【S&B】 29 心のままに

      29 心のままに



いつもの朝、洗面台の鏡を見ながら身支度を整え、ふと動きを止める。自分自身に問うように、

僕は前に立つ自分の顔を見た。



『私の宝石だから』



三田村が気持ちを抑え込んでしまう性格なのは、今までで十分わかっている。だとすれば、

僕自身が彼女に近づいていくしか方法はない。


「祐作……」


ヒゲが伸びた悟が、僕の左肩越しから眠たそうな顔を見せた。手に持っていたタオルで

その顔を被うように隠す。


「お前、さっさとヒゲ剃って、支度しろよ。週末ダラけているとあっという間に伸びるんだな」

「琴子と会わない日は、何にもしないんだよ……」


悟のシェーバーが動き出す音を後ろに聞きながら、部屋に戻りデスクの引き出しを開ける。

あの日、母の部屋から持ち帰った、アイツの名刺が入っていた。





三田村の気持ちを知りながら、どう突破口を切り開くべきかと考えていた日、母から連絡が入り、

僕は、豊島さんが勤めるリフォーム会社へ向かうことになった。

都心から少し外れた緑の多い町に、彼が勤めるオフィスがある。縁のある地方の工務店が、

東京に営業所を持つことになり、代理店の人間を教えて欲しいと頼まれたというのだ。


「ビー・アシストが大手なのは知っているんだけど、お世話になった社長さんでね、
祐作君の営業部とは言わないが、どこかつながりのある小さな代理店でも
紹介してもらえないだろうか」


スーツ姿の豊島さんは、若い社員達とも明るく話を合わせ、僕と向かいあう前に、的確な指示を出す。

そんな様子から、彼が社内で信頼される存在なのだと、僕にはすぐに見てとれた。


「こうして直接伺っている以上、本当なら第一営業部でと言いたいところなんですが、
会社の規定があるんです。第一営業部は上場企業との仕事を請け負うことと決まっているので、
第三営業部の瀬川に話を通します。瀬川の方で扱えるか、それともうちが取引する会社へ
話を振るかは、任せていただいてもいいですか?」

「あぁ……、悪いね。迷惑かけます」

「いえ……」


受付に座っていた女子社員が、僕と豊島さんの前に、冷えた麦茶を置いてくれた。

一緒に出されたおしぼりもよく冷えていて、小さな気遣いを感じさせる。


「豊島さん、顔は拭かないでくださいね」

「ん? そんなことした覚えはないぞ」


若い女性社員からの冗談に、明るく言い返す彼の姿を見ながら、僕は麦茶に口をつけた。

以前からこの人とは一度ゆっくり話をしたいと思っていた。母との付き合いは続いているようだが、

僕自身がどう接していいのか迷うところもあり、このチャンスを活かそうと、申し込み昼食に誘う。


「こんな店でいい?」

「はい、十分です」


豊島さんが連れて行ってくれたのは、小さな蕎麦やだった。ご夫婦で店を切り盛りしているようで、

カウンターを含めて、席は10席しかない。入った瞬間から鼻に届く鰹の香りに、

気持ちよく空腹が音をさせる。


「パッとしない店だけど、味はいいからさ」


そう言うと彼は僕の方を見た。何か聞きたいことがあるのなら、何でも答えますという余裕が見える。


「祐作君はいい息子なんだね」


何も質問していないのに、すでに読まれているようで、僕はグッと身構えた。


「でもそうだよな。息子と母親の関係が、年齢を重ねても変わらないってことは、
自分自身が一番よくわかっているよ。僕の母はもう亡くなったけどね」

「すみません、母離れ出来てない息子で……」

「いやいや……」


僕らの前に注文した品が届き、豊島さんはすぐに割り箸を取ってくれた。僕はそれを受け取り、

互いに蕎麦をすすりながら、話し続ける。


「彼女と出会ったのはね、弟の紹介だったんだ。前の店を出したいって相談に来ていて、
どうもあれこれ希望があるようだから、個人の店より、会社として動いて欲しいと弟に言われ、
僕が店に行った。和穂さんは楽しそうに計画を語ってくれたよ。そう……もう、
夢見る少女のようだったなぁ。で、散々話をした後、予算がないんですって」


豊島さんはその時のことを思い出し、笑い出した。僕にとっての母も、

そんな抜けたところが確かにある。


「驚いたよ。一番大事なところなんですけどって僕が言ったら、夢を実現するのが
あなたの会社でしょ! と言い返された。そんな打ち合わせを何度かしているうちに、
僕は仕事を抜きにして、彼女と会いたいと思うようになった。年齢が8つも違うことに気付いたのは、
その後だったな」


そうなのだ。母は今年56になり、豊島さんは8つ違うということは、48になる。

僕の心配の一つがそこだった。


「でもさ、気持ちは納まらないだろ。それを知ったからと言って、じゃぁ、リセットしますとは
ならないよ。むしろ、そんな年齢なのにかわいらしく見える彼女は、きっといくつになっても、
そんな雰囲気のままなんだろうなと、希望が持てたね!」


豊島さんはそう言うと、楽しそうに笑った。僕の心の奥から、また三田村への気持ちが少しずつ

わき上がる。アイツから三田村の過去を知らされて、どう接していいのか迷ったところもあったが、

だからといって、気付いた気持ちの動きを止めることは出来ない。むしろ……



『私の宝石だから』



あの一言を聞いてから、三田村の辛い過去でさえ、僕が引き受けるべきだと思うようにもなった。

偽りのメガネをつけたまま、生きているような三田村を、なんとか救い出したい。


「君たちの父親になろうなんて大それた気持ちはないから、大丈夫だ。
ただ、こんなふうに機会があれば、相談くらいは乗れるかもしれないけどね」

「はい……」


多くを語ったわけではなかった。それでも僕の中でざわついていた気持ちが、

彼と向かい合えたおかげで、晴れていくのがわかる。


母はきっと大丈夫だ……。そんな想いを胸に秘めながら、目の前の蕎麦をすする。

僕が目を向けていくのは、抜け出す道がわからない、白いウサギなのだと、あらためてそう思った。





「主任、お先に失礼します」

「お疲れ……」


お盆を前に、のんびりした第一営業部は定時を過ぎ1時間もすると、僕一人になった。

豊島さんから言われていた工務店の件は、第三営業部が動いてくれることになり、

早速挨拶に来てくれたと、連絡が入った。その報告を受けた母からも、嬉しそうな電話をもらい、

僕の周りは全て順調に動いていた。


そう、僕自身のことをのぞいては。


母の店が5日間の休みを迎えることを知り、僕はその前にどうしても会いたい男のところへ、

乗り込むことにした。以前、食事をした時に置いていった名刺を見ながら、アイツが働き、

バンド演奏もするライブハウスへと向かう。


駅から5分ほど歩いた雑居ビルの地下に向かうと、店の入り口には手作りのポスターが貼られ、

外にはファンなのだろうか、何人かの女の子が、壁に寄りかかったりしながら、

開店の時刻を待っている。


僕はアイツの演奏が聴きたいわけではないので、重そうな扉を試しに動かしてみる。

動いたことを確認し、少し薄暗い店内へ足を踏み入れた。


「すみません」


奥の方から笑い声が聞こえ、僕はその声に向かって進む。


「まだ開店前ですけど……」


後ろから聞こえた声に振り返ると、そこには茶髪の女性が一人、手にほうきを持ち立っていた。


「すみません、高添浩太さんに用があってきたんですが。もう、いらしてますか?」

「浩太? コウちゃんに何か用なの? 名前は?」

「青山です」


その女性は、僕のことを一通り確認するように見た後、笑い声の響く部屋へ入った。

大学時代、友達同士でバンドを組んでいたやつもいたが、学園祭以外の活動など知らず、

こんなふうに楽器が所狭しと並んでいる場所へ、来たことなど今までなかった。


ドラムセットの縁を見ると、ずいぶん歴史がありそうな古さで、僕は左の指で、

そのドラムをポンと弾く。


「いらっしゃい、先日はどうも!」


高添浩太はたばこを口にくわえ、片手に缶コーヒーを持ち僕の目の前に現れた。

まるで来ることがわかっていたかのように、にやけた笑いを見せる。


「仕事の前なんだろ。すぐに話は済ませるよ」

「そんなに堅苦しいこと言うなよ。せっかくここまで来てくれたんだから。演奏聴いて行ってよ」

「そのために来たんじゃない」


僕は先日、コイツがポケットに押し込んだライターを取り出し、目の前に出した。





30 君の元へ へ……




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コメント

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いい人ね・・

豊島さん良い人ね、きっとお母さんも幸せになれるわ。v-238
祐作も今までよりグッとお母さんとの距離がちかくなったのでは?

好きになるのに理由は要らない、好きになる気持ちも止める事は出来ない。
仕方が無いことなのよ。ただ自分を信じて進むだけ。頑張れ!祐作!!!

そうだよね

yonyonさん、PCv-216の調子が悪いのに、ここまでありがとう。

豊島と話しながら、また一歩前へ出ようと決意する祐作です。
そう、好きv-344になるのは理由もないし、気付いたらそうなっているはず。
信じて進みますよ! ぜひぜひ、続きもつきあってね。

これからは。

何だかんだって言いながら、やっぱり良い息子だね。v-237
                                                        豊島さんもシッカリとした人で安心してお母さんを任せられるv-218

さあ!これからは自分の事だよ。
自分の気持ちも分かったんだから。
頑張れv-91祐作v-238


そう、これからは!

beayj15さん、こんばんは!


>さあ!これからは自分の事だよ。
 自分の気持ちも分かったんだから。

そうそう、そうですよね。
ちょっと、離れたところから見てみると、案外ハッキリ見えてくるv-352こともあるはずで。
祐作が、どう動くのか、見てやって下さいませ。v-410