【again】 29 桜の木の贈り物

【again】 29 桜の木の贈り物

     【again】 29



「お先に失礼します……」

「あ、お疲れさま」


季節は4月になり、絵里の仕事は事務的なものが増えていた。仕入れ状況のチェックを済ませ、

事務室を出て行く。少し前に来た亘と前島に挨拶をすると、言葉を返してくれたのは

前島だけだった。


直斗を助けてあげてほしい……と伝えて以来、亘は店に顔を出すことはあっても、

絵里と目を合わせることはなくなっていた。


「池村さん。はい、言われていたリスト、作ってきたから」

「ありがとう」


絵里は、同僚の真希から一枚の紙を受け取ると、カバンの中に入れる。


「なんだかんだと準備すると、結構まとまったお金がかかるのよ。たとえばソックスとか
ズボンなんだけど、ワンセットだけってわけにはいかないでしょ? で、バットだの、
スパイクだのって……」

「あぁ……そうよね」


『ビッキーズ』に、体験入団をするようになった大地は、夏休みに正式に入るつもりになっていて、

そのために必要なものを、絵里は今のうちから、少しずつ揃えようと考えていた。


「でもね、スパイクとかバットなら亨の古いのがあるよ。ちょっと汚れているけど、
それでよかったら使って」

「エ……いいの?」

「いいわよ、すぐにサイズなんて変わるもの、買ってたらもったいないって」

「ありがとう、とりあえずリスト見て、お店で聞いて、ちょっと実家にも助けてもらうことに
するわ」

「うん……」


仕事を終えた二人は、桜の花びらが風に舞う道を、自転車を押しながら、歩いていった。





その桜の木に、少しずつ若葉が出始めた頃、直斗と楓はウエディングドレスの採寸のために、

デザイナーの店にいた。


「直斗……どう? どっちの形がいいと思う?」


楓はデザイナーが見本だと手渡したドレスを、並べて壁にかけ、見比べている。


「主役は楓だろ。君がいいようにすればいいよ」


そう言いながら窓をのぞくと、向かいのビルの1階に、大きなスポーツ用品店があるのが見えた。

野球の格好をしたマネキンが、ショーウインドーに立っている。



『直斗へ 日よう日 やきゅうのれんしゅうに出ます 見にきてください』



夏になったら『ビッキーズ』に入るのだと、口癖のように言っていた大地のことを直斗は思い出し、

グローブしか持っていない大地に、絵里は、これからいろいろなものを買いそろえるのだろうかと、

心配になる。


「直斗……終わったわよ」

「早いんだな、もういいのか?」


直斗はさっさと帰り支度を進めている楓を見ながら、そう言った。


「素材がいいから!」


楓はそう自信ありげに言うと、店長やデザイナーと軽く挨拶を交わし、店を出て行った。


「それじゃ行くわね」

「どこに? 近くなら送るけど?」


今日は行きたいところがあるのだと言っていた楓は、直斗の提案を拒否し、

タクシーを拾おうとした。


「今日はいいわ。直斗は仕事に戻って。次期社長が、仕事に積極的じゃないなんて言われたら
困るじゃない」


そう言われた直斗は、何度か頷き、楓の提案を受け入れる。


楓はタクシーに乗り、その場からいなくなり、それを見送った直斗は向かいのビルにある、

スポーツ用品店に入っていった。


「いらっしゃいませ」


直斗は店の奥にあった、子供用のスパイクを手に取り、去年のクリスマスに絵里と大地に

スニーカーを贈ったことを思い出す。あの時には、まだハナも元気な姿で一緒に笑っていた。


「すみません、ちょっとうかがってもいいですか?」


直斗はその思い出を吹っ切るように、店員に話しかけた。





直斗と別れた楓は、タクシーに乗り絵里のいるスーパーへ向かった。

亘の部屋で会った時には、まさかこれほどまでに自分を苦しめる存在になると、考えもしなかった。

結果的に直斗は自分の元へ戻ってきたが、心はまだ戻ってきてはいないことを、

楓が一番よくわかっていた。


「東町店は、こちらですが……」

「ありがとう、すぐに戻るからここで待っていて」


楓はタクシーを待たせたまま、中へと入った。

店内には多くのパートたちが働いていて、一人ずつ顔を見ながら歩いていくと、野菜売り場で、

キャベツの山を作っている女性が目に入る。


「あの……」

「はい、いらっしゃいま……せ……」


目の前に現れた楓は、あの時と同じ香りがして、絵里はすぐに頭を下げると、

汚れていたエプロンを少しはらう。


「雑誌はどこにありますか?」

「……はい、こちらです」


絵里は楓の前を歩き、まっすぐに雑誌売り場へと進む。


「あの、こちらです。上の方が本日発売の雑誌になっていまして、月刊誌はこちらの棚に……」


この人の何をどうつかめば、直斗に愛されるのだろう。楓の視線は絵里を捕らえたまま、動かない。


「よろしいですか?」

「あ……」


楓は慌てて、一番高いところにあったファッション誌を手に取り、レジへ向かおうとした。

絵里は楓の後ろ姿を見ながら、この人が彼の隣に立つ人なのだと、つい思ってしまう。


「あの……」

「はい」


楓はもう一度振り返り、絵里の方を向いた。互いに何かを思いながら、この場所に立っているのに、

本当に聞きたい言葉は出てこない。


「ありがとう……」


それだけ言うと、楓はレジへ向かい、支払いを済ませ、店を出た。

『ありがとう……』という楓の言葉が、絵里には直斗を帰してくれたことへの、

感謝の気持ちに聞こえた。





日曜日、絵里は洗濯を干し、掃除機のコンセントを入れた。すると、インターフォンがなり、

いつものように大地が玄関へ向かう。


「はい、どちら様ですか」

「宅走便です」


その返事に、絵里が玄関を開けると、大きなダンボールが2つ、部屋の中に入ってきた。


「えっと、荷物はこの2つと、実は下にもありまして」

「下ですか?」


宅走便の男性は階段の踊り場から、自転車置き場の方を指さした。


「自転車もあるんですよ。あちらに置くことになるのかと思って、今、下にあるんですが。
確認していただけませんか?」

「自転車?」

「エ! 自転車?」


予想外の贈り物に大地は靴を履き、階段を勢いよく下りていく。そこには白と青のボディーに、

ロゴがあしらわれている、スポーツタイプの子供用自転車があった。


「こちらの3点です。サインをお願いできますか?」

「……あ、あの……どこからなんでしょうか」


絵里はそう言いながら大地を見た。もしかしたらまた、池村の実家へ連絡し、

買って欲しいと頼んだのではないかと考える。


「大地、池村のおばあちゃんに連絡でもしたの?」

「ううん……しないよ」


大地はすっかり上機嫌で、すでに自転車に乗り、駐輪場の周りをグルグルと走り出す。


「こちらの伝票では、送り主は桜木さんという方になっていますが……」

「桜木?」


聞いたこともない名前に、サインをしようとした絵里の手が止まる。


「何かの間違いじゃないでしょうか。桜木さんという方は私……」

「いやぁ……僕も詳しいことはわかりませんが、もう、代金もいただいているようですし、
受け取りは池村大地様ということで、住所も名前も間違いないと思うんですが。
もし、なんでしたら、こちらのスポーツ用品店の方へ確認していただけますか? 
こちらとしては、配送した荷物を引き取ってもらうことが仕事ですので……」

「あ……はい」


納得のいかないまま、絵里は結局サインをし、自転車をきちんと駐輪場へ入れ鍵をかけると、

大地と二人、部屋へ戻った。


一緒に届いたダンボールを開けると、中から出てきたのは野球用品ばかりで、

真希から聞いていたようなものが全て入っている。

スパイクなども大地の大きさで揃えられていて、確かに間違いではないように見えた。


「あ、ママ! これ、桜の木って字だよね」

「エ……」


大地はテーブルの上に置いた伝票の文字を、得意げに指差し笑う。


「どうして読めるの? 桜なんて習ってないでしょ」

「直斗が教えてくれたもん、前に」

「直斗さんが?」


その時初めて、絵里はこの送り主が直斗ではないかと思い始めた。

彼なら大地の足のサイズを知っているし、なにより、大地が野球を始めることも知っている。


「すごいよママ。これほら、バットが入るんだよ、こうやって……」


思いがけない贈り物に、興奮したままの大地は、ビニール袋をどんどん破り、あれこれ並べ出す。


「僕がこれを着て野球したら、きっと直斗、見に来てくれるよね。お手紙もう読んだかな……」

「……手紙?」


大地が直斗の住所を知っているはずもなく、絵里はどこへ出したのだろうかと、不安になる。


「手紙なんて、どこに出したの? 大地」

「おばあちゃんちの新聞が入るところ。直斗がおばあちゃんちに来たら、きっと読むと思って」


時々、急に玄関を飛び出し、すぐに戻ってきたのは、大地が直斗に手紙を出していたのだと、

絵里はその時初めて気づく。

おそらく、大地からの手紙を読んだ直斗が、桜の木になったという伸彰を連想させるように、

『桜木』という名前を使ったのだろうと、絵里はダンボールの中身を出しながら、考えた。


バット、ソックス、スパイク、そしてワンタッチ形式になっている水筒まで、

絵里が買い足す必要などないように、何もかもが揃っている。

婚約を済ませ、新たな道を歩み出したのだろうと思っていた直斗なのに、こんなふうに、

まだ自分たちを気にしてくれていることが、絵里にとっては嬉しくもあり、切なくもあった。


「もしもし……池村です。大地のためにすみません。ありがとうございました」


もう二度とかけることはないと思っていた直斗の番号を回し、絵里は留守電にそう残す。

元気なのか、しっかり眠っているのかなど、問いかけたくなる気持ちを抑え、電話を切った。


同じ時間、その留守電を直斗は社内で聞いていた。もう二度とかけることの出来ない電話だったが、

この電源が、絵里とのほんの小さなつながりを保ってくれているような気がして、

直斗は携帯を解約することが出来ずにいた。


左手で、もう一度留守電のメッセージを聞き直しながら、直斗はその携帯に、そっと唇を当てた。





退院も決まり、荷物も少しずつ整理される病室で、高次は経済誌を広げていた。

最初は小さかった『公営住宅払い下げ』の記事だったが、環境会議が行われることに連動し、

近頃少しずつ扱いが大きくなっている。


「どうなさったんですか? プログレスさんからは、一人も協会の会議に
出席されていないようなんですが……」


何日か前に連絡をくれた協会委員は、さりげなくそう高次に告げた。


「あのバカが……」


真弓はそんな高次のつぶやきを聞きながら、側でりんごを剥いていた。





東町住宅に1台の車が入り、304の場所へ停まる。サイドブレーキをひき、顔をあげると、

そこに一人の男の子が立っていた。瑠美はエンジンを切り、運転席から外へ出ると、

その男の子に声をかける。


「何? 何かおかしい?」

「どうして、ここに停めるの? ここは直斗の車が停まるんだよ」


瑠美が話しかけた男の子は大地で、車を指さしながら、場所を空けて欲しいと、表情で訴えかける。


「直斗……って。あなた、篠沢直斗さんを知ってるの?」

「知ってるよ、今は忙しいから来ないけど、僕のうちで、ご飯食べたりするもん」



『小学校1年生の男の子と……』



この目の前にいる男の子が、直斗の言っていた子なのだとわかった瑠美は、

微笑みながら問いかける。


「ねぇ、お名前を聞いてもいい?」

「僕? 僕は池村大地」

「いけむら……だいち君かぁ。あのね、お姉ちゃん、ちょっと用事があって来たんだけど、
団地の会長さんが、ここへ車を停めていいですよって言ってくれたの。だから停めたんだけど、
ダメ?」


大地は少し考えるような顔をした後、首を振り、笑顔を見せた。


「ねぇ、お姉ちゃん、直斗を知ってるの? お友達?」


大地はそう嬉しそうに言い、何かを期待しているような目で、瑠美を見た。


「お友達……そう、お友達かな」

「へぇ……」

「大地……」


その声の方向に瑠美が視線を向けると、大地を心配そうに見つめる絵里の姿があった。


「あ、ママ! このお姉ちゃん、直斗のお友達なんだって!」

「……」


直斗の名前を聞き、少し表情を変えた絵里に、瑠美は微笑みながら頭を下げた。


「花岡瑠美と申します。今日は、東町住宅払い下げ反対集会の件で、
自治会長さんのところに来たものですから」

「……」

「実は、篠沢さんにも、この件ではご協力いただいています」


自分の立場を、絵里に誤解させたくないと思った瑠美は、あえて直斗の名前を出し、真実を告げた。


「子供達には、恵まれた環境を残してやりたいと、難しい位置にいらっしゃるにも関わらず、
この運動に参加していただいているんです」


瑠美は、二人を守れなかった分、この環境を守るために直斗が戦っているのだと、

さりげなく絵里に伝えようとする。


「そうなんですか……」


絵里は以前、払い下げ関係の回覧が来たとき、難しそうな顔で読んでいた、直斗のことを思い出す。


「あの……」

「はい……」

「篠沢さんは……お元気ですか?」


直斗のことを篠沢さん……と、控えめに言った絵里に、瑠美は軽く頷いた。その返事を見た絵里は、

少しほっとした顔で、あらためて瑠美に頭を下げる。


「大地、行こう!」

「うん……、じゃあね、お姉ちゃん」

「じゃあね!」


瑠美は、手をつなぎ歩いていく絵里と大地の後ろ姿を見送りながら、

この二人を『守りたいもの……』と言った直斗の顔を、思い出していた。





「これ、ママの顔?」

「そうだよ、これはママの顔なの」


買い物から戻った絵里は、大地の机の横にしまい込んでいた絵を取り出した。

大地は絵里の背中に抱きつくようにしながら、亘が描いてくれたその絵を、じっと見る。


「ニコニコ笑ってるね……ママ」

「うん……」


大地に野球用品を贈り、そして、自分たちにこの環境を残そうと、直斗は限られた条件の中で、

出来る限り自分たちを愛そうとしていた。そんな想いに答えるため、絵里はもう一度、

この笑顔を取り戻そうと考える。


「大地……、ママは毎日笑っている方がいいよね」

「うん!」


懸命に、生きる道を探している直斗のため……

自分たちの別れに責任を感じ、悩んでいる亘のため……


そして……





「おはようございます!」


次の日、事務室の前で亘が振り返ると、そこには作業服を着た、笑顔の絵里が立っていた。

軽く頭を下げ、その場から去ろうとする亘の前に、さりげなく絵里が回り込む。


「篠沢部長、今度の対抗セールはいつですか?」

「エ……」

「今年もみんな張り切ってるんです。臨時ボーナス、よろしくお願いしますね」


絵里は作業帽をかぶり、笑顔のままそう亘に告げる。


「あの絵……やっと飾ることが出来ました」

「……」

「もう一度……、あの笑顔を目指したいと思います」


絵里の言葉に、亘は視線を向け、その真意を読み取ろうとする。


「私は、前を向いて歩きます……」


そう言うと、絵里は頭を下げ、店内へ入っていった。

亘は、あの絵を飾ったという絵里の言葉に、少しだけ口元をゆるめる。



『もう一度……、あの笑顔を目指したいと思います』



その言葉は亘の心の中に、何度も繰り返し語りかけた。





30 深く沈む想い へ……





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コメント

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サブタイトルが・・・

あなたが私の運命を変える人…
これが何より引っかかってきました。
前を向くがどこに行くのか決め手いない絵里
直斗への気持ちが膨らむ一方の大地
楓の複雑な心境
亘の罪悪感を残したまま絵里に向ける恋心
絵里を吹っ切れずつなぎとめたままの直斗
みんながどこへ向かうのか…

気になります。

瑠美さんも…。

気になります?

ヒカルさん、こんばんは!

いつもレスを入れてくれて、ありがとう。


>あなたが私の運命を変える人…
 これが何より引っかかってきました。

そうか、そうだよね。分析しようとするとあれこれ思い描くものが出てくるのかな。

みんながどこへ向かうのか……

そう、それがこのお話のテーマなんです。
最後までじっくり読んでやってください。