【S&B】 33 過去流し

      33 過去流し



缶コーヒーを手に持ち、車のそばにあるベンチへ戻った。思い切り泣いた後の三田村に、

その1本を手渡すと、両手でしっかりと受け取り、彼女はすぐ目に当てた。

あれだけ泣いたのだから、おそらく自分で違和感のあるくらい、腫れているのだろう。


「なぁ、三田村。あんなに綺麗な橋だけど、案外近くで見てみたら、錆びていたり、
電球が切れていたりなんてことも、あるんじゃないか……。そんなこと考えたことない?」


缶を開け、コーヒーを口にした。緊張していたからか、半分くらいが一気にノドを通過する。


「ここには、僕の忘れたい過去がある。だから君を連れてきた」


缶コーヒーを目に当てていた三田村が、それを外しこっちを向いた雰囲気を確認し、

さらに話し続ける。


「大学の時好きな人がいて、その人と将来は絶対に結婚するものだと、そう思ってた。
でも、彼女は就職を地元に決めて、僕にはたいした相談もなく、戻ってしまった」


当時、自分に関わってくれた人以外に、初めて千鶴のことを語った。三田村の心を開くには、

まず自分が過去を語るべきだとそう思ったからだ。


千鶴は病気になった父親が心配だと地元へ戻り、有名な酒造メーカーに就職した。

僕も、ビー・アシストに入ったばかりで、毎日の仕事をこなすことと、自分の道を切り開くことで

精一杯だったから、3ヶ月くらい会うことも出来ずに、連絡だけ続けていた。


距離が離れても気持ちはそばにある、そう思っていた。最初の頃は、お父さんの様態が

少しよくなったなんて情報も知らせてくれていたけど、夏を迎える頃から、少しずつ返事が

遅れるようになって、夏休みが近づき会う時間が取れると思った時に、彼女のお兄さんから

連絡があった。



『千鶴は婚約することになるから、もう連絡をしてこないで欲しい』



予想もしていなかったことに、僕は気が動転したまま彼女の住む大分へ向かった。初めての土地で、

地図を片手に動き、なかなか来ない電車を待ったが、彼女と会えるのだと思えば気にもならなかった。

そこまで話をした時に、僕は三田村の反応が気になり、話を止めた。

聞いても楽しくないことだろうが、全てを語った方が理解してもらえる、そう思った。

彼女は表面を見る人じゃない。だからこそ、僕が甘い物が好きなことも、きっと見抜けたのだ。


「……それで、会えたんですか?」


三田村の落ち着いた問いかけに、僕は一度呼吸をし、さらに気持ちを前へ送る。


「実際に行って初めてわかったんだけど、就職を決めた会社っていうのは、彼女の幼なじみの会社で、
そこの次男と婚約することになったってことだったんだ。しかも、その幼なじみは、
彼女の兄の親友で、東京へ出てくる前には、同じ高校の先輩と後輩として、付き合いもあったらしい」


三田村は黙ったまま小さく何度か頷きながら、僕の話を聞いていた。まぁ、そうするしか

なかったのかもしれないけれど、手渡したコーヒーを開けることなく握り続ける。


「町全体が、その系列会社で潤っている土地柄だった。近所の人も当たり前に就職し、
お母さん達はパートとして働き、彼女の親戚も……」


僕が彼女の家を訪れた時、まだ、療養中の父親は、丁寧に頭をさげて迎えてくれた。

ここまできた僕の気持ちは理解できるけれど、千鶴は手放せない。そう体が語っていた。


「彼女の父親も、そこの社員だった。まぁいい玉の輿だ。地元の有力者一家に入れる」


千鶴が婚約を決めた男の親は、市会議員として力を持っていた。父も、兄も、母でさえも

働く会社に逆らって、生きていくことなど無理なのだと、僕はその時初めて気付かされた。


「東京とは明らかに違う環境だった。僕は駅まで送ってくれた千鶴に、このまま別れてしまうことが
嫌で、一緒に東京へ行ってしまおうってそう提案した。でも、彼女は首を縦には振らなかった。
家族の職を失うかも知れない、そんな賭けには最初から出られなかったんだろう。
その土地でずっと生きてきた歴史までは、僕も理解できなかったし、父親が病気になれば
なおのこと……。就職をそこに決めた時点で、彼女の答えは出ていたのに、自分たちの温度差に
僕自身が気付けなかった」


千鶴が大学を卒業したら、話を進めようと最初から周りは考えていて、そんな計画を知らなかった

彼女が東京で僕と恋をしてしまった。それでも結局呼び戻され、目の前に広がった現実に、

千鶴は身動きが取れなかった。


レインボーブリッジのライトが、さらに眩しく光り、僕にその存在をアピールする。

あの日見た橋は昼間だったからか、ここまでの重みは感じなかった。


「それでも、帰りの新幹線で、彼女にメールを打った。待ってる……って」


福岡からの6時間、千鶴からの返信だけを待ち続けたが、それが届くことなく、僕は東京に戻った。


「それから2ヶ月ほどして、彼女からメールが入ったんだ。東京へ行くから来て欲しい……。
その指定された場所が、ここだった」


少し前に三田村が歩いていた舗装道路を見ながら、その時のことを思い出す。

ところどころ見えていたむき出しのコンクリート、そして、掘り起こされて山積みされた土。


「僕は千鶴が来るって気持ちが高ぶって、でも、親友の悟は絶対におかしいから行くなとそう言った。
ケンカしながらここへ一緒に着いてきて、僕を待っていたのは、彼女の婚約した男だった。
酒造メーカーの会合が東京であって、取り上げた千鶴の携帯から、僕にウソのメールを出したんだ」



『いつまでも、未練たらしい男だな……』



「そばに一緒にいたのは彼女の兄だった。そこで気持ちが切れて、気付いたらその男を殴ってた。
地位と、権力と、そんなもので他人を思い通りにしようとする気持ちが許せなかったし、
こんな男をどんな理由があるにせよ、千鶴が選んだことも許せなかった。このコンクリートの表面に
血が付くほど殴った時、それを止めに入ったのは心配してついてきてくれた悟で、
あの時、あいつがいなければ、僕は警察につかまったはずだ。その後、傷害罪で訴えるといった
その男をなだめたのは……千鶴だった」


僕は残りのコーヒーを全て飲み干し、大きく息を吐いた。あの時、悟がいてくれなければ、

こんな日々を過ごすことは出来なかったかもしれない。騙した男にも怒りがあったし、

騙された自分にも腹が立った。


そして、自分の気持ちを前に出せなかった彼女にも……。


「結局、彼女の立場をさらに追い込んで、僕たちは終わった。これが僕の忘れたい過去」


そう言い切って僕は三田村の方を向いた。ここまで語るべきことじゃなかったかもしれない。

それでも、彼女には全てを知って欲しかった。失敗など誰でもすることで、そこから新しく

歩くことが大事なんだと、そう伝えたかった。


三田村は少し黙ったまま、手に持っていた缶のプルをカチッと開ける。その音の方向に、

自然に目が動く。


「初めてでした。ビー・アシストのような大きな営業部に行くのは。みなさん、自分の仕事に
誇りと自信を持っていて、こんなふうに進んでいく人生もあるんだなって、いつもそう思ってました。
私は、なんのとりえもなくて、必死に頑張らないとならない店でも、自分に向けられる視線が怖くて、
結局逃げたんです」


ライターの店にいた時のことを、三田村が語り出し、僕は黙って聞いた。


「お店で体に触れる人がいても、なんとか我慢することが出来たんです。でも、耳元で今度、
マンションへ来いと言われた時、全身に震えが走るくらい、鳥肌が立ちました。私は、
そんなふうにしか人に見られなくなったんだと、すれ違う人の視線が怖くなったんです。
交差点で向かいあうだけでも、みんな自分を見ている気がして、ちょっと耳元でヒソヒソ話など
されてしまうと、あの人は、私の過去を知っているんじゃないかって……足が震えて……」


メガネをかけていた理由が、三田村の口から明らかになった。自分の本心を隠すために、

彼女は一人、必死だった。


「だから派遣社員を選んだんです。派遣なら長く同じ場所に勤務することもないですし、
社員じゃないですから、色々と語らなくてもすみます。嫌だと思えば、すぐに辞められる……。
でも、主任は違いました。まだ、来たばかりの頃、『営業部をどう思うのか』と聞かれて、
驚いたんです。私達みたいな存在に、目を向ける人もいるんだって……」


今野が企画を持ち出した時、原田の情報から僕は彼女たちをまず疑った。その時のことを、

三田村はいいように受け取ったようだ。妙な勘違いから、生み出された感情なのかと思うと、

少しおかしく、つい笑いそうになる。


「それぞれ、真剣に仕事に取り組む営業部のみなさんは、一人一人が輝いて見えました。
働くって本来はそういうことなんだって」


三田村は缶に口をつけたが、飲むことなくまた元へ戻す。そんな行為に、色々と思い出すシーンが

あるのだろうと、僕は黙ったまま彼女の方を向いた。


「その中でも、主任は輝いてました。自分の生き方に、仕事に、誇りを持っている人だと思えたし、
私とは絶対に交わらない人生を歩いている人だと、ずっとそう……。だから……」



『私の宝石だから……』



思い通りに生きられなかった三田村の無念さが、やっと乾いてきた瞳に、また涙をため始める。

僕の感情もそっちへつられそうになり、変わらずに光り続ける橋の方へ目を逃がす。


「そんなふうに思ってくれていたのに、過去を聞いてガッカリしただろ。いや、そもそも
僕のイメージは本人からかけ離れているところにあるんだよ。虚像だけが一人歩きして、
本物はたいしたことなんてなくて。そう、側に行ってみたら、傷だらけだった橋と一緒だ」

「いえ……」


三田村は僕の視界の隅で、何度も首を振った。小さな彼女の仕草に、僕の気持ちがまた少し楽になる。


「本心を隠されるのは……、我慢されるのは嫌なんだ。思ったことは伝えて欲しい」


千鶴とのことで学んだこと。離したくなければ、引いてはいけない。本心を聞き出すためには、

多少強引でも、前に出る。


全ては、後悔しないために……。


「思い出しませんか? その人のこと……」


京佳さんを初めて写真で見た時、千鶴の成人式を思いだした。彼女と過ごした日々に

似た時を過ごすと、ふっと記憶の中からよみがえることもあった。


しかし、僕は小声でそう問いかけた三田村の方を向き、彼女の潤んだ瞳でも確認できるように、

しっかりと首を振る。


「もう、思い出すことも、話すこともない。……ここで終わりだ」

「……」


「君に話すことが出来たから……」


僕はもう、千鶴のことを思い出しても、心が引きずられることはない。

だからこそ三田村にも、過去を思い出し小さく生きることを、ここで最後にして欲しいと思った。


僕の言葉の意味を理解したのか、彼女の目から、たまっていた涙がまっすぐに落ちる。

どこからの光なのかわからなかったが、僕にはその雫が宝石のように光って見え、

こぼれ落ちないように慌てて左手を彼女の頬にあてた。


その指に、涙が吸い込まれるように消えていく感覚の中で、僕は自然に三田村に触れる。

彼女の柔らかい唇の感触が、僕に今を示し、一度離れた僕らの想いは、夜風に後押しされ、

もう一度重なりあった。


消してしまいたい僕らの過去の思い出は、三田村の優しい涙に流されていった。





34 ため息の処理 へ……




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コメント

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だんだんに…

徐々に近づいている二人。今はまだ越えないといけないいろいろがあるけど
祐作の想いは揺らがないから大丈夫!だよね、ももんたさんv-415

タイトルに納得^^

はぁ・・・二人にとって本当に大切な場面でしたね。

彼女の過去を受け入れることを証明するために
自分の過去も彼女に話す祐作・・・。
これなら三田村ちゃんも惨めな気持ちに浸らないで済みますね・・! ほんと祐作、いい男だ~☆

ラストの表現・・・
本当に素敵です! ももんたさん・・素晴らしいです(〃▽〃)

>僕にはその雫が宝石のように光って見え
・・祐作にとっても三田村ちゃんの存在は宝石なのね・・・^^

>女の柔らかい唇の感触が、僕に今を示し
・・ここの「今を示し」って、胸に響きました~!

>消してしまいたい僕らの過去の思い出は、三田村の優しい涙に流されていった。
・・タイトルの「過去流し」と相まって・・(*^^*)
ここから二人は一緒に新しい一歩を踏み出せそうな予感がします。
三田村ちゃん、もう逃げないで、しっかり祐作と歩んで行ってね~!

優しい口づけ

新しい恋が古い恋を押し流して・・・それでいいのだと思います。
何時までも過去に囚われていては何も始まらない。一歩踏み出すのには勇気がいるけれど、誰かと一緒なら力を貰えて、踏み出される道もその一歩を待ってるかも。

古い因習が人間を放さないことってあるよね。仕方が無いこともあるし・・・
日本てそういうところが良かったりすることもあるから、難しい。

よかった~

とりあえず良かった!!!

心の痛みを知っている二人だから、穏やかな時間が過ごせるのではないでしょうか?

簡単に、ハッピーエンドとはいかないのかもしれませんが、とにかく二人が歩み寄れてホットしました。

むむむ……

Arisa♪さん、こんばんは!


>祐作の想いは揺らがないから大丈夫!だよね、ももんたさん

ここ、ちょっぴり脅迫じみてますね(笑)
いやいや、そうですよ。祐作は移り気な男じゃないので、
大丈夫だと思っております。v-391

じっくりと進んでいく二人v-439を、これからも見守ってね。v-422

ちょっぴり照れます

eikoさん、こんばんは!


>彼女の過去を受け入れることを証明するために
 自分の過去も彼女に話す祐作・・・。

物語のスタートから、チラチラと出ていた千鶴の存在が、今回明らかになっています。
ここのところ望の過去の方に頭が引っ張られていたと思いますが、
あ……そうかと、思っていただけば。v-290


>>女の柔らかい唇の感触が、僕に今を示し
 ・・ここの「今を示し」って、胸に響きました~!

ありがとうございます。書きたいこと、表現したいことはたくさんあるのに、
文章力がまだまだ追いつきません。それでも、自分なりに感じた言葉で表現できたらと……。

こんなふうに感じ取っていただけると、本当に嬉しいです。v-315v-411

そうなんだよね

yonyonさん、こんばんは!


>一歩踏み出すのには勇気がいるけれど、誰かと一緒なら力を貰えて、
 踏み出される道もその一歩を待ってるかも。

おぉ、yonyonさん、表現が素敵です。v-353
一歩に勇気がいりますけどね、出てしまえば二人の力で歩めるものです。v-439


>古い因習が人間を放さないことってあるよね。
 仕方が無いこともあるし・・・

そうなんですよ。今回は、事情を作るためにこう表現しましたけど、
逆のパターン(つながりが人を助ける)の作品もあるかもしれないなと。
都会のあっさりにいいところもあれば、田舎のつながりにいいところもあるんだよね。
確かに、難しい……v-390




人の心

hiroさん、こんばんは!


>心の痛みを知っている二人だから、
 穏やかな時間が過ごせるのではないでしょうか?


他人の想いは、聞いてみないとわからないですよね。v-388
望も祐作の告白で、自分だけが過去を引きずってきたわけでは
ないと、感じたことでしょう。

しかし、人は自分だけで生きているわけではなくて……

これからまた、あたらしい展開になりますので、おつきあいください。v-422

うふふ

v-410yokanさん、こんばんは!


>ドラマチック~(〃▽〃)二人の会話している様子が
 映像として頭の中に流れてるわ~。

ありがとうございます。
なかなか思ったことを表現するのに、言葉足らずでイライラe-262することもあるのですが、
伝わった……と言ってもらえると、ほっとします。

自分の過去を話し、望の気持ちを楽にしようとした祐作。
歩み寄っていく二人と、その想い。
これからも、見守ってください。

うんうん。。

よかった~v-237

過去を話して望の気持ちを軽くしてあげながら、
祐作自身も一歩踏み出せたv-238

これから望がどうするのか気になりますが、
二人が幸せに向かっていって欲しい!




前へ!

beayj15さん、こんばんは!
抜歯のどんよりから、抜け出せずにお返事が遅れました。


>過去を話して望の気持ちを軽くしてあげながら、
 祐作自身も一歩踏み出せた

そうなんです。実は祐作自身も前へ出ることが出来た、
ここは大きいですね。v-221

次回から、また新しい展開を見せていきますので、
これからもお付き合いよろしくね。v-290