サイダー 5 心の狭い人間

5 心の狭い人間


『ユン、綾に会った……』



そのメールをもらった夜は、なかなか寝付けなかった。友達なら、喜ぶべきなんだろうが、

自分より先に、ブンが会っていることが不安でたまらなかった。

あれから5年、綾はどんなふうに変わったんだろう。まだ、ブンに気持ちを残しているのだろうか。

それとも……。


本来なら、何か返信をすべきメールなのだろうが、

私はそれから一度も携帯を開くことが出来なかった。





『今日、一緒に夕飯食べよう!』



次の日に送られてきた、当たり前のいつものメール。ずっと避けているわけにもいかず、

私はブンとの食事をすることになった。話題はもちろん綾のこと。


「昨日、沢越監督に会っただろ」

「うん……」

「ご贔屓の店があるから一緒に行こう! なんて誘われて行ったんだ。
そしたらそこのホステスとして綾がいた……」


ブンの説明を聞きながら、私は綾の姿を想像した。髪の毛はショートでいつも颯爽と歩き、

どちらかというとボーイッシュな彼女が、都会の真ん中でホステスをしていたと言うのだ。


「えっと……谷岡君、だったよね……」

「はい……」

「君のセンスはいい! これから注目されるものをあげてみてごらん」

「……あ、はい……」


ブンを気に入った沢越監督は、クラブに入ってもずっと映画の話しに没頭していた。

ブンも合わせるように色々と意見を語り、始めは緊張していた会話も、

『共通の趣味』として語れるようになった頃。


「先生……今日はお連れさんが違うんですね……」

「お! ミキちゃんじゃないか。人気者はすぐには来てくれないんだな。ほら、こっちへ……」


ミキと呼ばれたホステスはブンの横を通り過ぎ、沢越監督の隣に腰掛けた。

すぐに新人ホステスがグラスを渡し、そのホステスは慣れた手つきで酒を作り出す。

ブンは自分のグラスに残っていた酒を少しのみ、その女性の顔を見た。


そのホステスが綾だった。グラスを持ったまま固まっているブン。

その不思議な態度に綾も視線を移し、一瞬困ったような顔をした。


二人の記憶が5年前にしっかりと遡る。


「ミキ、お前この間の話し、本気に取ってないだろう……」

「エ……あぁ、本気に取れるはずがないじゃないですか」

「だからダメだって言ってるんだよ。僕の力でちょっとした役なら、すぐに与えてやれるんだし、
君ならそっちの方向へ行ったとしても、結構やれる……。他のホステスが、
僕に映画に出して欲しいなんて頼みにくるのに、ミキは絶対に頭を下げないからな……」


ブンは綾から視線をそらせなくなっていた。別れてしまった5年前、何も言わずに街を出て行った綾。

そのショックを乗り越えるために、長い月日がかかったこと。そんな記憶が回り出す。


「谷岡君……君はミキをどう思う?」

「エ……」


沢越監督の言葉に、我に帰るブン。


「先生、失礼ですよ。私みたいな女のことを、お客様に聞くなんて……」


上機嫌の沢越は、何杯かの酒を飲み、タクシーで家へ帰って行った。沢越を見送ったブンは

一緒に飲んでいた上司と別れ、少し駅の方へ歩き出す。


「すみません、ちょっと忘れ物を……」


そうして戻った店の中で、ミキ……という名の綾に声をかけた。





「まさかブンに会うとは思わなかった」

「俺だって、綾にこんなところで会うとは思わなかったよ」

「……まぁ、そういうことよ……」


綾は言葉少なく、すぐに別の客の元へ座りに行った。


「ユンは元気なのかって綾が気にしてたよ」

「……そう……」





淡々と昨日の出来事を話しているブンの心の中を、探知機でも使って覗いてみたい。

あれだけ好きだった人に再会して、冷静に語れるものだろうか。

しかも、嫌いで別れたわけではないのだから……。


「あの店、女性客も多いような、結構気楽な感じだったんだ。ユン、一緒に行ってみるか?」


私は首を何度も横に振った。綾の顔を見てしまったら、

抑えている気持ちがあふれてしまいそうだから。


「あいつ、なんでホステスなんてしてるんだろうな。薬剤師目指すって言ってたのに。
やっぱりあの事件で……」

「ねぇ、ブン……。あれこれ詮索するの辞めなよ。綾には綾の生き方があるんだし、きっと、
綾のことだから、ちゃんと自分の事を考えて生きてるって。ブンが心配することなんてないはずだよ」

「……まぁ、そうだけど……」


心配なんてしないで欲しい。綾のことなんて考えないで……。そう私の心が叫び出す。


「気にはなるだろ……ユンだって……」


気になるから嫌なんじゃないの! 何も知らなかった頃の自分なら、隣の席を明け渡すことも

少しだけ泣いたら出来たかも知れない。でも、ブンに愛されることを知ってしまった今は、

この席を渡す事なんて、絶対に出来やしない。


「ブン……やっぱり綾のこと、忘れられない?」


ブンはその私の言葉に、とても悲しそうな顔をした。それが『忘れられない』という返事なのか、

『そんなことを言う私への怒り』なのかは、分からないが。



その後、食事をしながら、ブンが綾のことを口にすることはなかった。





「じゃぁ、頼むね……」

「うん……」


仕事が休みだった土曜日、母は田舎のおじさんのところへ出かけた。先に奥さんを亡くした叔父は、

田舎で一人で暮らしている。しかし、風邪をこじらせて入院し、妹である母が看病に出かけたのだ。


私は店番を引き受け、久しぶりに店のケースをふきんで拭いた。


小さい頃にはもっと手作業が多かった和菓子作りも、それなりに機械化されている。

姉も私も職人になることもなく、また、職人と結婚する予定もない。


「あのぉ……これでいいでしょうか」


うちに来て3年目の職人、猛君が作った、あんの味を確かめる父。無言で一度だけ頷くと、

そのあんを一つずつ丁寧に包み出す。


「ねぇ、お父さん……。やっぱりうちの一番人気は豆大福?」

「そうだな……」


ブンも私も小さい頃からよく食べていた。一つだけじゃ足りない……と、母の目を盗んで

このケースから盗み出し、裏庭へ回って半分にして食べたっけ。

『食べてない!』と言い張ってみても、洋服についていた粉を落とすことまで気がつかず、

よくおしりも叩かれた。


「ねぇ、ユンのうちの豆大福美味しいね! 昨日初めて食べたんだよ……」

「エ……綾、初めて食べたの?」


高校時代、仲良くなった綾は教室の隅でそう言って笑っていた。


「ブンがね、絶対に上手いから食べてみろって、この間、部活に持ってきたの」

「……部活に? じゃぁ全員にってこと?」

「そう、20個!」


うちの豆大福が好きなブンだけど、そんな営業活動をしていたとは全然知らなかった私。


「今度買いに行くからね!」

「……うん……」


綾は何度かお店にも買いに来て、母の出してくれたお茶を飲みながら、ここで食べたことがあった。





「ユンとブンは、兄妹みたい……」

「エ?」

「私、ひとりっ子だから、お兄さんも妹もいないでしょ? 二人といると兄妹がいてくれるみたいで、
寂しくない……」

「……そう?」


誰にも相談できず、父親が捕まった後、逃げるように出ていった綾。ホステスをしながら、

どんな生き方をしているんだろう。



『気にはなるだろ……ユンだって……』



気になった。綾は毎日どんな気持ちで暮らしているんだろう……。

出ていってからどういうふうに生きてきたんだろう……。





「エ……」


次の日、待ち合わせをして一緒に帰る私とブン。いつものように斜めに入った公園で、

私はブンに、綾のところへ行こう……と声をかけた。


「綾、どんな生活をしてるんだろうって……気になるし、それに……」


今の自分は、逃げている……。私はそう思い、ブンを見る。


ブンはしばらく黙っていたが、やがて私の家の前につき、別れ際にこう言った。


「いいよ……もう綾のことは……」

「……」

「ユンが綾のことを気にする、俺を見ているのがイヤだっていうのは、すごく分かるし、
それに、連絡できたのに取ってこなかったのはあいつの方だ。もう、俺たちに心配して欲しいなんて、
きっと思ってないんだろ。だから、もう綾には会わない……」

「……ブン……」


私は思わずブンを抱きしめた。ブンはちゃんと分かっていた。二人の別れ方を気にして、

いつも、どこかで綾の影を気にし続けた私のことを……。


「なぁ、ユン……」

「何?」


私は、その問いに答えるために上を向く。ブンは私を包むように抱きしめる。


「これだけは言っておく……。俺がユンに側にいてくれって頼んだのは
綾がいないからとかじゃないんだぞ」


無言で一度頷いてみる。さらに目を閉じ、言葉を続けるブン。


「ユンがいなくなるのがイヤだったから……」

「……」

「他の男に、絶対に渡したくなかった……」

「ブン……」

「だから綾には、もう会わないよ……。ユンが嫌がることはしたくない……。
そんなことで不安になるなって……」


そう言うと、私の頬に優しくキスをする。不安な気持ちを取り払おうと、

ブンはさらに強く抱きしめてくれた。


「……行くか? また、湯河原に……」

「……バカ!」


だいじょうぶ……だいじょうぶ……。私は何度もそう繰り返しす。





部屋に戻り、今まで決して開かなかったピンクのアルバムを引っ張り出す。

一枚をめくると、私とブンと綾の写真が残っていた。二人は剣道部の胴着を着て、

私は手にフルートを持って、立っている。


ブンの横顔、ブンの試合の様子、二人で撮ったふざけた顔の写真。

そして、綾とブンが並んで笑っている写真……。


今まで見ることの出来なかった過去と、向き合う勇気をくれたブン。

私はそんなふうに思いながら、ページを一枚ずつめくり続けた。





6 ゴールへの準備 へ……




頑張れユン! 頼むぞブン!

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コメント

非公開コメント

いいぞ!ブン

ももんたさん 連日のUPありがとうございます^^

>ユンが嫌がることはしたくない……。
 そんなことで不安になるなって……

ブンはちゃんと、ユンの気持ち解っていてくれたのですね^^
ユンと一緒に、心のつかえがほんわか融けていくような気がしました(〃▽〃)

ユンは、ブンと解りあえたから・・・今度は一緒に綾に向かっていけるかな・・^^?

ブンってね……

eikoさん、こんばんは!


>ブンはちゃんと、ユンの気持ち解っていてくれたのですね^^

頼りなさそうなブンですが、結構芯を持ってます。
ユンの不安な気持ちを、ちゃんと理解しているんです。

さて、二人は結婚へ向けて一直線! と行きたいのですが……

こちらこそ、いつもレスを入れてもらって、ありがとう……です。

理解者

yokanさん、こんばんは!


>ユンちゃんの気持ちを一番分かっているのはブン君だよね。

そうなんですよ。ちょっとしたことに引っかかりながら、
その部分を確認していくユンです。

頼りなさそうで、結構やる男なんですよ、ブンは(笑)