9 別の世界 【9-4】

【9-4】

「何をずうずうしいこと言っているのって、歩に言われることは覚悟してきた。
でも、伝えておかないと、それもまた後悔する気がして」


回していたストローの動きが止まる。

氷の音が、同じように止まった。


「もう一度、歩とやり直したいって、そう思いながら戻ってきた」


ちふみと、もう一度やり直す。

思いがけないセリフに、正直動揺した。


「迷惑……だよね」

「迷惑だなんて思わないけれど、でも、僕の状況は変わっていないし、
むしろ、祖母はさらに年をとった。前のように『介護』のことを言われたら……」

「わかっている。でも、失ってみて思ったの。
歩を失ってみて、何を怖がっていたのかなって……私」


ちふみは東京に出る前に、今度は田舎には戻らないこと、

誰がどう反対しても、自分が選んだ人と結婚するつもりだと宣言した。


「あの当時ね、母自身が姑の介護で、目一杯だったの。
同じ思いをさせたくないという気持ちが、あのキツイ言葉になったのだと思う。
私も反対されると思っていなかったから、気持ちがついていかなくて。
でもね、今は母もその状態から解放されて、少し余裕も出来たし、また違うと思うの」

「……うん」

「あ、ごめん。そんなふうに重く受け止められると、困るんだけど」


ちふみは、下を向いてしまった僕の肩を軽く叩く。


「やだ、下なんて向かないでよ。わかっているって、
歩には歩の2年間があったのだから。だから無理に時間を戻して欲しいとは言えない。
でも、もし、許されるのなら、また、こうして会って欲しいの。
友人としてで構わないから。その中で、少しでも私の存在が
あなたの気持ちの中に残っているのなら……」


僕の気持ち……


「もう一度ではなくて、あらためて築いていけたら……って」


2年前の時を戻すのではなくて、あらためて二人で新しく歩き出す。

ちふみはそう言うと、スッキリした表情で、アイスコーヒーを飲みだした。



『僕はどうするつもりだろう』



目の前にいるちふみを見ながら、自分はどうするつもりなのだろうかとただ考えた。





「おはようございます」


いつもの朝礼があり、また、整備士としての日々が始まった。

椎名さんが手伝ってくれたホームページのおかげで、修理依頼は確実に増え、

スケジュールはしっかりと埋まっていく。


「ネットの力は大きいわよね」

「ですね」


僕が自分の気持ちを話してから、椎名さんが事務所に来ることはなくなっていた。

いつでも来ればいいと言っておいて、僕自身が彼女の行動範囲を狭めてしまったようで、

ホームページを開くたび、申し訳なさが募っていく。


「あ、そうそう、9月10日の日曜日、歩、時間ある?」

「9月10日ですか? 僕、当番日ですけど」


『半田自動車整備』は、月に何度か定休日を持っていて、

日曜日は、ローテーションを作り、月に2回は工場を開ける。

車の修理などは、出かけることが多い日曜日に突然起こることが多く、

仕事量は結構多い。


「あ、歩だっけ? 当番」

「はい。赤石さんに代わりました。僕と社長と……って」

「あ、そう。倫太郎さんがいるのなら、とりあえずOKね」

「OK?」

「うん……」


何がOKなのだろう。


「その日、何かありましたっけ」

「何かって、聞いていないの?」


誰に何を聞いておけばよかったのか。


「すみません、何も……」

「遥ちゃんの引越しよ、引越し」

「は?」


椎名さんの引越しなど、僕は何も知らない。

奥さんは、スケジュール帳を取り出すと、駅前の不動産屋さんに、

彼女を連れて行ったのだと、教えてくれる。


「ほら、運動会で応援に来てくれたでしょ。彼女がいい子だから、
町会のみんなも覚えていてね。で、遥ちゃんが一人暮らしをする部屋を
探しているって話しになって、すぐに情報が流れたわけよ」


一人暮らし。

なぜ、彼女が一人で暮らす必要があるのだろう。


「いや、一人暮らしって、彼女は大きな会社のお嬢さんですよね」

「お嬢さんだって、一人で暮らすことくらいあるでしょう」

「いやいや、あの……」


『東京』から、はるか離れた地方都市のお金持ちならともかく、

車で行き来できる場所に会社と家がある椎名家の娘さんが、

なぜ、一人暮らしをする必要があるのだろう。


「さぁ、そこまでは詳しく知らないけれど、でも、うちの工場からなるべく近くて、
で、予算もちゃんと話してくれていたわよ。あれは冗談ではないと思うけれど。
いや、冗談ではないわよ。だって、お部屋決まったんだもの」


奥さんは、椎名さんの携帯番号も、アドレスも知っている。

椎名さんが引越しを決めたというマンションは、

この工場からさらに5分ほど歩いた場所にある、1DK。


「『パール』をね、連れてくるって。
だから、仕事に行っている間は、うちに預けなさいってそう言ってあげたのよ」

「ここ……ですか?」

「そうよ、朝、散歩がてら駅に向かう前に立ち寄ってもらえば、預かれるでしょ。
で、帰りは寄り道して連れて帰る。どう? 何か問題ある?」


そう尋ねられて、僕は何も言い返せなかった。

彼女が一人暮らしをしようが、犬を奥さんに預けようが、

僕は、何も文句を言えた間柄ではない。

個人的に会わないことにしようと提案はしたが、ここへ来ないでほしいなどと、

言う権利もなかった。


「でも、ご両親が反対をされるのではないですか?」

「でしょ、そう思うでしょ。でも違うらしいわよ。
お父さんもお母さんも、社会勉強になるからって、賛成してくれたらしい」


奥さんは、町内会の地図を広げ、彼女が契約を決めたというマンションがどこなのかと、

聞いてもいないのに、教えてくれた。

『半田自動車整備』からなら、歩いても5、6分でつけるだろう。

2つ並んだ賃貸マンション。本当にここへ越してくるのだろうか。


「歩はOK」


奥さんはホワイトボードに僕の名前を書き込み、何やらOKマークをつけた。



【9-5】

立ち止まろうとするもの、乗り越えようとするもの
それぞれの心の中で、消えずに残る思いの灯
1日1回、読みましたの拍手、ランクぽちもお願いします(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


コメント

非公開コメント