10 見えない糸 【10-6】

【10-6】

「後藤さん……来てくれたのですか」

「うん。『パール』がいると、引っ越しの邪魔だろうからって奥さんが」


来てくれたのかと嬉しそうにされると、複雑な気がするけれど、

僕は視線を下に向け、『パール』の目を見る。


「久しぶり、『パール』」

「ありがとうございます」


椎名さんは運転をしてきた男性を、自分の兄だと紹介してくれた。

僕は、すぐに立ち上がる。


「どうも、遥の兄の『椎名彬(あきら)です』」

「後藤歩です」


何気ない自己紹介のつもりだった。でも、僕が名前を言った途端、

彬さんの表情が明らかに変わる。


「お兄ちゃん、私、上に行くから、行こう」

「あぁ、すぐにいくよ。タバコくらい吸わせてくれ」

「そう?」


椎名さんは僕とお兄さんの顔を交互に見た後、『パール』のリードを短くまとめた。

何か言いたげだけれど、聞くべきだろうか。


「すみません、後藤さん。それではよろしくお願いします」

「あ、はい」


椎名さんは、今日は引越しのために開いている玄関を抜け、

階段を上がると、3階の部屋へ消えていく。

僕は『パール』が落ち着けるように、体を何度かなぜてやった。

それにしても、また大きくなっている。


「あなたに会えるとは、予想外でした」


彬さんはポケットからタバコを取り出すと、僕にどうですかと勧めてくれた。

僕は、タバコは吸わないのでと、お断りする。


「そうですか、では、遠慮なく」

「はい」


彬さんは僕のことを知っていた。

どういうことなのか、

すっかりリラックスしてお腹を出している『パール』をなでながら、考えてみた。


「あの遥が、一人暮らしをしたいなどと言い出して、本当に驚きました。
小さい頃はおとなしい妹で、中学からずっと学生寮に入っていたものですから、
同じ年頃の女の子たちよりも、知らないことが多いと心配もしていたのです」


ずっと寮生活をしていた話は、確か彼女から聞いた覚えがある。


「このまま父の経営する会社に勤めて、親元にいるままなのは、
あまりにも世の中を知らなすぎるのではないかと、
食卓でいきなり言い出したときには、父も母も口をあけてましたけれど、
でも、自分の思いを明らかにしたことを喜んでもいたのです」


椎名家の中で育ち、椎名家だけを中心に動き、そして生活をしていく。

確かに、彼女の今まではそうだったのだろう。


「でも、僕は何かがあると思っていたので、遥にこっそり聞きました。
お前が本当に一人暮らしをしたい理由は、どういうことなのか……とね」


妹がどういう理由で一人暮らしをするのか、兄として心配するのは当然だ。


「昔から遥は僕に何でも話してくれました。だから今回も教えてくれましたよ。
『好きな人がいる』と」



『好きな人』



「その人の考え方も、生き方も、何もかもが素敵に見える。
少しでもその人のそばに行きたい……って」


彬さんはそう言いながらタバコをふかした。

煙が空に向かい、何度か繰り返した後、携帯用の灰皿を取り出し消していく。


「それがあなた、後藤歩さんと言うわけです」


僕になでられていた『パール』は、タバコを吸い終えた彬さんの足元に向かい、

同じようにじゃれ始めた。

こうしてなついているのは、普段から相手をしてもらっているからだろう。


「正直、両親がどう思っているのかまではわかりません。
一人暮らしはやってみろと言いましたが、
あなたとのことまでウエルカムなのかどうかはね。でも、僕はそれでいいと思うので、
こうして着いてきました。あなたに会えるのかと遥に聞いたら、
自分はきっと嫌われているから、おそらく会えないだろうと、
寂しそうに言っていましたが……」


嫌っているわけではない。

むしろ、僕だって、彼女の考え方や行動に、共感を持つことは何度もあった。

許されるものならという思いは、心の奥底に持っている。


「否定はしないのですね」

「あ……いえ」

「その顔はどちらなのかな」


嫌いなのか、好きなのか、彬さんは僕の心を見透かそうとする。


「どんな人でも、愛する人くらい、自分で決めるのは当たり前でしょう。
それを家のことだの、仕事のことだのを理由に縛られたら、
そんなもの生きていたって楽しくない」


彬さんは一度上を見ると、右手を上げた。

僕もつられて上を向くと、心配しているのか椎名さんの顔がそこにあり、

気付かれたことが嫌だったのか、すぐに窓から消えた。


「後藤さん」

「はい」

「遥が今、あなたに対して行っていることが、迷惑な行動だと思うのなら、
それは遥にきちんと伝えてください。嫌がられているのに近寄っていくのは、
ストーカーですからね」

「いえ……僕は……」


ストーカーだなんてとんでもない。


「でももし、あなたが遥を思ってくれているのなら、
それならばとことん付き合ってやってください。
あいつ、女らしいことは何も出来ませんし、失敗ばかりだと思います。
でも、俺にとっては日本一、かわいい妹ですから」


彬さんは真顔でそう言ったあと、すぐに表情を軽くする。


「あいつの笑っている顔を見たいと思うのが、正直な気持ちです」


彬さんはそう告げると、僕に頭を下げてくれた。

引越しの手伝いに向かうつもりなのだろう、階段を上がっていく。



『あなたが遥を思ってくれているのなら、
それならばとことん付き合ってやってください』

『日本一、かわいい妹ですから』



椎名さんを思い、広い心で支えているお兄さんの言葉は、

ただ、付き添いで来たつもりだった僕には、重い言葉だった。



【11-1】

人と人をつなげる糸があるのなら、
どんなに細くても、自分の手でつかんでいたい。
1日1回、読みましたの拍手、ランクぽちもお願いします(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


コメント

非公開コメント