サイダー 1 ユンとブン

1 ユンとブン


一家団欒の中、私の携帯がいきなり鳴り出した。クイズ番組の答えを気にしながら、携帯を開ける。



『ユン、頼む。迎えに来て! 財布落とした!』



情けないような声で、そう言ったのは、谷岡尚文……ブンだった。うちは3代続く『和菓子屋』。

そして、小さい頃遊んでいた空き地にあっという間に建てられた家の一軒に越してきた谷岡家。

その当時住んでいたブンのおばあちゃんが、うちの和菓子を気に入ってくれて、

家族ぐるみの付き合いが始まった。


私には1つ年上の姉がいて、ブンには一つ年下の妹がいる。

私を含めた女三人に囲まれたあいつは……昔からやたらに愛想がよく、誰にでも優しい

ちょっとまぬけなやつだった。


でも……ずっと、私の心の中に住み続け……。


「お母さん、ちょっと車借りるよ」

「エ……どうしたの?」

「ブンのバカが財布落としたんだって。希望ヶ丘の駅前でお地蔵さんのように立ってますって
電話があった!」

「……あはは……」

「笑わないでよ、お姉ちゃん!」

「あんた、一生ブンの尻ぬぐいだね、ユン……」


そう、まだ正式には決まっていないけど、二人の道筋は決まりかけている。

ブンは私の旦那様になる……はず……なんだけど……。


「いいのか? ブンで……。あいつ愛想はいいけど、生き方下手だぞ……」

「お父さん、そういうこと言わないの!」

「……行ってきます!」


私は、家族に笑われながら、ブンのために車を走らせた。

財布なんてどこでどう落としたんだろう……。片道30分の道のりは、こんな想いを巡らせていると

あっという間だった。


「ブン! こっち!」

「あ……」


私に気付いたブンは、手をあげこっちへ向かってきた。全くもう、クイズ番組の答え、

わからなくなっちゃったんだから!


「ごめんな、ユン……」

「どこで落としたのよ、財布……」

「うーん……どこだろう……」


真剣に考えてもいないような表情に、少し腹を立てる私。


「俺、運転しようか?」

「……そう?」

「少なくともこの間、ガードレールに突っ込んだユンよりは上手いはずだし……」


3ヶ月前、足元に飛んでいた蚊に気を取られて、ガードレールに突っ込んだ私。

どうしていいのかわからなくて、泣きながらブンに電話をした。


「……いつまで言うのよ! そういうこと言うならもう迎えになんて来ないからね」

「……はいはい……」


ブンは私の手からキーを奪うと、運転席へ入っていった。顔ではふくれっ面をした私だけど、

本当はすごく嬉しいのだ。運転していたらブンが見られないけど、助手席なら横を向いて、

ミラーを見て……ブンのことが確認できる。



……好きなんだよね、こんなやつなのに……。



「来週見に行こうよ、新作……」

「エ……チケット取れたの?」

「お前、俺がどこに勤めてると思ってんの?」

「あ……そうか……」


昔から映画が好きだったブンは、大学を卒業して『映画会社』に就職した。

私はたいした夢もなかったから、短大を卒業して文具メーカーの事務をしている。


「なぁ、ユン。来月どっか行かない?」

「来月?」

「うん……ちょっと近頃ゆっくり会えないし、お前のところ行っても大騒ぎになるだけだろ。
たまには温泉とか行ってさぁ……」

「……」


ブンはウインカーを出し左折する。私は横顔を見ながら一言言ってやった。


「スケベ!」

「……は? なんだよ、それ」

「見え見えなんだもん。色々理屈並べるところがいやらしい!」

「健全なる男と女でしょ! 二人でいたくて旅行に行って、どこが悪いんだよ!
なんだよ、このままホテルへ車を突っ込んでやる!」

「誰がお金払うのよ!」


ブンの前ではいつも素直でいられた。来月……じゃなくても、明日でもいいんだ。

本当は二人でゆっくりしたい。


「ブンが探しなよ……温泉……」


30分のデートは、こんなふうに過ぎていった。





家に戻り、部屋へ向かう。右の窓を開け、斜めに視線を移す。大きな木があって、

その奧には谷岡家、そう、ブンの家がある。私は部屋の灯りを確認し、カーテンを閉めた。


ブンと私はずっと順調だったわけじゃない。本当に付き合い……を始めたのは、

ここ2年半くらいのことなのだ。青春……と呼ばれる時代をずっと一緒に過ごしてきたのに、

距離は全然埋まらなかった。


本棚の一番端、ピンクのアルバム。高校時代の思い出が貼られている。同じ高校の同級生だったブン。

剣道部に所属し、毎日汗を流していた。私は吹奏楽部に入り、同じように頑張っていた。

そして……もう一人……。


このアルバムは、もう何年開いてないだろう。思い出したくない記憶を封じ込めたまま、

ずっと残している。


ブンが、私のものじゃなかった時代……。いや、私がただの幼なじみだった時代……。

幸せに浸ろうとすると、心のどこかでその思い出がチクリと刺してくる。





「おはようございます……」

「西口さん、伝票の確認を終えたら在庫の確認行ってきて」

「あ、はい……」


第三営業部、主に法人関係を対象としている部署だった。10名の社員が忙しく働いている。


「伝票の在庫があるかどうか、確認終えたら二部の山瀬チーフに渡して……」

「……はい……」


私は部長から書類を受け取り、新人の林原さんと在庫の確認に向かった。社内倉庫にないものは、

都心から離れた場所にある大きな倉庫に、電話で確認をする。そして、その用紙を持ち、

第二営業部へ向かった。


「あの……確認終えたので、よろしくお願いします」

「……ありがとう」


林原さんに書類を渡させ、少し後ろでそれを見ている私。山瀬チーフは書類を受け取った瞬間、

スッと視線をこっちへ向けた。


山瀬克之。私とブンがただの幼なじみだった時、隣にいたのは彼だった。

入社して2年目、食事に誘われ、付き合って欲しい……と告白された。

ブンを忘れてしまいたかった私は、山瀬チーフの申し出を受けた。優しく、包容力のある彼に、

このままずっとついていくのだろうか……。そう思っていた矢先。



『ユン……ブンが撮影機材に挟まれて、病院へ運ばれた』



姉からのメールで、私の心の中で隠れていた想いが飛び出していた。会社を早退し、

病院へかけつける。ただの幼なじみでも構わない。他の人なんて、

私は今、好きになることなんて無理なんだ……。


「ユン……」


振り向いた場所で、病院服を着て車いすに乗っているブンがいた。


「さすがユン、見舞い第1号だ!」

「……」


ブンが好きだ……。たとえ他の人を彼の目が追っていても……。

私は泣きながらブンの側へ駆け寄り、車いすの彼を抱きしめた。


「ユン……」

「ブン……心臓が止まるようなこと、しないでよ!」

「……ごめん……」


ブンがゆっくりと私を剥がし、右手を頬にあてる。その手を頭の後ろへずらし、

グッと自分へ近づけた。



『エ……』



これがブンとした初めての、本当の……キスだった。


「ユン……聞いてる?」

「……あ、ごめん」


ブンの計画通り、来月の温泉旅行の打ち合わせをする。場所はどうしようか……なんて

笑っているけど、どこだっていいんでしょ? 本当は……。


「伊豆は前に行ったしな……京都は紅葉シーズンに行きたいしなぁ……」

「湯河原でいいよ。近いし、前に家族で行った旅館、結構料理も美味しかったんだよ。
ブン、料理のまずいところは嫌いでしょ?」

「湯河原か……よし、そうしよう。じゃぁ、これ!」

「……こっち!」


私は一泊2万の部屋を指差し、ブンの方を向く。


「……お高くないですか? ユン」

「だったら行かない! 行きませんよ!」

「わかったよ。財布落とした彼氏に向かって、なんて冷たい女なんだ」


ブンは文句を言いながら、携帯電話でパンフレットの会社へ連絡を取り始めた。


『もうそろそろ……挨拶した方がいいよな……』


ブンがそう言ってくれた時、私はすごく嬉しかった。そしたら、2万円なんて払わなくても、

ずっと一緒にいられるんだもんね。





駅からの道をまっすぐに歩く。仕事の都合がつくときには、こうやって二人で帰ってくることも多い。

小さな公園が見えてくると、ブンは必ず斜めに入っていき、公園を横切っていく。

まっすぐに帰ると、ブンの方が家に先に着くからだ。


「じゃぁな……ユン……」

「うん、おやすみ……」

「……」


ほっぺたを突き出すように、キスをせがむあいつ。私は手に持っていた携帯電話をその頬に当てる。


「……なんだよ、それ」

「バカじゃないの? こんな道の真ん中で堂々とキスなんてする人なんて、いません!」

「ふーんだ!」


わざと遠回りをして、私を送り届けたブンは、背を向け軽く手を振った。


「ただいま……」

「あ、ユン。ブンと食べてきたんでしょ?」

「うん、食べた」


リビングにいる両親に顔だけ見せ、トントンと階段をかけあがる。

ブンに渡されたパンフレットを持ち、ベッドに横になった。


「湯河原か……」


ブンと交際を始めて2年半が過ぎた。あと半年で3年になる。



……そう、3年



この3年という月日を、絶対に越えたい理由が私にはあった。





2 彼女に似た彼女 へ……




頑張れユン! 頼むぞブン!

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コメント

非公開コメント

ももんたさん~☆

このお話、こちらで初めて読みます^^
サイダーみたいな恋・・・楽しみにしています。

優しいブンがいいね(〃▽〃)

>そして……もう一人……。

>この3年という月日を、絶対に越えたい理由が私にはあった

う~ん↑ とっても気になる展開ですね!

おさななじみ

yokanさん、こんばんは!

これはSOBの方に、もう1年半前くらいに連載させてもらったものなんです。
やっとこちらに持ってきました。

幼なじみのカップルなので、どの作品よりも互いの会話に遠慮がないです。
何でも言い合うし、口調もきついかも(笑)

ユンが言う、3年の秘密は、次回明らかになります。
楽しんでくださいね。

ブンっていうのは……

eikoさん、こんばんは!


>優しいブンがいいね(〃▽〃)

やさしく、やらしいブンなんですよ(笑)
まぁ、こんなカップルもいいんじゃないかと、広い心で読んでくださいね。

3年を越えたい理由は、次回明らかになりますので。
楽しんでもらえたら、嬉しいです。