【again】 30 深く沈む想い

【again】 30 深く沈む想い

     【again】 30



全ての仕事を終え、家に戻った亘は、車を駐車場に停めた。カギをかけ、玄関を開けると、

リビングから高次の声がする。


そう言えば、今日が退院日だったと思いながら靴を脱ぎ、挨拶だけはすべきだろうと、

扉のドアノブに手をかけた。


「何を考えているんだ、直斗」


直斗を責める高次の声に、亘は動きを止め、ドアノブの手を外す。


「払い下げ物件の問題で、大阪では裁判まで起きるかもしれない状況だ。協会で団結し
乗り切ろうとしている時に、うちだけ会議に参加しないとは……。そんなことでは、
反対していると取られても仕方ないことなんだぞ」

「協会のメンバーが団結しているようには、とても思えません」

「何?」


二人の話の内容が、払い下げ物件のことであることに気付き、亘は壁に寄りかかり、

中から漏れてくる声に集中する。


「今回の払い下げで、得する人間が誰なのか、それを知っているもの達が、ただ何も言えずに、
黙っているだけではないですか」


あなたもその一員だと、直斗は高次を一度見たが、すぐに視線を外す。


「企業は利益を追求するものだ。経営者として、やらなければならないことをなぜやらない」

「望まれていないものを、望まれているかのように、造ることなど出来ません」

「何だと……」

「これがどういう意図で、持ち上がった計画なのか、調べてみたらすぐにわかることです」

「どういうことだ」


高次はそういうと、直斗の言い分を聞こうと、ソファーの背もたれに寄りかかる。


「ポプラタウンをはじめとした公共工事の失敗を、立場の弱い人間を利用し、
穴埋めしようとしている。そんな企業よりの身勝手な計画だからです」

「身勝手……か」

「10年前にポプラタウンを建てた時、巨額の費用がかかりました。大きな郊外型の都市を
造るのだと大騒ぎになったのに、便の悪さから、思っていたような住人は集まらず、
今も空室ばかりが目立っている。管理費用だけがかかるお荷物物件として、
世に残ることを恐れた企業と役人が、その穴埋めを住人達にさせ、本来、意味のあった場所に
あるものをわざとつぶす。こんな計画を身勝手と言う以外に、どんな言葉をあてたらいいのですか」

「……」

「東町住宅は、本来隣を流れる高坂川の治水目的のために造られたはずです。
調べてみたら他の公共住宅にも、それなりの意味がありました。それを、自分たちの
利益をあげるために、なくしてしまおうとする、企業と役人の気持ちが理解できません」


高次は直斗の意見に驚きの表情を見せた。払い下げの問題が起きてから、それだけのことを

あれこれ調べあげているとは、思ってもみなかったのだ。


「だとして……なんだ」

「は?」

「お前の言う通り、今回の計画が企業よりで、住民の意見を無視しているとして、
それがなんだと言うのだ」


わかっていて進めていると言いたげな高次の態度に、直斗は驚き、言葉を止める。


「建築業界は、建てることが出来なければすぐに倒れてしまう。この計画が動けば、
私たちのような企業はもちろん、下請けの企業、そして関連企業が動く。
住民達が移動をすれば運送業界にも影響が出るし、ポプラタウンも住人が増えれば、
また新しい計画が動き出す。それのどこが悪い……。企業は利益を追求するものだ。
ボランティアではない」

「あなたにとって、建築はパズルやゲームのようなものですか?」

「パズル?」

「求められる場所に、求められるものを提供することが企業のすることです。形だけ造って
満足しているものは家ではない……。そこに集う人たちの想いが、反映されなければ、
そんなものはただの箱だ」


亘にとって直斗の発言は、予想外のものだった。兄の生き方そのものが、

利益を追求しているように、今までは思ってきたが、今、言っていることは、

それとは真逆のものになっている。


「……だから、お前は資料を渡すのか」

「どういう意味ですか?」


高次は横に置いていていた茶色の封筒から、1枚の書類を取り出すと、直斗の前に差し出した。


「東町住宅の件では、花岡議員がずいぶん活発に活動をしているようだ。お前が言うように、
ポプラタウンの問題や、保存樹木のことを住民に訴えかけている」

「そのようですね」

「お前が渡しているのか……」


高次は直斗から視線を外すことなく見つめ、そう問いかけた。


「だとしたら……、もし、資料を私が渡しているのだとしたら、どうなるというのですか?」

「直斗!」

「私は自分の考えを信じ、経営をしていくつもりです。それが気に入らないと言うのなら、
すぐにでも追い出してくれて結構です」


直斗はそう言い切ると、高次に背を向け、リビングを出ようとする。


「まだ未練があるのか……」


未練……。それが絵里のことを言っているのだとすぐにわかり、直斗はドアノブにかけた手を外す。


「だからお前は、東町住宅を残すのか」


廊下に立っている亘は、その言葉に直斗の返事を待つ。


「あなたとは違う……」


『それなりの愛し方』をすればいいと高次に言われてから、それだけは絶対にしたくないと、

直斗は思い続けてきた。


「これが私の愛し方です」


直斗がそう言いながら、リビングの扉を開けると、目の前には話を聞いていたと思える、

亘が立っていた。


軽く目を合わせた二人だったが、何も言葉を交わすことなく、直斗は2階へあがる。


「亘か……」

「はい」


亘の気配を感じた高次は、書類をしまいながら大きく息を吐いた。

どこか寂しげに見える父に向かって、亘は軽く頭を下げると、そのまま部屋へと向かう。


廊下を挟んだ直斗の部屋は、しっかりと扉が閉まっていた。絵里と別れてからの兄は、

仕事を終えるとすぐに家に戻り、この部屋にこもっていることが増えていた。


何をしているのだろうかと思っていた亘だったが、少し前の高次との会話で、その意味を理解する。


楓との結婚を決めながらも、兄の心はまだ絵里の元にあり、その想いを東町住宅に代えることで、

精神的なバランスを保っていた。



『私は、前を向いて歩きます……』



亘が描いたあの絵の笑顔を、目指すと言った絵里も、何かに気持ちをぶつけることで、

兄を忘れるつもりなのだろう。


二人の中にある、深く沈む想いを感じながら、亘は自分の部屋へ戻っていった。





「ねぇ、直斗。無理にことを荒立てる必要はないじゃない」

「……どういう意味?」


直斗は式場の打ち合わせを終えた後、楓と二人昼食を取っていた。マイペースに食べ続ける

直斗に比べ、楓のペースはなかなかあがらない。


「花岡瑠美さんとまだ、会っているの?」


直斗はその問いに答えることなく、しばらく手を動かし続けていたが、ナイフとフォークを置き、

口元を一度ナフキンで拭くと、楓の方を向いた。


「聞きたいことはハッキリ聞いてくれ。間違った答えを出すことになったら、
余計にややこしくなる」


楓が聞きたいことはすぐにわかったが、直斗はわざと問い返す。


「じゃぁ聞くわ。花岡議員に資料を提供したりしているのは、あなたなの?」

「……あぁ」


悪びれる様子もなく、平然とそう言った直斗に、楓は表情を変えた。


「……あぁって、それ、直斗、どういうこと? うちの会社が、どんな立場で
この払い下げ問題に取り組んでいるのか、わかっているでしょ?」

「楓……」

「何?」

「君には前にも言ったことがあるはずだけど、俺は、婿に入るつもりもないし、
プログレスは児島建設の子会社じゃない。君は児島楓から篠沢楓になるはずで、
それがしっかりと理解できていないのなら、結婚をする意味がないと思う」


楓はその言葉を聞き、何かを言いたそうに動かした口を、自ら閉じる。


「正しいことには従うよ、でも、間違っていることに従うつもりはない」


直斗はそう言い切ると、また食事を続けようとナイフとフォークを手に持った。


「間違っている? 今回の問題が?」

「あぁ……。楓も少し外へ出て、外から中を見たらいい。企業がいかに強引なのかがわかると思う」


企業側の否定を堂々とする直斗を見ながら、楓はそれ以上言い返すことなく、黙っていた。





「篠沢部長、おはようございます」

「おはよう……」


東町店、店長の大川は、特に店内にトラブルがあったとは思えないのに、

朝から慌てているように見える。


「何かあったの?」

「それが……」


大川が手に持っていたのは手作りのポスターで、来週の土曜日に、東町住宅の集会場で、

払い下げに反対する集会が開かれるというものだった。パート社員の一人が、

これを掲示板に貼ろうとし、見つけた自分が、慌てて剥がしたのだと、大川は説明する。


「すぐに取りました。児島建設を中心に進めている事業なのに、うちの掲示板にこんなものを……」

「貼ればいいじゃないか。どうして剥がすんだ」

「は?」


予想外の返事に、店長の大川は開いた口をそのままにし、そこに立つ。


「うちは会議に一度も参加していないようだし、あの掲示板は、地域の人たちが連絡用に
使えるように設置したはずだ。それを店側の理由で、勝手に剥がすのはよくないと思う」

「いや、でも、部長……」

「よし、僕が貼ろう」

「いや……あの……」


亘が大川からポスターを奪い、店の出入り口にある掲示板に貼り付けると、

買い物に来ていた主婦達が、そのポスターを興味深そうにのぞき込む。


「部長、そんなに目立つ場所に、貼らなくても……」

「もう少し、右をあげてください」


その声に振り向くと、カートを押している絵里が立っていた。


「右をあげてください。今のまま貼り付けると斜めになりますよ」

「……」



『私は、前を向いて歩きます……』



亘はその言葉を思い出し、少し笑顔を見せる。


「右? どれくらいあげたらいい?」

「親指一つ分、くらいですか?」


そう言いながら笑っている絵里に、亘は軽く頷き、OKと返事をした。





「思っていたよりも早く、世の中が動き出してくれました」


それから1週間後、瑠美は直斗を呼び出し、二人は食事をすることになった。

瑠美にしては珍しく、予約されていた場所は、個室のある店だ。


「父の話だと、議員の中でも少しずつ動き出してくれる人が増えたようです。
おもしろいものですよね、世の中の動きが傾いたのを知ると、賛同する人が急に増えてくる」

「……でしょうね」


瑠美はそう言うと楽しそうに笑い、直斗に現状の報告と、これから掲載される記事について、

話し始めた。直斗はそんな瑠美を見ながら、問いかける。


「瑠美さん、これだけ動いていただいて、お仕事の方は大丈夫なんですか?」


瑠美は説明していた手を休め、直斗の方を向く。


「あの会社は辞めました」


あっさりとそう言われたことに、直斗が戸惑っていると、瑠美はその理由を語り始めた。


「環境会議が、6月のはじめにあるのをご存じですよね」

「あぁ……はい」


世界の環境研究家が集まる会議が、東京で行われることは、直斗も知っていて、

参加する立場にはなかったが、そこで話し合われる議題には、興味もあった。


「そこに彼が来るんです」


瑠美は少し照れくさそうにそう言うと、目の前にある紅茶に口をつけた。


「イギリス時代の彼ですか?」

「はい……」


瑠美が交際を反対され、自殺未遂を起こしたと噂になった彼が、イギリスのNGOの代表として、

日本へ来るのだと言う。


「実は、あれからしっかりと連絡を取ったこともなかったんです。風の噂で、
彼がどんな活動をしているのかだけは、知っていましたが。でも、今回、
メンバーに名前があるのを見たら、会ってみたくなって……。もちろん、向こうは
新しく歩み出しているでしょうけど、それでも会ってみたいなと……」


2年ぶりの再会を、瑠美は楽しそうに語り始める。


「私の止まった時計を、もう一度動かそうと思っています。だめでも、彼と会って話をしたら、
そこからまた一歩、歩み出せるような気がして」


そう語る瑠美のことを、直斗も嬉しそうに見つめ、頷いた。


「篠沢さん、先日会いましたよ。あなたの大切な方に」


瑠美が誰のことをそう言っているのか、すぐにわかった直斗は、感情が顔に出てしまう気がして、

すぐに下を向いた。


「東町住宅の会長に、資料と掲示物をお願いしに行ったんです。車を停めたら、
ひょこっと顔を出してきて、ここは直斗の場所だよって注意されました」


大地が口をとがらすようにして、そんなふうに言う様子が、直斗の中ですぐに浮かぶ。


「直斗を知っているのって聞かれたので、友達だと答えておきましたけど、いいのかしら」

「友達……と思っていただけているのなら、光栄です」


瑠美はその言葉に頷きながら、テーブルの上に置かれていた食器を少しずつ片付けはじめた。


「本当は同士……と言わないとならないのかもしれないですけど、
大地君にはわからないですからね」

「大地……元気でしたか?」


そう問いかけられ、瑠美は笑顔で一度頷いた。直斗は嬉しそうに笑い、

ポケットからライターを取り出す。


「大地君のママにも、お会いしましたよ」


絵里のことを出され、直斗はすぐに表情を変えた。


「篠沢さんはお元気ですか? と、同じように聞かれました。今のように笑って頷いたら、
とても安心されたみたいに見えましたけど。大地君と二人、手をつないで、
買い物に出かけるところだったみたいで……」


絵里と大地の笑顔が浮かび、直斗は取り出したたばこを指に挟んだまま、しばらく見つめた。


「実は、今日ここへお呼びしたのには、もう一つ理由があるんです」


瑠美はそう言うと、横に置いていたバッグを開け、茶色の書類袋を取り出した。

それを直斗の前にスッと差し出す。直斗はその袋を開け、中の書類の表紙を確かめた。


「……これは」

「ポプラタウン建設に関する、極秘の資料です」

「どうしてこれを」


なぜ、こんな極秘の資料を瑠美が持って現れたのかと顔を上げ、その理由が語られるのを待った。


「父の側近が逮捕された後、児島建設や福本代議士の力が強くなることを恐れた
国土交通省の役人が、うちの事務所に持ち込んだものです」

「あの時にですか?」


花岡議員が逮捕されることは結局なかったが、政界の勢力図が変わったのは明らかで、

直斗はその時のことを思い出す。


「父の敵を討とうとしたメンバーが持ち込んだものなのですが、その時、父はこの書類を、
兄に渡すことはしませんでした。すでに、自分の中では政界の引退を決めていたようで、
わざわざ騒ぎを大きくする必要はないと、考えたみたいです」


確かに、この書類が表に出れば、児島建設や、今、力を振るっている政治家達に、

逆の影響が出ることは間違いなかった。


「でも、まさかここまで強引に、払い下げ物件を決めてくるとは父も思っていなかったようで、
児島建設をはじめとした今の建築業界には、正直、色々意見もあるようです」


直斗は瑠美の言葉を聞きながら、書類を1枚ずつめくり、これが本物だということを確信する。


「どうされますか?」

「どうって……」

「あなたが想いの代理にしようとした、払い下げ物件の阻止は、少しずつ形が見え始めました。
それでも、このままカゴの中で生きていくのか、なんとかして出て行こうとするのか……。
もう一度選択するチャンスを、この書類が与えられるのではないかと思ったので」


直斗は自分を見つめる瑠美から、視線を外す。


「篠沢さん、人生の選択は自分でするべきです。誰かに決められたと思いながら生きるのは、
辛いことじゃないですか。そういう私も、イギリスから戻った頃は、何も考えられずに、
言われるまま今の会社に入りましたけど」


絵里への気持ちを残しながら、逃げられない現実と、向かい合うしかない自分の日々を、

直斗は思い返す。


「この職場を提供してくれたのは父なのだと、思い続けて生きるのはイヤだと思ったので、
私は会社を辞めました。どんな結論が待っていても、選んだのが自分なら、
誰に責任を追わせることも出来ないですし……」


ポプラタウン建設時のことが、世の中に明らかになれば、確かに、児島建設が今ほどの勢力を、

持てなくなることは事実だった。


あの時、自分を悩ませていた仕事は、とりあえず順調に進み、もし、今、外へ出ることに

なったとしても、前ほどの抵抗をされることはないだろうと、直斗はじっと考える。


「もし、この書類を表に出してもいいと考えるのなら、もう一度、私に連絡をください。
兄に頼むことにします。でも、そうでないのなら……」

「……」

「篠沢さんも、しっかりと覚悟を決めてください」


直斗はその場で返事をすることなく、書類だけ受け取った。





会社へ戻った直斗は、もう一度瑠美に渡された資料を確認した。児島建設が当時の役人と、

ポプラタウン建設の入札を仕切った様子が、手に取るようにわかる。


この書類をどう使うのか、その選択は自分に任されていた。

どちらにも、道を開ける可能性のあるものを動かすのは自分自身で、選んだ道に対し、

責任を持てというのが、瑠美の伝えたかったことなのだろうと、直斗は思っていた。


瑠美に書類を戻し、児島建設から逃れる道を選ぶのか……

それとも……


書類を机に置き、大きく深呼吸をしながら目を閉じると、浮かぶのは絵里の姿だった。

ひと言、ひと言……、最後に伝えてくれた言葉を、直斗は記憶の中から、呼び覚ます。



『直斗!』



自分に向かってくる大地の笑顔が、直斗の手を電話へと向かわせた。

直斗は受話器に手を置いたまま、気持ちを整理するように、しばらく考える。





「もしもし……」


その電話の相手は、直斗の声に驚くことなく、会話を受け入れた。





31 愛すること へ……





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コメント

非公開コメント

だっ誰?!

きっ気になるぅうううう!
気になります!誰!?誰?!電話の先の人は誰?!
うわぁぁああん!!

やっぱり、私、瑠美さんの性格好きです。
いいなぁ~♪なんかすきっとしてて(^-^)

うふふ……それは秘密だよ

ヒカルさん、こんばんは!

昨日はなんだったんだろうか、この部屋に入れなくて、弾かれているうちに疲れて寝ちゃいました(笑)
なので、お返事遅くなってすみません。


>気になります!誰!?誰?!電話の先の人は誰?!

そうそう、そう思ってもらうために、そこで切ってるんだもん、次まで待ってください。
瑠美さん、人気あるんだよね、サークルの時にもそう言われました。