サイダー 10 ふり出しの三人

10 ふり出しの三人


姉が店を継ぐと言い始めてから、1週間が過ぎた。会社に退職願を提出し、

本格的に準備を始めている。


「珠樹、本当にやる気なんだな……」

「うん……」


ブンはアパートから抜け出し、未来の婿としてわが家へ遊びに来ていた。

まだ、籍は入っていないとはいえ、ほとんど息子状態のブン。


「お……ブン来たのか。一杯飲むか!」

「おじさん、まだ早いでしょ。せめて太陽が消えてからじゃないと、おばさんに怒られますよ……」

「そうか?」


頑固な父も、実は姉が継ぐことが嬉しいようで、今まで以上に仕事に熱を入れているようだった。

私はブンと父が話している横を通り過ぎ、台所にいる母を呼ぶ。


「何?」

「ちょっと……」


その時電話が鳴り、母はエプロンで軽く手を拭き、受話器をあげた。


「もしもし西口です」

「……」

「もし……あら……まただわ」

「何?」


階段を上がろうとした私は、母の言葉に振り返る。


「いたずらかしら。近ごろ、名乗ると切れちゃう電話が何回かあるのよ。ほら、色々と犯罪もあるし、
気をつけないとね。うちは商売しているから、番号もわかりやすいし……」


私は2階にある、自分の部屋へ母を連れて行き、実はこっそり考えている計画を話し始めた。


「……綾ちゃんって……あの?」

「うん、実はさ、ホステスをしているんだ。で……」


私は、綾に会ったこと、実は綾が今一人になっていること、そして店に借金があって、

自由の身にならないことを告げる。そして、1冊の通帳を取り出した。


「今、50万ある。で、あと50万、貸してもらえないかなって……」


私は綾の借金、100万円を自分が貸してやりたいと思っていることを母に話した。

足りない分をどうにかしてほしい……。


「私が働いて返すから。お願い……」

「……」


突然の私の申し出に、母はなんにも言わずに黙っている。


「お母さん……」


母はスッと立ち上がると、部屋から出て行った。いくら娘の友達だった人が困っているとはいえ、

100万円のお金をどうにかしようとしている、こんな計画を理解して欲しいというのが

所詮無理だったのかも知れない。


私は通帳の残高をじっと見つめたまま、しばらく座っていた。何分かしてドアを叩く音がして、

母が入ってきた。


「ユン……これを使いなさい……」


母から渡された通帳には『西口裕紀』と私の名前が入っている。中を開いてみると、

そこには毎月少しずつのお金が積み立てられていた。


「……これ……」

「これはね、お父さんが珠樹と裕紀のためにって、毎月コツコツ貯めてきたものなの。
あなたたちがお嫁入りする時に、渡したいって言ってね。だから、これを使いなさい。
もう、ユンはブンと結婚することが決まってるんだし、そろそろ渡してもいい頃だって、
そう思ってたんだもの」

「……」

「綾ちゃん、苦労してるんだね……」


私は小さく頷いた。少しずつ積み上がっていく金額が、この通帳の歴史を私に語ってくれている。

あんまり話し上手な父じゃないし、店をしていたおかげで、家族旅行なんかにも縁が遠かった

私だけど、愛情だけはたくさん注いでもらった。


「ありがとう」

「ブンには相談したの?」

「最初はね、ブンが偶然綾と会ったの。で、なんとかしてやろうと思ったみたいなんだけど」

「……」

「私がイヤな思いをするならって、もう連絡もしてないみたい……」

「……そう……」


母も昔、ブンと綾が付き合っていたことくらいは知っていた。少し曇った母の顔を見て、

心配ないよと笑顔を見せる私。


「お母さん、ブンは大丈夫だよ。ちゃんと私のことを分かってくれている。綾が出てきたからって
心配するようなことはないから。それだけはちゃんと話し合った」

「……なら、いいけど」


私は父と母の思いが詰まった通帳を、しっかりと両手で包み込んだ。





「これで綾を助けてあげたいんだ……」


下にいたブンを上の部屋へ呼び、計画を話し始める。私が差し出した通帳を

しばらく見つめていたが。


「やめとけよ。ユンがそこまでする必要なんてないだろう。綾、突っぱねてくるぞ」

「そうかもしれないよね。でも、このままじゃ……」

「ユン……まだ、疑ってるのか? 俺の気持ち」

「違うよ。ブンのことは信じてる。だからこの間、綾にキツイことを言われても我慢出来たんだから」

「だったらもういいじゃないか」


ブンはゴロンと横になり、天井を見つめている。


「綾、私を怒らせようとしたんじゃないかな……きっと。あんなふうに無理なことを言って、
怒って、出ていったら、これで全て終わりになる……そう思っていた気がする」


私はブンの前にピンクのアルバムを置き、ページをめくる。


「本当は誰かに頼りたいんだけど、どう頼っていいのかもわからないんだよ。兄妹もいないし、
今はもう親もいないようなものだし……」

「……」

「ねぇ、会社で嫌なことがあったりするでしょ? ブンならどうする? 私のこと呼びだして
グチらない? おじさんとかに話しをしてスッキリしない?」

「……」

「私は、ずっと親やお姉ちゃんやブンに、そうやって甘えて生きてきた。
泣いて、怒って、笑って……。全部受けとめてもらってきた。綾はそれが出来なかったんだよ」


アルバムの中の3人で笑っている写真。それぞれが夢を持って、伸びようとしていた頃。


「ブンに連絡を取ってきたのも、助けを求めたからだと思う。私たちが綾を切り捨てたら、
きっと……また一人になっちゃうんだよ……」


ブンは一度ため息をつくと、私の前に座り直した。

アルバムを自分の方に向け、懐かしい写真をじっと見つめている。


「それがユンの望みなのか?」

「……うん」

「そこをクリアしないと、ダメなのか?」

「うん。綾にもう一度歩き出して欲しい……」


もう一度、明るくて、優しかった綾に戻って欲しい。


「わかった。なら、金は半分ずつにしよう」

「……」

「俺たちの望み……だからな」


私はブンの顔を見て、しっかりと大きく頷いた。





それから1週間後、ブンは綾と会うことになった。私は報告を聞くために、

ブンのアパートで待っている。ちゃんと話しが出来ているんだろうか……。夕食を作りながらも、

そのことばかりが気になった。


ブンが戻ってきたのは、夜の7時を回った頃だった。


「いただきます!」

「……ねぇ、どうだった?」

「うまい! さすがユン……」


美味しそうに食べているブンを見るのは好きだけど、今日はそんなことより聞きたいことがある。

私は箸を持ったまま、ブンの方をじっと見つめた。


「綾と会えた?」

「会ったよ。金も渡した……」

「受け取ってくれた?」

「あぁ……」


よかった……。少しだけ胸のつかえが取れた気がする。ブンは食事をしながら、

今日の出来事を話し始めた。


二人が待ち合わせたのは喫茶店で、綾は10分遅れて到着した。


「忙しいのに、悪いな……」

「いいわよ、今度は何?」


ブンはお金の入った封筒をカバンから取り出し、綾の前に置く。厚みのある封筒を見た綾は、

すぐに表情を変えた。


「何、これ……」

「100万ある。金はユンと俺で半分ずつ出した。これで店の借金をまず返して、
それで新しいスタートを切って欲しいんだ……」

「……」

「なぁ、綾。病院から止められている仕事をし続けていたら、結局どうなるのかなんて、
薬剤師を目指していたお前なら分かっていることだろう。ユンも心配してるし、俺だって……」

「……全く」


綾はその封筒の中身を見ずに、ブンの方へ突き返す。


「私に貸しを作ろうってことなの? 二人で」

「綾……」

「どうしてそんなことするのよ。もういいじゃない。何年前のこと? 私たちが並んで
笑っていたのは。あなたたち二人、どうかしてるわよ。結婚控えていて100万ものお金を
他人に貸そうだなんて……」

「あぁ、どうかしてる。俺もそう思う。でも、ユンはずっと気にして生きてきたんだ。
お前がどこで何をしているのかも分からずに。俺がユンに側にいて欲しいって言ってからも、
お前の影をずっと気にしてた。そういう複雑な気持ちを分かってやってくれないか」

「……」

「頼むよ、綾。とんでもなくおせっかいだけど、あいつらしいだろ……」

「……」

「お前がスタート切らないと、ユンが心から笑わない気がするんだ」

「……」

「俺、あいつが笑っているのを見るのが好きだからさ……」


綾は一口だけ紅茶を飲み、カップを置いた。


「この間、悲しそうな目をしてたな……ユン」

「エ?」

「私がね、私をかわいそうだと思うのなら、ブンを返せってそう言ったの。
それは出来ないって言ったユンの目が、とても辛そうだった……」

「……」

「バカね、そんなに何年もブンのことなんて好きなはずないのに。もう、ちゃんと別の人と
暮らしてるのよ、私。つい、幸せそうに指輪をしていたユンを見たら、逃げてからの色々なことを
思い出して。言い始めたら止まらなくなって……」

「……」

「誰にも言わなかったことを、全てぶつけてた。あれからね、悪いと思って、家に何度か
電話したんだけど、おばさんの声を聞く度に、切っちゃって」


綾は照れくさそうに、携帯をいじる。


「……番号覚えてたのか?」

「うん。3729でしょ。みんなフク……って。ユンのうちは、みんなが幸せなんだなって……。
そう覚えてたんだ。この番号だけは忘れられなかった」

「……そっか……」

「ブン……。ユンに言ってやって。何年も、何年も、その人が振り向かなくても
ずっと一人のことを思い続けているのは、ユン……あんただけだって!」

「……」

「そう言ってやって!」


その人が振り向かなくても、ずっと思い続けているのは……私だけ……。


「ユン、おかわり!」

「エ……うん……」


炊飯器を開け、ご飯をすくう。その綾の言葉を聞き、ほっとした私の目から、

ポツリ……と涙がこぼれていく。


「あ……しょっぱくなるじゃないか、飯が……」

「……ごめん……」


茶碗をブンに手渡し、私はティッシュを取り思い切り鼻をかんだ。


「綾、大学にもう一度入り直すんだって……」

「エ……」

「もう一度、薬剤師を目指したいんだって、そう言ってたぞ」


薬剤師になること。それは綾が持っていた夢だった。高校の時も、

そんな夢を楽しそうに語ってくれたことがあった。綾が一番眩しかった時……。


「あの金は、気持ちとして貸してもらうって。店の借金じゃなくて、学校の費用にしたいって
そう言ってたよ。ほら……」


ジーンズのポケットから、1枚の紙を取り出すブン。そこには綾からの『借用書』と書かれた

手紙が入っていた。



『ユン、この間は意地悪言ってごめん。幸せそうなあなたを見たら、ついあんなことを
言ってしまった。もう、泣いたりしないで、幸せになりなね。私も頑張って生きていくから』



間違いない綾の筆跡だった。ノートを交換して、勉強し合った日々を思い出す。



『お金は少しずつ返すよ。そうすれば、私が元気でやっていることが、二人にわかるでしょ?
落ち着いたら、会いましょう     三橋綾』



「うん、うまいな、これ……」

「そう?」

「うん……ユン食わないの? もしなんなら俺が……」

「食べる!」

「あ、そう……残念……」


綾の手紙を握りしめたまま、座っている私。ブンは食事を続けながらつぶやいた。


「ユンは一度言い出したら、頑固で絶対にひかないよねって綾が言ってたぞ」

「エ……」

「それに、お人好しなくらい優しいしって……ことも言ってたな。あ、そうそう、
それにものすごく心配性だって……」


茶碗に残る何粒かのお米も、きちんと取って食べるブン。私はお茶を入れ、ブンの前に置く。


「誰に似たんだろうな。頑固なのはおじさんで、優しいのはおばさんだな。でも、心配性は……」


私は席に戻り、ご飯を口に運ぶ。


「心配性なのはブンの責任だよ。小さい頃から危なっかしいことばかりして、
私をドキドキさせるから」

「……ん?」

「運動会の時、転ぶんじゃないかって……。発表会の時とちるんじゃないかって……、
部活の時、道具を忘れるんじゃないかって……社会人になって……」

「社会人になっても心配してたのか?」

「……いつか、私の手の届かないところに行っちゃうんじゃないかって……」


綾がもう一度歩み始めてくれる……。その安心感で、涙と気持ちがポロポロこぼれ落ちる。

ブンは立ち上がり、私のそばに来ると、そのまま包むように抱きしめてくれた。


「ユンってさ……」

「何?」

「日本一おっかない女だけど……世界一いい女だな……」

「何、それ……。意味わからないよ」


綾……ありがとう。私はブンのぬくもりを感じながら、そう心で感謝していた。





11 兄と妹の距離 へ……




頑張れユン! 頼むぞブン!

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コメント

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お節介って貴重^m^


ビックリするくらいお人好しで・・・・
今どき、めずらしいくらいお節介のユン・・・^^;
ちゃんと綾の気持ちをくみ取ってあげてる・・。

こんな思いやりのある娘は、他にはいないよ~;; ほんとにユンは優しいね。。。
ブンも彼女の良さを良く解っていてくれて、安心です^m^

ユンのお母さんも、いい味出してるね~^^

綾も二人の好意を、ちゃんと受け止めてくれて良かった・・・^^
強がりでなく・・・彼女が、本気で前に進んでいけるように・・・願っています。

いろんな愛情

eikoさん、こんばんは!


>こんな思いやりのある娘は、他にはいないよ~;;
 ほんとにユンは優しいね。。。

はい、ユンは優しい女の子なんですよ。
ブンが言っている通りなんです。


>ユンのお母さんも、いい味出してるね~^^

私の作品のほとんどに、親が登場するんですけど、
サイダーの親は、中でも一番、いいセリフを
言ってくれます。

家族、姉妹、恋人、友達、いろんな愛情を感じてやって下さいね。

スタート!

yokanさん、こんばんは!


>ユンちゃんの気持ちが綾ちゃんに伝わってよかった~

ユンの底なしの優しさに、綾の気持ちも素直にほぐれました。
これからの3人が進む道を、一緒に見届けて下さい。

いつも、ありがとうございます。