【S&B】 34 ため息の処理

      34 ため息の処理



三田村をアパートに送り届けた時には、日付が変わるすこし前だった。いつものように

丁寧に頭を下げた彼女は、少しはにかんだ笑顔で、再会を約束し部屋へ戻る。

僕は、長い間持ち続けていた荷物を降ろした気分で家へ戻り、カギを開けリビングへ向かった。


「うわぁ……」


真っ暗な部屋の隅に、しょげた悟が座り込んでいた。テーブルには小さな箱が置かれていて、

その箱の中身がなんなのかすぐにわかった僕は、こっちを向かせようと手に取り声をかける。


「これ指輪だろ。いよいよ琴子に渡すのか?」

「いらないんだと……」


悟はそこから立ち上がると、空になり手でつぶしたビールの缶を、ゴミ箱へ放り投げた。

それは縁にあたり下へ落ちたが、そのまま無視して部屋へ戻ろうとする。


「おい、悟」

「結婚は出来ないって言われた。祐作、お前、前に臨海総合病院で琴子を見かけたって言ったよな」

「あぁ……でも」


二人で勝手に琴子の妊娠を祝った日から、時間は流れていて、それは勘違いだったと

思っていたが、悟は僕から指輪の箱を取り上げ、外してもらえなかったリボンをじっと見た。


「……琴子、検査してたんだと」

「妊娠の?」

「いや、あいつ、子供が産めないんだって」


悟は視線を動かすことなく、じっとリボンを見つめ寂しそうにそうつぶやいた。思いがけない話に、

僕もどう言葉をつなげていいのかわからず、ただ前だけを見る。


「俺さ、何も言えなくなったんだ。琴子が淡々と検査の結果がどうだったとか、
前にも別の医者に診てもらったけど、同じことを言われたとか、目の前で語っているのに、
何も言えなかった。そんなこと気にするなよ、俺は琴子がいればそれでいいんだって、
言ってやることが出来なかった」


涙を見せてはいないが、悟の心が泣いている、僕にはそう見えた。

予想していなかった出来事にぶつかり、戸惑う気持ちは理解できる。

三田村の過去を知った瞬間、僕も気持ちがぶれそうになったからだ。


「何度も言おうと思ったよ。そんなこと関係ないって。でも、関係ないこと……ないじゃないか。
結婚したら誰だって、親になっていくものだって、そう……」


悟はそれだけ言うと、崩れる自分を見せたくなかったのか、部屋へ入ってしまった。

三田村の……、琴子の……、悟の……

そして自分の傷が見えた1日は、こうして終わりになった。





それから1週間後、僕はローズ色のスリッパを履き、キーンという音のする場所で、

あごが痛くなるほどの時間、大きな口を開け続ける。


「はい……そのままじっとしていてください」


そう何度も首を傾げないでくれ、目障りだと思いながら、なぜか小指の立っている

歯科医のクリーニングは、こちらから確認できないことをいいことに、常識を越えた。


「あはは……」

「笑い事じゃないぞ、琴子。お前がどうしてもっていうから、クリーニングしにきたけど、
なんだあの医者は。あごが痛くなるほどのクリーニングなんて聞いたことない」

「A、B、Cランクなのよ。だから祐ちゃんは一番いい男コースに入ったってこと」

「……望んでない」


昼休みになった琴子を連れて入ったレストランは、ご近所の主婦達が、甘い物を食べながら

大きな声で笑うような、気軽な店だ。初めはくだらない話をして笑っていた琴子だったが、

注文した品が目の前に並ぶ頃に、すでにわかりきっている本題を語り始める。


「悟……、どう?」

「どうって、とりあえず仕事には行っているみたいだけど、家にいてもリビングでボーッと
天井を見上げてるよ」

「そうか。もっと早く別れちゃうべきだったな。私も、最後の検査の結果が出るまでって、
ずっと言い出せなくて、引っ張っちゃったから。だってさ、突然指輪なんて出すんだもの。
悪いことしちゃった」

「……本気で別れるのか?」

「仕方ないじゃない、私が悪いんだもの」

「悪いって……」


淡々と語る琴子が、僕は信じられなかった。心を引き裂かれそうな悟の苦しそうな顔と、

目の前の琴子の顔が結びつかなくなる。


「悟ってさ、本当はすごく優しいのよ。不器用だけど。だから、いいパパになりそうな気が
するんだよね。そんな未来を奪ったら、かわいそうじゃない」


女というのは、これだけ度胸の座った生き物なのだろうか。バッサリと切られた悟のことを思うと、

同じ男としてむなしささえ覚えてくる。


「お前、簡単に言うな。あいつ、後悔してたぞ。お前に言葉をかけられなかったって……」

「わかってる。でも、そこが悟なのよ。そんなこと全然気にしないよなんて、その場で言われたら
逆にしらけるわ。だって、大きな問題だもの。簡単にOK出せるようなことじゃないじゃない」


琴子は何度もスプーンでドリアを口に運ぶが、料理はなかなか減っていかない。

平然としているようで、本当は辛くてたまらないのだろう。


「100%無理だとは言えないけど……って、先生ったら気を遣ってくれて。でもさ……」


琴子の途中で切れた言葉の続きが、本当は口から出ていくものと違う気がした。


「少し落ち着いたら、うちでゆっくり話せよ。本当に簡単なことじゃないんだ、だからこそ、
とことん話した方がいい」


琴子はその僕のセリフに、何も言い返すことなく、またドリアにスプーンを入れ、

どうでもいいくらいの量を、口にした。





8月も終わりを迎え、3月の終わりから営業部に入ってくれた大橋と、三田村の代わりに入ってきた

鮎川さんの派遣契約が残り1ヶ月になった。宴会が大好きな濱尾は、そろそろ送別会の準備を

始めた方がいいのではないかと動き出す。


「濱尾、ハリネズミから電話だぞ!」

「……あぁ、もう。どうして僕の仕事は、あの人が絡むんですかね」

「気に入られたんだろ」


僕が軽くそう返すと、濱尾は泣き出しそうな顔をして、首を横に振った。椅子から立ち上がり、

直立不動のまま、濱尾はハリネズミに何度も頭を下げる。


「主任、送別会に三田村さんも呼ぼうかと思うんですが、どうですか?」


大橋と鮎川の都合がいい日を聞き出していた原田が、そう僕に問いかけた。

三田村には自分が連絡すると嬉しそうに笑う大橋が、さっそく携帯でメールを打ち始める。


そんなことをしなくても、僕からいうよ……と言えないまま、原田の提案に軽く頷いた。





「はぁ……」


ハリネズミとの電話を終えた濱尾が、椅子に座り込んだ時、外からサイレンの音が聞こえてきた。

一番窓に近い守口がすぐに立ち上がり、様子を見る。


「ん? 消防車と救急車ですよ。うちの前で止まりました」


力が抜けていたはずの濱尾は、力をよみがえらせ、すぐに窓の外を見た。

どこかぼやでも出たのかと、僕も立ち上がると、後ろから今野の声が届く。


「主任、受付からです」


内線電話を取ると、受付は慌てて話し始めた。会社の前に止まっている救急車は、

第一営業部の青山祐作を運びに来たと言い、受付に救急隊員が二人待っているらしい。


「いや、僕は運ばれないとならない状態じゃないけど……」


消防車もビー・アシストで煙が上がっているという情報から、ここに駆けつけたと言う。

とりあえず1階の受付へ向かい、しっかりと任務をするためにやってきた救急隊員に、

僕は何も連絡をしていないこと、おそらくいたずらだろうと話をして、その場を引き取ってもらう。


この不況の中でも、うちが成績のいいことを恨みに思ったライバル会社の仕業だとか、

濱尾がそれらしきシナリオを用意したが、結局、犯人がわかるはずもなく、

その日の出来事はお茶の時間を和ませる話題として、笑って済まされた。





しかし……、事件は再び日付を変えて起きた。





「すみません、ラッキービザですが、青山祐作さんはいらっしゃいますか?」


その呼びかけに僕が振り向くと、二人のバイトらしき男が営業部の入り口に立っていた。

両手に抱え持ってきたのは、確かにピザなのか、営業部にいい匂いが漂い始める。


「青山は僕ですが……」

「ゴールデン・トリプルピザを10枚、お待たせいたしました!」


消防車の時には笑っていた守口も、寸劇のシナリオを勝手に書いた濱尾も、

主任が恨みを買うはずがないと少し膨れていた原田も、その日は笑うことなく黙ったまま僕を見た。





35 見えない足音 へ……




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コメント

非公開コメント

アイツ!!!

これはアイツの嫌がらせだな。v-412
段々エスカレートして行くのが目に見える。
早いうちに手を打たないとe-281

悟と琴子のことは難しいなー。二人だけで済む話ではなくなるし、家族を含めてかかわってくる問題だから。だから空元気と解るだけに琴子の気持ちが切ない。悟が優しいのは祐作が一番知ってる。

ん~~~

ももんたさん、おひさぶりですその後お口の中は落ちつきましたか?

幸せの雰囲気から一転、祐作に暗雲が。どうする祐作
あいつなのかな。しかし、そうだとしたら、かなり大人になれなかった歪んだ性格かなー。絶対自分の元を離れない、離れるはずがない。独占欲が変な方向にいっちゃってる。負のエネルギー強し

負けるな祐作私が応援してるよ

yonyonさん、こんばんは!
【S&B】を読んで、少しは元気になりましたか?
元気にさせられるような回じゃなかったけど。


>これはアイツの嫌がらせだな。
 段々エスカレートして行くのが目に見える。

だよね、そうだよね。
きっと祐作も、そう思っているのではないかと……思われますが。v-388


>空元気と解るだけに琴子の気持ちが切ない。

祐作にも悟にも、転機が起きているということでしょう。
次回へ続くのです!v-356
いつもありがとう。

milky-tinkさん、こんばんは!
お口の心配、ありがとう。
なんとか、少しずつ痛みは減っております。v-410

私としては、一気に減って欲しいところなんですけど、なかなか相手も手強いです。e-277


>あいつなのかな。しかし、そうだとしたら、
 かなり大人になれなかった歪んだ性格かなー。

そう、人ってきっと誰でも持っているんだけど、大人になるとコントロール出来るんだよね。
それが出来ない人がいる。

はてして、あいつなのか……どうなのか。

祐作への応援、これからもよろしくお願いします。e-319

嫌な感じだよね

yokanさん、こんばんは!


>三田村ちゃんのいとこ君の嫌がらせかしら・・・不気味だよね。

だよね、みんなすぐにそこへ行くよね。
祐作も、ちょっと浮かれていた気持ちが、悟たちのこと、この問題のことで、引き戻されております。v-390

祐作と望、悟と琴子、どんなふうに展開するのか、まだまだお付き合いお願いします。v-423