サイダー 7 約束を破るヤツ

7 約束を破るヤツ


ブンが父のところに挨拶に来てから何日かして、両家で一緒に食事をし、

私たちは正式に『婚約』を終えた。


「ユン、そんなに見ていて飽きないの?」

「飽きない!」


私は暇さえあれば、ブンと一緒に買いに行った婚約指輪を見つめた。そばで姉の珠樹が、

そんな私を呆れた顔で見ているけど、飽きるはずなんてない。

大好きな人の隣に一生いられる……。その権利を得たのだ。

絶対に越えたかった3年を目前に控え、私の気持ちは最高潮になっている。


「ここは駅からも近いですし、日当たりも今の状況を見ていただければお分かりですよね」

「……そうですね」


新居となる2DKを求め、私とブンは奮闘した。限られた予算と、限られた物件。


「やっぱりここかな……」

「うん、新しいしね……」


全てが満足……とは言えないけれど、結局私たちは二人の会社に通いやすい、

賃貸のアパートを契約することにした。窓を開けると、春の風がふわりと頬に触れる。





「もう大変だよ、わが家は……」

「何?」

「お袋が、いつ出ていくんだ! って手ぐすね引いてるからね」

「エ……」


ブンのお母さんは、昔から人形の教室を開いていた。その作品を保管しておく場所がなくなり、

ブンの部屋を狙っているのだと言う。


「昨日なんて、寝ているところに急に入ってきて、棚を買うからってサイズまで測っていきやがった」

「あはは……」


小さい頃から知っているから、そんな姿もすぐに想像できる。


「でもまぁ、早く越した方がいいには、いいよね……」


なんだか意味深な発言をしながら、私の方を向くブン。


「部屋さえあればさ、もういただきます! 宣言したんだし、堂々とユンはお泊まりして、
一日ゴロゴロしていられるし……よし、早く引っ越すぞ!」

「……私も引っ越ししようかな」

「ダメ! ユンはちゃんと家から嫁に来ること!」

「……言ってることと違わない? それ……」

「お泊まりと嫁入りは全く別! 同棲なんてしないからな……」

「……」

「でも、通い妻は……して……」

「……知らない!」


毎日が幸せで、毎日が新しくて……。私は充実した日々を送っていた。ブンが綾に会ったことも、

綾を越えたくて3年にこだわっていたことも、いつの間にか、どこかへ飛んでしまっていた。





気がつくと、2週間がまた過ぎ、次の休みには、一緒にカーテンでも買いに行こう……。

そんなことを考えながら電車に揺られる私。

頼まれたものを取引先に届け、時計を見ると12時少し前だった。ふと自分のいる場所を

考えてみたら、ブンの会社と一駅分しか離れていない。


たまには昼間、一緒に食事なんていうことも……。そんなことを考えながら会社の前につく。

大きなビルの4階から8階までがブンの勤めている映画会社。

携帯を取りだし、ブンにメールをする。



『ねぇ、今、近くなんだ。もうすぐそっちに行けるんだけど、昼食って一緒に取れませんか?』



本当は会社の前についていたけど、断られたとき格好が悪いから、

許可をもらえたらそっちへ行く! というそぶりを見せる。


2、3分後にすぐ、メールの返信があった。なんだかんだ言っても、こうして私が来ることは、

きっと嬉しいんだろうな……。そんなことを考えながら。



『おい、病院に行けって何度返信した? 行かないなら、もう連絡するな』



送られてきたメールはこんな内容で、私は身に覚えがない強い口調と、

病院を勧められるという文章に、どう返信をしていいのかわからなくなる。

その時、エレベーターが開き、中から真剣な顔をしたブンが飛び出てくるのが見えた。

私はすぐに反応し、ブンに声をかける。


そんな私に気付くことなく、ブンは慌てた顔で、道路を渡っていった。

何をそんなに急いでいるのだろう……。ブンの姿を追っていた私の目に、

白いコートを着ている女性が飛び込んでくる。




綾だった……。




もう5年会ってはいない。でも、見間違えるはずもない綾の顔。思いもしなかった展開に、

私はその瞬間、力が抜けその場にしゃがみ込んでしまった。



『綾にはもう会わない……ユンが嫌がることはしたくない……』



あの言葉はウソだったのだろうか……。綾の元へ行ったブンはその右手を引き、

タクシーをつかまえると二人で乗り込んでいく。


ちょっと待って! そんな虚しい無言の叫びは届くはずもなく……。私はなんとか立ち上がり、

過ぎ去っていくタクシーが見えなくなるまで、じっと見つめることしか出来なかった。


会社へ戻り席へつく。いったいどんな電車に乗ってきたのかも記憶がないくらい、

気持ちは乱れ切っていた。


高校時代、同じ胴着を着、いつも並んで立っていた二人。その姿を少し離れた場所で、

フルートを持ち、応援していた私。

道の向こうで並び立つ姿は……昔と変わらず似合っていた。


余計なことをしなければよかった。届け物をして、まっすぐに会社へ戻ってくれば、

あの二人を見ることも、そして、ブンが私に『ウソ』をついていたことも知らずに済んだのに。


取引先の書類を見直しながら、私は後悔をし続けてた。





時計はとっくに5時を過ぎていた。急ぎの仕事があったわけじゃないのに、私は会社に残っている。


「はぁ……」


出るのはため息だけで、明日やってもいいような注文書や納品書をファイルに綴じる。

そんなことを流れ作業の機械のように、ただ取り組んだ。


こんなことをしている場合じゃない。ブンに真実を確認しなくては……。そうは思うものの、

目の前で起こった事実を整理することが出来ない。

誰もいなくなった営業部で、一人作業を続けていると、自然に涙があふれ出した。



『綾にはもう会わない……ユンが嫌がることはしたくない……』



すごく嬉しかった言葉が、逆に私を押しつぶそうとする。





営業部の時計が夜の7時を回った頃、なんとか重い腰をあげ、家に帰るため階段を降りていく。

タンタンと音がして、下から一人の男性が上がってくるのが見えた。


「……あ……」


山瀬さんだった。私は、お先に失礼します……と頭を下げる。



『山瀬、会社辞めるかもしれないらしいな……』



竹岡さんから聞いた話しの真実を聞こうと思いながら、なかなか切り出すことが出来ずにいた私。


「山瀬さん……」

「……ん?」


階段の途中で振り向く彼。私は少し階段を登り、もう一度山瀬さんに頭を下げる。


「会社を辞めるって本当ですか? あの……」

「誰から聞いたんだ……」


少し驚いたようだったが、いつものように落ち着いたトーンで聞き返してくる。


「竹岡さんです。倉庫に行った時に……そう……」


山瀬さんはやっぱり……と言う表情で、何度か頷いた。少し目を閉じ、

何かを考えているように見える。


「竹岡さん、西口には何でも言っちゃうんだな……昔から」


彼は私の方を向き、少し心配そうな表情を見せた。


「あの……」

「……裕紀……」


裕紀……。そう呼ばれるのは何年ぶりのことだろう。家族にもユン……と呼ばれる私が、

唯一本当の名前を呼ばれていた人。付き合いをやめてからは、決してそう呼ばなかった彼。


「話しはさ、また笑顔の時にしよう……。そうじゃないと、お前が何で目を真っ赤にして
泣いているのか……こっちが聞きたくなるだろ」



『裕紀のことを、その人はちゃんと見てくれるの?』



そう問いかけた彼の顔を思いだした。


あれから3年近くの月日が経っていた。それでも心配そうに見つめてくれる山瀬さんの視線に、

私は消え残っている何かを感じ取る……。ダメだ……、また、目から涙があふれてくる。


「失礼します……」


慌てるように階段を駆け下りた。そう、彼が会社を辞めようが、これからどう生きていこうが、

私が質問するような事じゃなかった。

彼の選んだ道を知って、だからどうなるわけでもない。こんな顔を見せて、心配させるなんて、

もってのほかだ。


私が山瀬さんに唯一出来ること……。それは、自分が選んだブンと、

しっかり幸せになることだけだった。





家に戻り、いつものように食事をし、お風呂へ入る。泣いて、

もやもやして、うじうじしているわけにはいかない。

ブンがくれた指輪のためにも……。そして、私を送り出してくれた山瀬さんのためにも……。

勇気を出して、真実をちゃんと聞きだそう……。





次の日、私はブンを食事に誘った。置かれたお冷やを一口飲む。ウエイトレスは決まったら

もう一度お呼び下さいと頭を下げた。


「ユン……とりあえず、これを先に渡すよ。渡したものだとすっかり勘違いしてた」


最初に口を開いたのはブンで、目の前に置かれたのは、先日契約を済ませたアパートのカギだった。

二人のスタートを切る、大事な部屋のカギ。不動産屋のキーホルダーがついたままだったが、

ありがとうと受け取り、カバンにしまう。


「まだ何もないけどさ、明日、少し荷物を運ぼうと思って。これから仕事も忙しくなるから、
アパートに泊まることも増えるかもしれない」

「……うん……」

「いつでもおいで! 何にもないけど……」

「……うん……」

「さて、何にしようか……。何がいい?」


どこか口の重たい私を、心配そうに覗き込むブン。


「どうした? 何かあったのか?」


ちゃんとブンの顔を見よう。そう、昨日電話をすることだって出来たのに、大事なことだから、

顔を見て話そうと決めたのは自分だった。


私はブンを、ブンは私を……、互いに選んだのだから……。


「昨日、一緒にお昼を食べようと思って、会社へ行ったんだよ……。そしたら……」


それまで笑顔だったブンの表情が変わる。これから私が言うことを、

もうわかっているのかも知れない。


「ブン……綾とどこに行ったの? タクシーに乗って……」


こんな聞き方でよかったのだろうか……。もっと、やんわりと聞いた方がよかったのだろうか。

それとも、もっと強い表情で、迫った方がよかったのだろうか……。

私は、黙っているブンを見ながら、色々と考える。


しばらくの沈黙。ブンは視線をあげ私の顔を見た。


「出よう……ユン……」

「エ?」

「行こう……」


ブンは立ち上がり、私の手を取った。ウエイトレスに頭を下げ、店を出る。

無言で歩き続け、私の手をつかむブンの力が、鼓動を速めていく。


何を言われるんだろう。いや、どうして何も言わないんだろう。


「ねぇ、ブン……どこに行くの?」


店を出て、歩き続けた私たちは駅に着き、改札を通る。

ホームに降りたブンは、やっともう一度私の方を見た。


「綾に会ったよ……。ユンが見たのは間違いない」


会わないと言っていたのに、あまりにも簡単にそれを覆される。なんか理由があるに違いない。

そう思いつつも、約束を破られた……という気持ちがぬぐえずにいる。


「納得してくれるまで、説明する。だから、ついてきて……」


私はブンの言葉に、ただ頷くだけだった。





8 離れられない人 へ……




頑張れユン! 頼むぞブン!

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コメント

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ユンとブン

mizsakiさん、こんばんは!


>うーー辛いなこのシーン! 頑張れ! って言いたくなるね。

そうですね。一途なユンにしてみたら、ブンのこの行為は裏切り以外の何も二でもなくて。
でも、ブンにはブンの想いがあります。
ぜひ、続きを見て下さいね!

ブンっていうのは

yokanさん、こんばんは!


>ブン君のうそはつらいね(T-T)でも、何かあったんだよ、
 ブン君を信じよう!

はい、信じてやってください。
ブンって、頼りなさそうなんだけど、何かやってくれそうな
そんな気がしませんか?(笑)

ユンは頑張りますよ。
次回は、『お布団ブン君』の由来がわかります。