16 心の闇 【16-5】

【16-5】

何かバイクの調子でもおかしくなったのだろうか。


「あの、バイクの修理ですか」

「いえ、違います。俺……」


ヘルメットを脱ぐと、その男はいきなり鏡とくしを取り出し、

何やら髪型を直し始めた。説明が続くのかと思ったのに、

なかなか次のセリフが出てこない。


「あれ……もしかしたら」


そう、この顔に覚えがあった。

一度だけ来てくれた客ではなく、記憶はつい最近のもので。


「あ……『パール』」


声が奥まで届いたのか、『パール』が母屋からかけてきて、

その男性にいきなり吼え始めた。椎名さんが『パール』を落ち着かせようと、

抱きかかえてやる。


「『パール』大丈夫。ダメよ、吼えたら」

「君の犬?」

「はい、ごめんなさい。初めての人にはよくこうして吼えるものですから」


椎名さんが抱きかかえたからなのか、『パール』は落ち着きを取り戻す。


「君、この事務所の人ですか」

「私……ですか?」

「はい」

「いえ、違います」

「なんだ、残念だな、ルックスもスタイルも、メチャクチャ俺ごのみなんですけど」


突然のアピールに、椎名さんは固まってしまった。

そう、彼女はこんな冗談に慣れていない人なのだ。


「君、生田君だよね」


僕は会話に割って入ったやった。何が俺ごのみだ。

初めて来た実習の場所で、そういうことを言えることが信じられない。


「あ、はい、そうです。俺を知ってくださってると……」

「今朝、社長から話が出ていたから」


そう、彼は今朝、話があった生田君だ。

まさか、こんなタイプだとは思わなかったが。


「後藤さん、今、話しに出ていた」


僕は椎名さんの問いかけに、黙って頷き返す。


「君も、俺のことを知っているわけですか」

「あ、いえ、私は今ここで……」

「俺、生田寛一って言います。今度、しばらくここでお世話になる」

「あ……」


何も躊躇なく椎名さんの手を握り、生田寛一は、選挙の投票を頼む男のように、

ニッコリと笑ってみせた。





実習生として来ることが決まっている『生田寛一』は、

何も関係がない椎名さんを捕まえ、挨拶が終わっても、握った手を離そうとしない。


「あの、手……」

「あぁ、すみません。つい」


生田君はオーバー気味に手を離し、愛想笑いを振りまいている。

社長の知り合いから頼まれた学生とは、彼のことだった。

僕達の話し声と『パール』の声に、母屋から奥さんが姿を見せる。


「あら……生田君」

「はい、こんばんは」


実習が決まったと、先生から連絡を受けた生田君は、用事があり近くに来たため、

挨拶だけでも済ませようと立ち寄ったらしかった。

出された紅茶に、スプーンで砂糖を3杯も入れ、嬉しそうに飲んでいく。


「挨拶に来てくれるなんて、しっかりしているのね」

「いえいえ、お世話になるのだから当然です」


専門学校の学生にしては、年齢が少し高いような気がしていたが、

やはり事情を聞くと、なかなか進級できず、人の倍かかって卒業に向かっているのだと、

笑いながら語った。


「それじゃぁ、ご両親に相当ご迷惑をかけているでしょう。色々と」

「まぁそうですね、学費もありますし、生活費も、全てはバイトでまかなえませんから」


奥さんは、今日は先輩2人はすでに仕事を終えていて、

社長も会合に出てしまったと、生田君に説明した。

彼は、来週来たときにあらためて挨拶をしますと言うと、

ごちそうさまでしたと手をあわせる。


「今日の収穫はありましたから、十分です」

「収穫?」

「はい……」


生田君の視線は、間違いなく椎名さんに向かっている。


「素敵な人に会えただけでも……」


視線の筋を断ち切るように、僕は立ち上がった。


「そろそろ送るよ」

「あ……はい」


椎名さんは、横に置いたバッグを肩にかけ、出て行くための準備をする。

視線の邪魔をするなど、大人気ない気がしたけれど、

これ以上ここにいるのは、精神的によくない気がする。

僕は『パール』に素早くリードをつけてやった。一秒でも早く出て行きたい。


「遥ちゃん、気をつけてね」

「はい。また明日」

「ではまた来週、お会いしましょう」

「……あ、はい」


僕は事務所の扉を開けて、『パール』を下ろした。

『パール』はすぐに歩き出そうとする。

事務所にいる二人に挨拶を済ませた椎名さんが、少し前を歩く僕達に追いついた。


「後藤さん、わざわざ送ってくれなくても大丈夫ですよ」

「いや……うん」


椎名さんの右肩にはバッグがかかっている。

僕は彼女の左側に回り、『パール』のリードを左手で持つと、

空いた右手で、彼女の左手を握った。

突然の行動に、椎名さんは少し驚いたようだったが、拒否されることなく歩き続ける。


「明日は、雨かもしれませんね」

「……うん」


互いに、会話がぎこちなかったけれど、気持ちは伝わっているはず。


「たまには、雨も降らないとね」

「そうですね」


僕は、自分がこれだけやきもち焼きなのかと、初めて知った。



【16-6】

『真実』の前に、ひとりたたずむ歩。
追うべきか、そらすべきかと考えてみるが……
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