9 別の世界 【9-3】

【9-3】

ジリジリと太陽がまぶしい8月の半ば。

仕事が休みの日に起きてみると、いつもなら洗濯を始めている祖母が、

まだ布団の中だった。


「ばあちゃん」

「あ……ごめんね、歩。なんだかちょっと頭が痛くて」

「いいよ、そんなこと。僕が洗濯機を回すから寝ているといい」


洗濯機に洗剤を入れ、ボタンを押すと、ガタンがタンと音をさせながら回りだした。

僕は冷蔵庫を開け、簡単に食べられるハムやチーズを取り出し、

食パンの上に置く。


「いただきます」


何気なく横に置いた携帯を開いたとき、ふと思い出すことがあった。


「あ……」


もう、何日も前に、確かちふみからメールが届いた。

こちらの状況を気にしていて、メールが送れるのなら送ってくれと、

確かそんな内容だったはず。

仕事のメールや、業者からのお知らせメールなどに押され、

ちふみのメールは、『未読』のまま、すっかり奥へ下がっていた。


「そうだった、まずいな……」


メールを無視するほどの状況ではないのだから、挨拶だけでもしておけばよかった。

日付を確認すると、すでに10日経っている。

僕は、自分が読んでいて、あとから返信するつもりになっていたのに、

つい忘れてしまっていたことを、素直に謝った。

『TEA』さんのコンサートがあり、椎名さんとの出来事があり、

予想外のことがあったことは間違いない。

しばらくすると、洗濯機の動きが止まり、終了を告げる電子音が鳴った。

それとほぼ同時くらいに、ちふみからメールが届く。



『歩らしいと思うけど、ちょっと時間が経ちすぎ。
謝罪の代わりに、夕食おごって』



怒っていますという絵文字を組み合わせた、ちふみらしいメールが届き、

僕らは2年ぶりくらいに、会うことになった。





「元気そうね、歩」

「あぁ……ちふみも」


待ち合わせたのは、昔よく通った店の前だったが、

実際に訪れてみると、すでにその店はなく、

そこから少し歩いた小さな洋食店に二人で入った。

ここにも何度か来たこともあったが、内装はあの頃と変わっている。


「ショックだわ、たった2年なのに。あの店無くなったのね」

「そうだね。僕も、しばらくこっちには来ていなかったから、
閉店したことは知らなかったよ」


僕が仕事をしながら、通った大学の道。

その商店街の中にある喫茶店で、ちふみはウエイトレスとして働いていた。

授業に出る前に腹ごしらえをしたのがその店で、

僕達は、同じくらいの年齢だということもあり、すぐに話が弾んだ。

一度会ってみると、また会ってみたくなり、僕らが付き合いだすのは、

自然の流れだった。


「いつ、戻ってきたの」

「5月くらいかな」

「そう……」


4年間付き合いながら、互いに将来を見据えて歩いているつもりだったが、

結局、そういう結末にはならなかった。

その人がまた目の前に現れているのに、僕の心は冷静の状態を保っている。


「すぐには歩に連絡を取れなかったの。
両親の反対にあって、それを乗り越えられずに、別れてしまって。
田舎に戻って、仕事も見つけたのに、長続きしなかった」


ちふみは、故郷の滋賀県に戻り、土産物の店員として働き始めたという。


「『東京から来ました』なんていうお客様がいると、どこですか? って、
聞いてしまったり……。バカでしょ、東京の全てを知っているわけではないから、
知らない町の名前を言われて、逆に話が続かなくなったりして……」


ちふみは、食後に出してもらったアイスコーヒーのストローを回しながら、

過ぎてしまった日々を思い返しているように見えた。

恋人のままで過ごしていたのなら、僕らは別れなかったのだろうか。

『結婚』という形にこだわりすぎて、根底がもろく崩れてしまった。


「ねぇ、おばあちゃん、お元気?」

「うん。近頃夏の暑さがきついみたいで、よく横にはなっているけれど、
まだ、趣味の教室に通ったり、家事は相変わらず頑張ってくれているよ」

「そう……」


ちふみは、僕が祖母と住むアパートにも、何度か顔を出した。

祖母も、僕が特別な思いを持ち、彼女と付き合っていることはわかっていて、

よく料理なども教えていた。


「おばあちゃんの『きんぴらごぼう』美味しかった。作り方も教えてもらったし、
一緒に食事もしたよね。それなのに、私……」



『あなたはうちの娘に、介護をさせたいの!』



ちふみの母親に言われた一言が、僕の抱えている現実を、

大きくクローズアップさせたことは間違いない。


「もういいよ。過ぎたことだし、祖母には別れた理由は細かく語っていないんだ。
自然と消滅したくらいにしか、感じていないと思う」

「……そう」


僕は言えなかった。

ちふみの両親が祖母のことを気にして、結婚の反対をしたという事実。

気付いていると思えるからこそ、口に出せなかった。


「私ね、ぽっかりと胸に穴が開いていたの。あなたと別れて」


ちふみは、僕と別れてからずっと、喪失感ばかりが膨らみ、

ずっと立ち止まったままなのだと、そう話してくれた。

僕の2年間は、どうだっただろう。

記憶をたどろうとするが、3年前だったか、1年前だったか、

それすらも、わからなくなっている気がする。

『同じことの繰り返し』

それがこの2年だったかもしれない。



【9-4】

立ち止まろうとするもの、乗り越えようとするもの
それぞれの心の中で、消えずに残る思いの灯
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