サイダー 6 ゴールへの準備

6 ゴールへの準備


あれだけ気にし続けてきた綾との再会から、1ヶ月が過ぎた。ブンは時々わが家に遊びに来ては

食事をして帰り、私はブンの家で、姑となる予定のおばさんと、ワイドショーの話題で盛り上がる。


「……コホン……」

「何?」


久しぶりにブンの部屋で映画鑑賞をする。仕事も趣味も『映画』のブンは、

洋服の枚数よりDVDの枚数の方がよっぽど多かった。レンタル店ではないかというくらい……。


「部屋を探そうと思って……」


ブンは3枚の紙を取り出し、私の前に置いた。どこの不動産屋でもらってきたものかは知らないが、

『日当たり良好』と当たり前のように書かれた、2DKの間取り図。


「部屋探すの?」

「あぁ……」


2DK……。私はすぐにピンときた。


「そろそろ動かないか? 俺、その方がいいと思うんだけど……」


ブンと結婚する……。私が小さい頃から望んでいたゴールイン。

嬉しくて飛び跳ねたくなる気持ちを抑え、その間取り図を手に取り、これは部屋の形がイヤだとか、

駅からの距離が遠いだのと文句を言った。


「あのなぁ、ユン。予算ってものがあるんだぞ。ユンがいう条件を全てクリアするものなんて
言ったら、いくら払うことになるかわかってるのか? お前、一人暮らしなんてしたこと
ないだろうが……」

「……ないよ……」


ブンだってしたことないじゃない! 私はふくれっ面でそう返してやった。


「そう、だから驚いたんだ。エ……こんなにするんですか? って店でつい、言っちゃった……」

「……で、なんて言われたの?」

「そうですよ……って」


あらためて親のありがたみに感謝する。家賃を支払い、自分で食事を作っている他の人達は、

本当に大変だ。


「ブンがいればいいよ……」

「エ……」

「ブンと一緒にいられれば……本当は、どこだっていい……」


いつもきついことばかり言う私が、ちょっぴり素直に本音を話す。


「……ユン……」

「何?」

「扉のカギ閉めたら、わからないかな……」

「エ……」


ブンは私をチラッと見ると、部屋の扉にカギをかけた。ベッドに飛び込むように横になり、

手を大きく広げて笑っている。


「さぁ……ユン……おいでって!」


呆れ顔の私の方を向き、何度も手招きをする。


「バカじゃないの。下におばちゃん達いるでしょうが! 隣には真美ちゃんだっているんだよ、
ブン……」


私は笑いながら、部屋のカギをすぐに開けた。





「ただいま……」


ブンの家から戻った私は、慌てている母と目が合った。手に持っているタオルは

血で真っ赤に染まっている。


「どうしたの?」

「お父さんが……攪拌機に手を……」

「エ……」


明日の仕込みの材料をこねていた攪拌機に、謝って父が手をぶつけてしまったというのだ。


「で、どうなの?」

「とりあえず救急車で病院へ。お姉ちゃんが付き添っていったんだけど……」





突然のケガで痛めた父の手は、全治1ヶ月と診断された。


「まいったな……休業しないと……」

「仕方ないわよ……」


父が仕事場へ立つのは、また次の日が来るくらい普通の事だと思っていた私。

店のシャッターが3日以上連続で開かないなんて、今までに一度もない。





「おじさん、イライラしてないか?」

「多少はね。ずっと仕事ばっかりしてきたから、やることないんだよ。遊ぶことも知らないし、
友達って言ったって、みんなまだ現役で忙しいし……」

「そうか……」


父がケガをして初めて分かったこと。うちの店は跡継ぎがいない……。あのブンが大好きだと、

営業活動までしてくれた『豆大福』も、いずれ食べられなくなるのだろうか。


「俺、小さい頃おじさんに言われたことがあるよ、一度……」

「エ……」

「お前、珠樹か裕紀と結婚して、和菓子職人になれって……。まぁ、子どもだったから、
そんなに真剣に言われた訳じゃないけど……」


初耳だった。私たちには、一度も口にしたことがない、『店を継ぐ……』ということ。


「ブンはダメだよ。ぶきっちょだし……」


そんな悪態をブンにつきながらも、ちょっぴり切なくて、寂しくなった。





ブンがせっかくスタートを切ろうと言ってくれた、私たちのゴールインだったが、

父のケガのために、前へ進まなくなっていたある日。



『ユン、守口さんが盲腸で入院したから、見舞いに行ってくる』



小さな映画館で、映画を見る約束だった日。そんなメールが私に届いた。

会社で一番仲のいい先輩の入院。



『わかったよ。じゃぁ、また今度ね』



私はすぐに返信をした。





予定のあった日に、突然ポッカリ空いた時間。すぐに家に戻る気にはなれず、

街を一人でブラブラする。小さな路地を入っていくと、小さな看板のお店があった。


そこへ来るまでの道のりが違っていたから気付かなかったが、この店は昔、

山瀬さんとお付き合いをしていた頃、よく待ち合わせをした場所だった。



『あいつ会社を辞めるらしいぞ……』



竹岡さんから聞いた話。それが真実なのか確かめてもいなかったけど、もし、本当にそうならば、

一度くらいきちんとお礼をすべきなのだろう。

私を一度も責めることなく、ブンの元へ行かせてくれた……大人の彼。


私は少しだけ体を小さくして、その店の前を通り過ぎた。





「おい、ユン……」

「何?」


家に戻り食事の後片付けをしていた私に、父が声をかけた。ケガをした手が使えずに、

箸の代わりにフォークを動かしている。


「あいつはしっかり仕事してるのか……」

「……ブンのこと?」

「あぁ……」

「やってるよ。大好きな映画の仕事だもん。やらないはずがないじゃない」

「そうか……」


いきなり切り出したブンのこと。来るべき日がいつの日なのか、父も気になっているのだろうか。

私はふっとそう考える。


「お父さん、ブンに店を継がないかって言ったことがあるんだって?」


突然の私の質問に、父は何も言わず、またお酒を一口飲む。


「ブンに聞いたよ。小さい頃だったから、どこまで真剣だったかわからないって
ブンも笑っていたけど……」


本当は、私か姉のどちらかが、この店を継いでいく……それが正しい姿なんだろう。

父だって受け継いできたこの店を、ただ潰してしまうことを望んでいるとは思えない。


「あいつはダメだ、不器用すぎる」


自分でもこの間言ったくせに、父に言われるとなんとなく腹が立つ。


「そうかなぁ、ブンだって、鍛えれば出来たかもよ?」

「あいつは無理だって。ブンは、一つやると、一つ抜ける……」


確かにそんなところはあった。でも、そんなに笑いながら言うことないじゃない、お父さん。

義理ではあっても、息子になるんだよ、ブンは……。


「一つしか出来ないならな……お前を泣かせなきゃそれでいい」


言い返そうと思っていたのに……思いきりしんみりとなってしまった。ずるいよ、お父さん。

まだ、挨拶の日じゃないんだよ。


「ユン、いかの燻製出してくれ……」

「……うん、いいけど。まだ飲むの?」

「もう一杯だけだ……」


顔の前で指を一本だけ立てた父の仕草がなんだかおかしくて、私は燻製を出してやった。

ブン……。うちじゃお父さん、一人で晩酌なんだよ。早く一緒に飲んであげて……。





「……ってことなんだって……」


1週間振りくらいに、ブンと食事をすることになった。先日の父との会話を笑いながら話す。

ブンは携帯電話で、なにやらメールを打ち込んでいた。


「ねぇ、聞いてた? ブン……」

「……ん? あ、うん。聞いてたよ。今度の休みに部屋を一緒に見るってことだろ」


それはもっと前に言ったことなのに。私は思い切り嫌な顔をしてやった。


「違うでしょ、お父さんがブンの……」

「あぁ、わかった。店を継ぐ話しだな……」

「……そうだけど……」


また、ブンの携帯がメールの到着を告げる。食事をしている最中に、何度この音を聞いただろう。


「ねぇ、ブン……なんなの? さっきから」

「……ごめん……」


いささか申し訳なさそうな顔をするブン。私は話しを止め、化粧室へ向かった。

少ししてから席へ戻ると、また携帯とにらめっこしているブンがいる。


「どうしたの? 仕事の人?」

「……うん……。ちょっと色々あってね」

「ふーん……」


ブンの仕事は毎月決まったようには動かなかった。交渉して契約して、

また新しい映像を探しに行くため、忙しい時と、暇なときがハッキリ分かれるのだ。


今、その忙しい時期なのだろう……。私はそんなふうに考えていた。





いつものように公園を斜めに歩く。この時間に人に会うことは滅多になく、私はブンと腕を組んだ。


「おじさんだいぶよくなったんだろ?」

「うん、まだ仕事は難しいけどね」


ブンは何度か頷くと、いきなりこう言い出した。


「日曜日、行くよ……。ユンをもらいに……」

「……」

「挨拶!」





「こんにちは……」


宣言通り、ブンはスーツを着て、わが家の玄関に現れた。いつものブンを知っている母は、

にこやかに家へ上げる。


「おじさんは?」

「いるわよ……奧に……」


私は慌てて階段を駆け下り、ブンの側へ行く。大丈夫だとわかっていても、

なんだかドキドキしてしまう。


「こんにちは……」

「おう……」


父は、照れくさそうにブンを少しだけ見て、すぐに目をそらしていた。

テーブルを挟んで向かい合う私たちと父。


「ふぅ……」


ブンの深呼吸の音が、私の耳にも届いてきた。


「おじさん……、ユン、いえ、裕紀さんを嫁さんに下さい」

「……」

「……」


息が出来ない……。お父さん、早くOKと言って!


「尚文君、裕紀のどこが好きなんだ……」

「……」

「……」


どこが好きなのか……。そんなこと考えたこと、私はない……。ブンは最初からブンで、

いつのまにか好きだった。鼻だとか、声だとか、いや性格だとか、そんなこと聞きたいんだろうか。


黙っているブン。まさか、まさかとは思うけど、変なこと言わないよね……この緊張感の中で。


「ユンの全てが好きです。すぐ怒るところも、泣き虫なところも……。それに、
とびっきり優しいところも……」


なんだかこっちが恥ずかしくなるじゃない、ブン。そういうセリフって、親じゃなくて、

私に言うものなんじゃないの?


「ユンにしか、素直でいられない自分がいるので……」

「……」

「ユンになら、どんな自分も見せられます……」


父はそばに置いてあったおちょこを取り、ブンに手渡した。そこにつがれていく父の大好きな日本酒。


「これからはブンに付き合ってもらえるな……晩酌」

「……はい」


きちんと返事をしてくれない父に、やきもきしている私。母はその気持ちに気付いたのか、

私の後ろに回り、肩をポンと叩く。


「頼むぞ、尚文君……」

「……」

「裕紀を……頼むぞ」

「……はい」


短い言葉だったけど、父の想いがよくわかった。『頼む……』という言葉の重みを、

噛みしめるようにブンも返事をしてくれた。


私は、こんな人達に囲まれて生きていけることを、すごく感謝する。


「あ~ぁ……」


結局、父とブンは大いに酒を飲み、そのまま酔いつぶれた。私は奧から毛布を出し、

父とブンにそれぞれかけてやる。


「お父さん嬉しそう……ねぇ、ユン……」

「うん……」


ブンと私のゴールに向けてのスタートは、こうして順調に進み始めた。





7 約束を破るヤツ へ……




頑張れユン! 頼むぞブン!

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コメント

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家族の愛

yokanさん、こんばんは!


>ブン君とお父さんの会話、いいね~^^
 ちょっとウルウルきちゃってます。

サイダーは、男女の愛もあるんですけど、家族愛がテーマみたいなところもあるんですよ。
父と娘、兄と妹、姉と妹……
そんなところに、ほろっときてくれたら、嬉しいです。


>ブン君のユンちゃんを好きな理由が、これまた素敵です^^

私も、こんなブンが好きなんです(笑)