16 心の闇 【16-1】

16 心の闇


【16-1】

「それじゃ、おやすみ」

「おやすみなさい」


携帯もあるし、メールも打つことは出来るけれど、

やはり顔を見て言葉を交わすことが、一番安心する。

椎名さんがまた、このマンションに戻ってきたのだということを実感し、

僕は彼女に手を振り、背を向けて走ることにした。


椎名さんとのことを、反対されると思っていた伯父からエールをもらい、

彼女のお父さんとも、思いがけない挨拶を交わすことが出来た。

だからといって、僕の現実がいきなり変わるわけではないが、

うつむいている必要はないことがわかっただけで、一歩前進した気がする。


これからも彼女がここへ来て、笑ってくれるだけで、

きっと……



『努力をすること』



必要なことは、家柄ではなくて、僕自身のやる気。

椎名さんのお父さんは、そう『形』をつけてくれた。

彼女のマンションから帰る途中、僕は祖母の好きな和菓子を買い、

それをお土産にアパートへ戻った。


「ただいま」

「あぁ、お帰り歩」


靴を脱ぎ、バイクのカギを壁についたフックへかける。

台所のテーブルに紙袋を乗せ、風呂場の前にある小さな洗面台で手を洗った。

コトコトという音がしたため、コンロの前にある鍋をのぞく。


「なぁ、これまだ火にかけていていいの?」

「ん? あ、あぁそうだったよ、止めて、止めて」

「なんだよ忘れていたのか? 危ないなぁ」

「ごめん、ごめん」


僕がコンロの火を止めると、祖母は夕飯の準備に台所へ戻った。


「これ、お土産」

「あら、また半田さんが?」

「いや、僕が」

「歩が?」

「そう……少しいいことがあったからさ」

「いいこと? あらまぁ、なんだろうね」


すぐにでも報告してあげたいところだけれど、

もう少し気持ちが寄り合うまで黙っていよう。


「仕事でも、うまくいったの?」

「……まぁ、そんなところかな」


僕はそのまま部屋に入り、斜めがけをしていたバッグを机に置いた。

すぐにでも夕飯にしたくて、襖を開ける。

いつも食事をする小さなテーブルには、ちぎり絵の途中らしきものが置いてあった。


「何これ、ちぎり絵?」

「そう、『憩いの和』でね、今習っていてさ、
次の水曜日には作品を発表することになっているの」

「へぇ……」


和紙の色紙を手でちぎり、少しずつ花の形を作り上げている。

花の名前は詳しくないけれど、祖母らしく愛嬌のあるかわいい配色だ。


「色々とやるんだね」

「そうだよ、手先を使うのは、ボケの予防になるんだって。
それにこの年になっても、覚えられると言うことが、楽しくてね」

「うん」



『努力をすること』



覚えるということは、そういうことだ。

椎名さんのお父さんに言われた一言が、僕の生活に新しい風を吹き込む気がする。

同じことの繰り返しの中にも、必ず得るものがあるはず。


「歩、運んで」

「うん」


僕は祖母から茶碗を受け取り、それぞれの場所に配置した。





風呂に入り、自分の部屋に戻る。

祖母はちぎり絵を頑張っていたからか、すでに眠りについていた。

僕は音を立てないように台所へ向かい、インスタントのコーヒーを入れる。

整備士を目指した頃の気持ちを、もう一度思い出そうと、

机の上に置いてある『1級』の問題集を手に取った。

8月の末に試験があり、とりあえずそれを目指してはいたが、

どうしても取るぞという強い気持ちは、持てなかった。

しかし、今は違う。


来年は絶対に合格し、一つ上のポジションを得よう。

僕を信頼し、最大限に助けてくれる社長たちのためにも、

こうして毎日、僕の世話を続けてくれる祖母のためにも、

新しい世界に、勇気を持って踏み入れてくれた彼女のためにも、

そしてなによりも、事故を無くそうという自分の目標のために。


僕は、学生時代取得した『2級』の問題集を何気なく手に取った。

あの頃の方が、前向きだったかもしれない。


「ん?」


本のページを何気なくめくっていたら、

1枚の小さなチケットらしきものがハラリと落ちた。

僕はそれを拾い上げる。



『献血手帳』



『半田自動車整備』に入って、取引先に出かけた帰り一度献血をしたことがあった。

それから何年も経ちどこにいったのかと思っていたが、

こんなところで見つかるとは。



『後藤歩 0型』



『0型』

僕の血液型は、やはり『0型』だった。



【16-2】

『真実』の前に、ひとりたたずむ歩。
追うべきか、そらすべきかと考えてみるが……
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