36 思い出話 【36-4】

【36-4】

三村さんは、うちの事務所でもコーヒーメーカーくらいあると、また怒っている。


「まぁまぁ、ボン。とにかくここへ。で……お嬢さんは……」

「あ、長峰です」

「はい、そうそう、長峰さん」


番場さんは目が悪いのだろうか、

小さな双眼鏡のようなものをポケットから出すと、私の方を見ている。


「……かわいらしい唇ですね、ふっくらして、キラキラして」


……唇?

番場さん、私の唇を見ているってこと?


「なんだかこう……吸い込まれそうな」


吸い込まれるって……


「おい、チュースケ」

「はい」

「はいじゃないよ、何しているんだ」

「何って……素敵なものを見て……あぁ、はい、わかりましたよ、
久しぶりですからね、これ以上、機嫌を悪くするようなことは避けます。
俺のものを、舐めるようにじっと見るなってことですよね」

「そういうことは言っていない」

「いないけれど、察しろ……でしょう」


なんだろう、弁護士というイメージからすると、

あまりにもかけ離れている気がするけれど。


「ごめん、チュースケは昔からこうだから、気にしないで」

「はい……」

「そうそう、気にしたらだめですよ。男はみんな底辺がスケベなので」

「チュースケ」

「あはは……」

「全く、よくそんな性格で、弁護士なんてやっているな」

「いやいや……もう引退の身でございます」


圧倒されてしまうけれど、なんだか品のない会話のような気がするけれど、

それでも、嫌な気がしない。番場さんの口調や態度が、そして三村さんの怒り方が、

互いをとっても信頼しているような、そんな気がする。


「あの書類、出してくれる」

「あ、はい……」


お母さんと弁護士さんから渡された書類。

バッグを開き、デザインブックの横にある封筒を抜き出した。


「これです」

「あぁ、見なくてもわかりますよ。私が作らせましたからね」

「は?」


番場さんが、作らせた?


「そんなことじゃないかと思ったよ、チュースケ」

「いやいや、奥様から急に連絡が入ったのですよ。ボンをこっちへ呼び寄せる、
そう、『ゴキブリホイホイ』のような書類を作って欲しいと。
で、横田がどうすればいいかと聞くので、『らしきもの』をこう……アドバイスしてね」

「『ゴキブリホイホイ』って……」

「あぁ、失礼しました。ボンを呼ぶので『ボンホイホイ』ですかね」


番場さんは封筒から書類を抜き出すと、2枚の紙をそれぞれ持ち、見比べた。


「まぁ、いい線ですよね、こんなところで。こう、書式も綺麗だし、
文言も、それなりって感じですし」

「……ったく、これを急に渡された彼女の身にもなれ」


そうです。弁護士が出てきて、これが出てきたときには、

頭の中が真っ白になったのだから。


「そうは言いましてもね、ボン。
それなら、急に後継者に消えられた社長の身にもなりましたか?」


三村さんのお父さん。

自分の背中を追ってくれると思っていた息子が、急に消えてしまったのは、

確かにショックだっただろう。

何か言い返すかなと思って横を見てみるけれど、三村さんの口は閉じられたまま。


「まぁ……親子なんてものは、そんなものですよ。
子供は親の期待を裏切りながら、成長するものですからね」


番場さんは、そんな話をしながら、渡した書類をシュレッダーにかけてしまった。

ということは、何もこちらが対応する必要はないということだろうか。


「一度、折原家へ戻られた方がいいですよ、ボン」

「戻って何をするんだよ。それで収まるのならとっくにそうしている」

「いやいや、許されなくてもいいではないですか。
ボンが成長している姿を、社長は見たがっていますよ、きっと」

「……なわけないって」


三村さんと番場さん、会社の顧問弁護士というより、もっと身近な気がする。


「あの……」

「はい」

「番場さんは、三村さんの昔をいつから……」

「三村?」

「あ……いえ、折原さん」

「三村紘生という名前で仕事をしているんだ。折原の名前を語りたくないから」


番場さんは、シュレッダーの電源を切り、首を横に振った。


「折原を語りたくない」

「あぁ、俺は折原をきっぱり捨ててきた。だから、名前を使いたくない」

「いやいや、それは勝手な言い分で、ただの現実逃避ですよ、ボン」


現実逃避……

番場さんが遠慮なく言うので、思わず三村さんを見てしまう。

唇、強く結んでいるけれど、言葉は出ない。


「なぜそんな面倒なことをするのですか。
正々堂々と、折原紘生を名乗ればいいでしょう。
ボンは何一つ悪いことをしていない……いや、しているな。ほら、これこれ。
使い込み?」


番場さんは細かく裁断された紙を示した。


「いいよ、細かいことは……」

「いやいや、弁護士ですからね、細かいことにこだわりますよ」


番場さんは、私たちに出してくれた缶コーヒーをさらに一つ取り出し、

あらためて目の前に座った。




【36-5】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

≪Dressing 豆知識≫
日本で一番多いのは『スギ』の木。
『花粉症』の時期になると、お騒がせするスギだが、
やわらかい樹種なので、家具よりも小物向き(樽や桶)の材料になることが多い。

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