サイダー 9 過去を捨てる決断

9 過去を捨てる決断


待ち合わせの喫茶店は、駅を下りてからすぐの場所だった。一度駅の化粧室へ入り、

自分の顔を確かめる。綾に会うのは、5年振りだった。


高校生の時には、あんなに親しくしていたのに……。明るくて、優しい綾が、私は本当に

大好きだった。ブンを取られても、それは仕方がないな……と思えるくらい。


その時、携帯の着信音が鳴り、急いで開く。


「もしもし……エ? 遅れるの?」


それはブンからの電話だった。日曜日に設定したのはブンだったが、急な会議で会社に呼ばれ、

今終わって出るところだと言う。


「30分だね、うん……わかった」


遅れは30分。私はもう一度深呼吸をすると、待ち合わせの店へ少し早足で向かった。





「いらっしゃいませ……」


すぐに綾が目に入る。高そうな洋服を着て、高そうなカバンを持っている彼女は、

華やかな世界にいるだけあって、どこにいても目を引いた。


「久しぶり……綾……」


綾は予想していたかのように、少しだけ笑っていた。でも……。


「やっぱりユンなんだ。ブンが何か隠してるなと思ったのよ。
急にこんなところで会うなんて言うから……」


綾は、隣に置いてあるタバコを取り出し、火をつけた。私はあいている綾の目の前に座り、

ブンが遅れてくることを話し始める。


失敗した……。私はその時、話しながらそう思った。綾は私が現れたことを、嬉しく思ってはいない。


「ねぇ、二人揃って登場するなんてさ、何? 私たち、幸せなんですって見せびらかしに来たの?」

「違うよ、綾……」


綾の冷たい視線が、私の心をチクチク刺してくる。やっぱり、来なければよかった……。


「結婚するんだってね、ブンと……」

「うん……」


火をつけたタバコを吸い込むこともせず、ただ指に挟んでいる綾。

そしていきなり灰皿に強くこすりつけた。


「あの事件がなければ、ユンなんかに渡しはしなかった。
こういうのを『棚からぼたもち』って言うんでしょ? 違う?」


抑えていた気持ちが止められなくなったのか、綾が急に表情を変えた。

何を言われても我慢しなければ……。もし、この言葉をブンの言葉より先に聞いていたら、

すぐにでも涙があふれてきただろう。でも、ちゃんとブンは話しをしてくれた。



『私が、綾の身代わりではないことを……』



「綾、ブンだって辛かったんだよ。急に綾にいなくなられて、すごく落ち込んで、立ち直るまで……」

「連絡したかったわよ、こっちだって。でも、全ての通信を弁護士に禁止されたの。
そこから借金取りに連絡がついてしまうかもしれないって。親の命に関わることだったんだもの、
どうしようもないじゃない」

「……」

「ユン……。私があなたをどれだけ羨ましかったか知ってる? しっかりしたご両親と、
昔からの店。そしてそばには……いつも笑ってくれるブンがいて……」

「……」

「あの店でおばさんに豆大福をもらいながら食べていると、なんてことない家族の会話とか、
ブンとの会話が耳に入ってきて。羨ましくて、羨ましくて……」

「……」

「父は仕事だと言って、私に興味なんて全然持ってくれなかった。母は、そんな父に
愛想をつかしながらも、自分で生活するだけの力がなくて、ただ黙っていた。
私はそんな二人の間に挟まれたまま、大人になるのを待つしかなかった」


綾がそんな思いを持ちながら、高校に通っているとは思わなかった。初めて知る事実と、

綾の勢いに、言葉を挟むことすら出来ない私。


「ブンと知り合って、好きになって……。もう少ししたらこの家を出て……そう思っていたのに、
あの事件で全てなくなった……」

「……」

「ユン……」

「……」


綾は私の方をしっかりと見つめ、こう言った。


「あなたが私をかわいそうだと思っているのなら、ブンを返してくれたらそれでいい……。
それが出来ないのなら、ユンと話す理由なんてないわ」

「……」

「あの時と同じように、そう、今度は逆。ブンの前からユンが消えれば、
また、私のところへ戻ってきてくれる。ブンは寂しがり屋だから……」

「綾、それは出来ない……」


ブンを渡すなんて出来ない。それにブンはものじゃない。


「私にとっても、ブンは大事な人なの。それだけは出来ない」


綾の言葉が止まる。今さらこの3年をなかったことになんて、私には出来ない。

過去は過去でしかないのだから……。そう強く思いながらしっかりと綾を見る。


「……帰るわ」

「綾!」


私は、勢いで席を立った綾の腕を引いた。綾はその手を一度見たが、強い力で私を振り切り、

レジにお金を置き、店を出る。


「待って! ねぇ、ブンが来るから……」


駐車場で綾の手をもう一度つかみ、待って欲しいと言っている時、目の前にタクシーが止まり、

中からブンが現れた。


「ユン……」


綾はブンの方を一度睨み付けると、ブンが乗ってきたタクシーに乗り込んだ。


「ブン、綾が行っちゃう!」


ブンはそこから一歩も動かなかった。綾を乗せたタクシーはそのままその場を離れていく。


私の目から、その時初めて涙が出てくるのがわかる。だいたい何が起きたのかを読み取ったブンが

大丈夫だと腕の中へ私を引き入れた。


「会いたいわけなかったんだ……バカだよね、私」

「……」

「ごめん、ブン……。せっかくブンには心を開きかけてたのに……ぶち壊しちゃったよ」

「もういいよ、ユン……。もういいって」

「エ?」


ブンはタクシーが走っていった方向を見ながら、何かを考えているように見えた。


「もういいってどういうこと?」

「綾と会うことで、ユンがこんなふうに傷つけられるなら、もう、綾のことはいいよ……」

「……」

「ユンの方が、大事だ……」


嬉しい言葉のはずなのに、私の心は曇りっぱなしになっていた。





それから2週間。すっかりブンはアパートの住人になっていた。私は通い妻をしながら、

少しずつ荷物を増やしている。


「なぁ、ユン。衣装の打ち合わせに来られないかってメールが入ったけど、どうする?」

「ブンはいつならいいの?」

「俺? 俺も行くの?」

「当たり前でしょ、私一人で行けってこと?」

「ユンのドレス姿は、お楽しみ……なのかと思ってたよ。なんだ、見ちゃうのか……」


全くもう、結婚式をなんだと思ってるんだろうか、ブンは。お楽しみ会じゃないのに。


「ねぇ、ブン。結婚式って招待するもんなんだよ。二人で楽しむものじゃないんだからね」

「俺たちが楽しければ、みんな楽しいよ、きっと……」

「そう……かな……」


ブンはまだ少ししかないお皿やコップを嬉しそうにテーブルに並べている。

比較的料理が好きな私の献立を、すでに楽しみにしているらしい。


「何回着替える? ユン……」

「いいよ、ウエディングドレスだけで……」


そう言った私の顔を驚いた表情で見ているブン。何? こんな遠慮がちな私、そんなに珍しい?


「ダメだよ。とりあえず1度は着替えないと。おじさん達にブンはケチなやつだって
一生言われるじゃないか」

「言われないよ、そんなこと」

「言われるって。それにお前、お人形さんごっこで、いつもドレスを取っ替えひっかえしてただろ」


いつの話だ? よくそんな昔のことを覚えてるよね、ブン……。

確かにそんな遊びが好きだった時期もあるけど……。


「そういえば、私たちがおままごとする時、ブンはお姉ちゃんによく犬にされてたよね。
みんなでお留守番する時とかさ……」

「そうそう。犬の役……。男一人しかいないのにさ、なんで犬なんだよなぁ……。
珠樹はすぐお父さんをやりたがって……。で、ユンがお母さんで、真美が赤ちゃん……」

「……で、ブンは犬!」


当時のことを思いだし、私はケラケラと笑っていた。お姉ちゃんには昔からめっぽう弱いブン。


「でも犬から出世だぞ。ユンの御主人様だからな。ざまみろ、珠樹。犬が弟になるぞって……」

「……そうだね」


お味噌汁の鍋をもう一度温め直し、私はブンと小さなテーブルで食事をした。

食事をして、一緒に片付けをして、そして二人が『愛してる』ということを確認して、

私は家へ戻っていく。





「ただいま……」

「あ、ユン……ちょっと来て!」


台所で片付けをしていた母から、呼び止められた私は、そのままリビングへ入っていく。

いつもと同じように晩酌中の父と、横には正座をした姉が座っていた。


「どうしたの? お姉ちゃん……何かあった?」


状況を全く知らない私は、てっきり姉がしかられているものだと勘違いする。


「ユン、お姉ちゃんが仕事辞めて、お店を継ぐって言ってるのよ……」

「エ……」


父がケガをして少しの間、休業だった店。姉がそんなことを考えていたなんて、

自分のことで精一杯だった私は、何も気付かなかった。


「そんな簡単なものじゃないぞ、珠樹。今から職人として材料を扱えるようになるまで、
何年かかると思ってるんだ」

「……わかっています。だから、今決心したの。ユンはもう、ブンと結婚して
この家を出て行くことになったし、残っているのは私だけで、その可能性があるなら……」


私は姉のそんな決断を黙ってただ、聞いている。


「ねぇ、お姉ちゃん……。間違っているならごめんね。もしかして……」

「……」

「……」


姉は母のその言葉に驚いたように顔をあげた。


「お母さん……」


姉が母の言葉を止めに入る。私は座ったまま、その意味を探ろうとした。


「猛君のことと、関係あるんじゃないの?」


猛君……。うちで面倒を見ている職人さんのことだった。エ……もしかしてお姉ちゃん……。


黙っているお姉ちゃんが、母の意見が正しいことを認めている何よりの証拠だった。

父はやっと重たい腰をあげる。


「やるなら真剣にやれ。なんとなくやるつもりなら、迷惑だぞ」

「はい……」





私は姉の部屋に行き、店を継ぎたいという姉の気持ちを聞きに行った。


「今しかないって、そう思ったの。決断するのは……」


姉は栄養士の資格を取り、ある会社の社員食堂で働いていた。決して中途半端な職業でもないし、

やりがいだってあったはず。


「迷った時は、やった方がいいんじゃないかって……猛君に言われたんだ」

「猛君に?」

「うん……。どうしようって悩んでいて、グチっぽく言ったら、そう言われた。人生何度でも
やり直しはきくって言うけど、タイミングを外してしまったら、二度と出来ないこともあるって……」


私はその時、綾のことを考えていた。あれ以来、ブンにも連絡はなく、

ブンも連絡していないようだった。このまま、放っておいていいのだろうか……。


「やらない後悔より、やって失敗した方がいいんだって、自分で判断した。決めた以上、
お父さんに認めてもらえるように頑張るから。ユンは気にしないで、ブンのところに行きな。
あいつ、ユンがいないとダメなんだからさ……」

「……うん……」


部屋に戻り、ピンクのアルバムを開く。私の家が羨ましかったと言っていた綾。

自分の欲しい物を全て持っている……と言い、私のことを、悲しそうに睨み付けた目が、

頭に残って消えてくれない。


ブンと楽しそうに未来のことを語っても、どこかで綾に対しての想いが抜けきらない。


綾と……もう一度、向かい合うべきなんじゃないか……。

私は、姉の決断を見て、そう心を動かし始めた。





10 ふり出しの三人 へ……




頑張れユン! 頼むぞブン!

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コメント

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頑張る二人

yokanさん、こんばんは!

ちょっとした事件に、悩んだり、笑ったり、
そして二人で越えていく、ユンとブンです。

いつもは抜けているようなブンなので、
ちょっとかっこいいことをいうと、とびきり光って見えちゃいますよね。(笑)