20 天使のはしご 【20-3】

【20-3】

「小さくて白い犬、差し上げますって、そう書いてありました」

「うん……」

「手書きの文字が、とても温かく見えました。
私、仕事でいつもPCに触れているからかもしれませんが、
誰が書いても同じ、印刷された張り紙は、結局、印象に残らなくて」


遥さんは、商品管理の仕事をしていると確かそう言っていた。

だからこそ、うちのホームページも、手伝ってもらえたのだけれど。


「おじ様に薦められて、初めて『半田自動車整備』に行ったとき、
本当にすぐ、目に入ってきたんです。あの貼り紙」


車に傷をつけられて、それを直すためにやってきたのが彼女だった。


「あまりにも下手だったとか」

「違います。誰が書いたのかもわからなかったけれど、拾った子犬のために、
自分が何とかしようと思える人はきっと、いい人だろうって……。
その人が『頼みたい』と願うことなら、私が答えたいってすぐに思ったんです」


あの日、血統書もない『パール』を、遥さんはすぐに引き取ってくれると、

そう言ってくれた。


「不思議ですよね。今まで、そんなふうに考えたことなど、
一度もなかったのに」


あの日、あの時に、色々なことが重ならなければ、

僕達のこの時間は、おそらくなかっただろう。


「後藤さん」

「何?」

「おじ様に、話をしてみて、もし、何も知らないと言われても……」


遥さんは、そういうと僕の方を見た。順調に進んでいた足が、互いに止まる。


「もしも、後藤さんの思うような結果が出なくても、
決して悩んだりしないでくださいね」


産みの親のことを、わかる可能性があるとしたらここだけだということを、

彼女も十分感じてくれているのだろう。

最初で最後のチャンス。


「うん……」

「私も、工場のみなさんも、それから後藤さんのおばあさまも、
みんなあなたの今を好きなのだと思うから……」

「うん……」

「こうして誕生日が来ているのだから、だから……えっと、どうしよう。
うまく言えないのだけれど……」


遥さんは、僕を励まそうとしてくれている。

それは十分すぎるくらい理解できた。

大切なのは、過去ではなくて、今であり、そしてこれから起こる未来。


「大丈夫だよ、心配しなくても。知りたいという気持ちはもちろんあるけれど、
それがわからなかったとしても、いつまでも悩んだりはしないから」


そう、いつまでも引きずることはしない。

だからこそ、伯父と話をする気持ちになれた。


「君といる、今のこのときを大切にしないと……」


初めて見かけたときから、他の人とは違っていた。

偶然だと思っていたのに、それがいつの間にか目をそらせない存在になっていた。

僕の心が、どんなに苦しくなろうと、君の存在があるだけで、安らかな気持ちになれる。


「事務所で話をしているだけでも、一日の疲れが取れるし、
こうして歩いているだけでも、気持ちがとっても温かくなる」


そう……

『君がいる』というだけで、満足できる。


「前に言っていたよね、私といることが楽しいと思ってもらえるかって」

「あ……はい。『スレイド』に行ったときですよね」

「うん」


あの頃は、拓のことが気になり、自分のことが気になり、

気持ちが素直に出せなかった。


「一緒に考えて、悩んでくれる人が出来たから、だから僕は過去を知ろうと思った」


一緒に考えてくれる人。

苦しいことを、ともに乗り越えようとしてくれる人。


「何を聞いても、どういうことがわかっても、わからなくても、
必ず遥さんには、話すから」

「……はい」

「だから、僕は大丈夫」


僕の決意を知ったからだろうか、彼女は嬉しそうに頷くと、また歩き始める。


「一つだけ、言ってもいいかな」


そう、こんな特別な場所だから、いつもの夜とは違う時間だから、

言えてしまう。


「後藤さん……は、味気ないな」


遠まわしに、名前を呼んで欲しいとアピールする。

自分でも、こんなことが言えるなんて驚きだけれど、イルミネーションの下だと、

なぜか一つステップを上がれる気がしてしまう。


「歩……さん」

「うん」


僕は、遥さんの白い手をしっかりと握り、さらに前へ進む。

勇気をくれたイルミネーションは、駅につくまで、ずっと優しい光りで、

僕らを包み込んでくれた。





地元の駅に着き、遥さんのマンションへの道を進む。

ずいぶん遅い時間になってしまったので、いつもなら灯りがある商店街も、

ほとんどがシャッターを閉めていた。


「ごめんなさい、結局送らせてしまって」

「いや、この時間だと暗い場所もあるから、最初からそうするつもりだったんだ、
よかったね、『パール』は奥さんに頼んでおいて」

「はい」


歩き始めて3、4分した頃だろうか、僕のスーツの肩に、冷たい雫が落ちてきた。

もしかしたらと空を見上げると、薄暗い場所から、冷たい雫が顔に当たる。


「雪?」

「うん……まだ霙っぽいけれど、これはこの後、雪になるね」


今シーズン初めての雪。

積もるだろうか。

雫は、少しずつ落ちてくる速さが上がり、僕の肩が濡れ始める。

角を曲がり、マンションの灯りが見えた。

これなら、遥さんは濡れずに済みそうだ。


「これくらいの降りでよかった、それじゃ、また……」

「あ……ありがとう」

「うん」


僕はそこで方向を変えて、駅まで戻ることにする。

少し走りながら戻れば、なんとかなるはず。


「あ……待って!」

「何」

「傘、今、持ってくるから」

「いいよ、走ってしまえば大丈夫だから」

「でも……」

「平気だから」


なぜだろう、すぐにでもここを離れないといけないような気がしていた。

一歩でも近付けばきっと、彼女に手を伸ばしてしまいそうで、

強がっている気持ちを、ぶつけてしまいそうで怖かった。



「歩さん!」



遥さんの声に振り返ると、マンションへ入ったはずの彼女は、

僕の胸に飛び込んできた。



【20-4】

冬は寒く、雪は冷たいけれど、
信じる心があれば、怖いものは何もない……はずだから。
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