9 別の世界 【9-5】

【9-5】

「……ってことだ、どうだ」

「はい」

「まぁ、どう出てくるかはわからないけれど、基本だから抑えておけ」

「はい」


8月の最終日曜日。

僕が初めて挑戦する『小型自動車整備士1級』の試験がやってくる。

うちの工場では、すでに栗丘さんが取得している免許だけれど、

僕がプラスで取れれば、うちの仕事はさらに広がるはずだ。

栗丘さんには、近い将来、ご実家のある熊本へ戻る話が出ていて、

そうなると、『半田自動車整備』の整備体制は甘くなる。


「歩が取れたら、社長も大喜びだぞ」

「すぐには難しいですよ」

「何言っている。難しいのは当たり前だろうけれど、チャレンジしないとな」

「はい」


両親を亡くし、祖母と頼りない生活をしていた中で、

社長と奥さんには本当に世話になった。

感謝の言葉など、どれほど並べても追いつかない。

しかし……


「よし、昼飯にしよう」

「はい」


栗丘さんや社長の期待ほど、勉強出来ていないのが現実だった。

『やらなければ』とは思うのだが、集中しきれていないため、

絶対の合格自信は、今のところ持ててはいない。

冷房の効いた事務所内で、祖母の作ってくれた弁当を広げると、

奥さんがついでくれた麦茶を受け取った。

そこへ、エンジン音をさせながら、1台の車が入ってくる。


「あ、僕が出ます」


僕は事務所の扉を開け、車を誘導する。

運転席に座っていたのは知らない男性だったが、後部座席に座っていたのは、

『TEA』さんだった。


「いらっしゃいませ」

「申し訳ありません、高速に乗る前に、車のチェックをして欲しいと……」

「はい」


後部座席の窓ガラスが開き、サングラスをかけていた『TEA』さんが、

それを外してこちらに挨拶をしてくれた。

僕は帽子を取り、同じように頭を下げる。


「先日は、ありがとうございました」

「いいえ、こちらこそ」


『TEA』さんは優しい笑顔で、僕の挨拶を受けてくれた。


「あなたに見ていただけたら、安心……」


僕は空気圧をはかり、タイヤの様子を確認した。

ボンネットを開き、エンジンの状態も軽く見る。

どこをどう見ても、異常な箇所はなく、しっかりと整備されていた。

今時、高速近くのガソリンスタンドだって、ガソリンさえ入れたら、

これくらいの確認はするだろう。

なぜ、ここまで来てくれたのか、それが気になってしまう。


「特に問題はありませんでした。大丈夫です」

「そう……ありがとう」


成り行きで僕を褒めてくれたが、それはここを選ぶ理由にはならない。

これだけ有名な人が、どうしてここへ来るのか、

それに思い当たることがあるとすれば、一つしかなかった。


「あの……」

「はい」

「『TEA』さんは、伯父の薦めでここを選んでくださったのですか?」


そう、コンサートに伯父が来ていた。

僕は、昔から伯父が『TEA』さんの知り合いで、

車のことはここへと、推薦してくれたのではないかと考える。


「どうしてそんな話を?」

「はい。『MORINAKA』の社長を務める、森中哲治が僕の母の兄で、
この間、コンサートにも……」


『TEA』さんは、どこを見ているのだろう。

何か、懐かしいものを見るような目が、目の前にあるけれど、

それが何を捉えているのか、僕にはわからない。


「……えぇ、そうね」


やはりそうだった。

伯父が『TEA』さんをここへ導いたのだ。

僕は、あらためてありがとうございますと頭を下げる。


「そんなことはいいのよ。車を診ていただいたのは、私のほうでしょ」


お金をもらわないと、またおかしなことになると思い、

僕は点検の初期料金を提示した。

『TEA』さんのマネージャーだろうか、運転席から降りた男性が、

その金額を支払うために、カードを出してくれた。



【9-6】

立ち止まろうとするもの、乗り越えようとするもの
それぞれの心の中で、消えずに残る思いの灯
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