろう。

僕は区切りのいい場所で作業を中断し帽子を取ると、椎名さんに頭を下げた。

彼女は何が起きたのかわからないという表情で、僕を見ている。


「どうしてそんなことをするのですか」

「この間は、すみませんでした。
『TEA』さんの歌と演奏に、色々と亡くなった親のことを思い出してしまって、
気持ちが乱れていたのだと思います」


聞いても気分などよくならない話を、僕は思うように語ってしまった。

あの日の辛そうな彼女の顔は、今でもすぐに思い出せる。


「……後藤さん。あれは、私の方が取り乱して」

「いえ、椎名さんが、優しいことに甘えて、余計なことを話し続けました。
逃げられない場所に追い込んでしまったような気がして、申し訳なかったなと」


心が乱れていたのは僕の方。

だから、震えているあなたの背中に手を動かしてしまった。

その涙と優しさを、自分に受け入れてしまった。


「この間のことは、そんな状態だった心のせいです。ただ、それだけですから」


あなたと僕は、これ以上『偶然』を重ねているわけにはいかないと、

そうハッキリ言わなければいけないのに、どう伝えたらいいのかがわからない。

僕の言葉は中途半端に止まったけれど、椎名さんは何も言わないまま、

明るかった表情を、暗いものに変えていく。


「誘ったりして、すみませんでした」


そう、僕達は特別な関係ではないのだから、

会わなければ、それで動き出そうとする思いも止まるはず。


「拓ちゃん……ですか?」


椎名さんの口から、拓の名前が出ると思わなかった。

あいつは、彼女にも何かを言ったのだろうか。


「拓ちゃんが、後藤さんに何かを言ったのですか?」

「いえ、拓は何も」

「それなら……それならば、誰かが何かを言ったのですか?」


誰かが何かを言ったのか……

僕には、どう答えることも出来ない。


「この間、お話した『TEA』さんのアルバムを借りてきました。
先に聴かせてもらいましたけれど、コンサートでも弾いてくれた曲もあって、
あの日のことを思い出せます。後藤さんも、聴いてみたいとそう、言われましたよね」


椎名さんは、そういうと、『TEA』さんのCDを目の前に差し出した。

僕の手の中には汚れたタオルがある。

彼女が差し出してくれたCDを、そのままつかむ気持ちにはなれない。


「いえ……もう、いいです」

「後藤さん」

「あの時は、聴こうかと思いましたけど、今は……」


『TEA』さんの曲も、もう、聴かないほうがいい。

亡くなった親のことだけでなく、彼女のことも思い出すだろう。


「すみません、わざわざ持ってきていただいたのに」


これを聴いてしまうときっと、また、あなたと話したくなるから。

あなたと、『偶然』を越えた場所へ、向かおうと思うから……



【9-2】

立ち止まろうとするもの、乗り越えようとするもの
それぞれの心の中で、消えずに残る思いの灯
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