サイダー 12 センチメンタル

12 センチメンタル


ブンがアパートの人になり、私がそこへ通うことも増えていた。当たり前のように二人で食事をし、

片付けをする。そしてTVをつけ、私は一人でその画面と向かい合う。


ふと奧を見ると、書類とにらみ合っているブンがいる。映画会社に勤めているブンは、

1年のうちに何回か急に忙しい時があったりするのだ。会社から書類を持ち帰り、

やりきれなかった仕事に取り組んでいる。


邪魔をしないようにTVのボリュームを少しだけ下げる、けなげな通い妻の私。

もし、これがわが家なら……。


「あ、今の正解だよ」

「エ? そう?」


そんな会話をしながら、クイズ番組を楽しんでいるだろう。父が笑う声も、母が食器を洗う音も、

姉が手を叩いて笑う声も、心地よく当たり前のように入ってくる。

口にした煎餅が、パリン……と音を立てて割れた。


「はぁ……」


ブンが黙っていると、そして私が黙っていると……当たり前だけど、ここには声がない。


「ブン、そろそろ帰るよ」

「エ……」


泊まるんじゃないの? と驚いた表情で私を見るブン。同棲はダメだなんて言っておいて、

近ごろは帰るって言うとすぐに驚くんだよね。


「ごめん、俺、仕事しちゃってて……」

「いいんだよ、仕事しなきゃ。それ、あさってのプレゼン資料なんでしょ?」

「……うん」


私は湯飲みを流しへ持って行き、すぐに洗う。


「ユン……。本当に帰るのか?」

「帰るよ。通い妻はするけど、同棲はしないって言ったの、ブンじゃないの」

「……そうだけど……」


私はカバンを持ち、玄関へ向かう。知らないうちに、目にじわじわと涙が溜まり、

自然に頬を流れ落ちた。


「……ユン……」


心配顔のブンが滲んで見える。


「なんだろう。どうして泣いてるんだかわからないんだけどさ、涙が出てくるんだよね……」


ブンはそんな私をしっかりと抱きしめ、大丈夫だと髪をなでる。

よく聞く、これがマリッジブルーなんだろうか。幸せになろうとしているはずなのに、

近ごろ、悲しくて、悲しくてどうしようもない。


「あと、もう少しであの家を離れるんだと思ったら、なんだか悲しくって……」

「うん……」


駅までの道、私は、ずっとブンにもやもやしたこの気持ちを語った。ブンのことは大好きで、

結婚することはずっと願っていたことだった。綾のことも解決し、不安になることなんてないと

そう思っていたのに……。


こんなところに落とし穴があったなんて……。


「それが当たり前なんだよ、ユン。お前は、いい親に育てられたって証拠だ」

「……」

「でも、そうやってみんな、新しく家族を作っていくんだぞ……」

「……うん……」


心配して家まで送ると言ってくれたブンを止め、私は一人で電車に乗った。





「あ……これってまずいのかな?」

「いえ、大丈夫ですよ」


私は店の工場に続く場所で、座っている。すっかり職人の見習いになっている姉と、

猛君の会話をそばでじっと聞いた。


「ユン、どうしたのよ。今日は休みなんでしょ? ブンと会わないの?」

「うん。今日、ブン仕事なんだ。大事なプレゼンテーションなの。
そのために何日も仕事持ち帰って頑張ってたんだから……」

「そう……」


私が座っていると邪魔なのかしら……。そんなふうに考えてしまう。父も、母も姉も、

私の顔を見ると、『ブン』の名前を出してくる。ここはまだ、私の家なんだから。





そして、それから3日後、会社である人の送別会が開かれた。


「お世話になりました」


私は部屋の隅の方で、しっかりとその主役の顔を見つめていた。

以前からささやかれた山瀬チーフが、本当に退社の日を迎えたのだ。


ブンが綾と会っていたことを知り、会社でうじうじしていた私。階段で山瀬さんを見つけ、

退社後の話しを聞こうとした。


泣き顔で現れた私に向かって、そんな顔で話しかけるなと言ってくれた彼。


「西口……結婚するんだってな」

「……はい」


山瀬チーフは大人の表情のまま、私の酌を受けてくれた。他の誰に言われるよりも、

『結婚』の2文字が重く感じる。


「お幸せに……」

「……ありがとうございます」


ブンと幸せにならなければ、この人に申し訳ない……。

黙って私を送り出してくれた、山瀬さんに、もう一度丁寧にお辞儀をする。

あなたに、素敵な人が現れてくれますように……。心の底からそう思った。





あの無性に切なくなった日から1週間。私はブンに電話をする。これからそっちへ向かいたい。


「あ……ごめん。忙しいんだ。もうしばらく……」

「……そう」


アパートに戻るのが、いつになるのかわからないという返事をもらい、結局家へ帰って行く。


真美ちゃんの彼氏と会う日が近いから、ちょっぴり話しをしようと思っていたのに、

それでも仕事ならば仕方がない……と、私は公園をいつものように斜めに入る。


「ただいま……」

「あ、お帰り!」


母のいつもの声に迎えられ、居間へ入っていと、いつものように晩酌中の父と、

手を叩いて笑っている姉がいた。


「ねぇ、ユン。香川の雪おばちゃん。結婚式楽しみにしてるって、さっき電話くれたのよ」

「エ……あ、出てくれるって?」

「うん……」


招待状を出した親戚や友達から、少しずつ返事や電話をもらうようになっていた。

確実に近づいてくる……その日。


「お父さん、私にも少しちょうだい……お酒」

「ん? 珍しいなユン。飲むのか?」

「ちょっとだけ……」


父は嬉しそうに、台所に立つ母に声をかけた。そばにいた姉も誘い、親子水入らずで乾杯をする。

こんな当たり前の光景を、今のうちにしっかりと焼き付けておこう……。

私はそんなふうに思いながら、少しずつお酒を飲んだ。





会社からの帰り道、立ち寄った駅のデパートで、地酒販売が行われていた。

昔、家族で旅行した新潟の、有名な酒も置かれている。

父が好きな熱燗にしたら、きっと喜んでもらえるかもしれない……と、

私はちいさいサイズの瓶をおみやげに家路を急ぐ。


「うまい! ユン……これはうまい酒だな」

「そう? いつものとは違う?」

「そりゃ違うよ……」


父の喜ぶ顔が私の気持ちを明るくしてくれた。この家を出て行っても、間違いなく父は父なのだ。



『お前は、いい親に育てられたって証拠だ』



そう言ってくれたブンの言葉を思い出す。あの涙を流してしまった日から10日。

忙しいと言われて、少し通い妻もお休み中の私。そろそろ時間も取れているのではないかと

電話をする。


「……」


ブンの携帯は、ツーツーと音をさせるだけで、何も返事をよこさなかった。


「どうしたの?」

「ブン、電話に出ないんだ。さっきから何度も鳴らしてるんだけど、どうしたんだろう」

「また、どこかに落としたんじゃないの? ねぇ……」

「そうかもしれないぞ!」

「……もう!」


私の心はよくばりなんだろうか。目の前に家族がいると、ブンが心配になり、

ブンといると家族が心配になる。それから何度か鳴らしてみても、

ブンが携帯に出てくれることはなかった。





「お先に失礼します!」


次の日、何か胸騒ぎがし、仕事を終えた私はアパートへ向かう。

その日も一日ブンが電話に出ることはなく……。


もらっているカギで中へ入ると、そこは予想していた通りの世界だった。こもった匂いと、

脱ぎ捨てられている靴。私は慌てて部屋に入り、ブンを探す。


「ブン……いるんでしょ? ねぇ……」

「……ン……」


奧の和室を覗くと、布団の中で丸まっているブンがいた。そばには色々と置かれていて、

これが普通の状態でないことがすぐにわかる。


右手を挙げ、私に手を振るブン。


「ブン……どうしたの? ねぇ、具合悪いの?」

「……ゴホン……コン……」


布団から顔を出し、辛そうな咳をする。私は側へ駆け寄り、おでこに手を当てた。


「……だよ……いじょうぶ」


人と話すことが久し振りなのか、少しかすれている声。熱は下がっているようだったが、

伸びているヒゲを見ると、具合が悪くなってから、何日か経っていることがわかる。


「どうして連絡よこさないのよ! バカ!」


私は慌てて、部屋のカーテンを開け、窓を全開にする。風が窓が開くのを待っていたかのように、

部屋の中へ侵入した。


「……ユン……なんだよ」

「空気を入れ替えるの。ねぇ、何か食べた? ねぇ、いつからこんなことになってたのよ」

「……」

「ブン!」


ガンガンと打ち付けるような私の質問に、布団に丸まりながら、右手でVサイン……じゃない、

2日間だと言うことを表すブン。


「はぁ……」


スーパーへ走り、食材を買い込み、私はブンにうどんを作ってあげた。

食欲はしっかりあるようで、少しだけ安心する。


「電話してくれれば、すぐに来たのに……」

「うーん……なんでだろうな。もうちょっと頑張れば終わる……なんて思いながら仕事してて、
気がついたら頭が重くて、熱が出て……で……こんなふうになってた」

「……」

「ん?」


うどんをすすりながら、隣で少しだけ頬を膨らます私の顔を、じっと見つめるブン。


「ユン、この間泣いたからさ」

「エ?」

「あのうちを出てくるのが寂しいって。だから、こんなことで呼びつけるのは
どうかなって思ったんだ。おじさんともおばさんとも離れるまで、自由にしてやりたいなって。
ちょっと通い妻、させすぎたし……」


そうだった。思いがけないマリッジブルーで、私はブンの前で泣いたんだっけ。


「ごめん、私が悪いね。そんなこと言って……」

「なんで謝るんだよ」

「……だって」


私が守るべき場所は、すでにここにあった。父には母がいて、母には父がいる。


私には……ブンがいた。


二人の間に、空気が流れるのがイヤで、私はブンと体をくっつけた。少しだけ首を倒し、

肩に頭を乗せてみる。そう、ドラマなんかでこんなシーンあるでしょ……。


「ユン……」

「ん?」

「今日はダメだぞ。治るまで待てって……」

「……は?」

「……エ?」


全くもう、どうして全部そっちへ持って行くんだろう。


「いいの……ただ、こうしているだけで……」


私がそう言うと、ブンは背中から右手を、私の方へ回してきた。さらに体を寄せ合っていく私たち。


「風邪うつるぞ」

「平気だよ……」


まわされた右手は……。右手は?


「ちょっとブン。どこつかんでるのよ!」

「……やわらかい」


男ってみんなこうなんだろうか。他の人には聞くことも出来ないけど……。

私は呆れ顔で、胸を覆っているその手をつねってやる。


「イテ……」

「調子に乗るな!」


こんなヤツだけど、大好きなんだよね……。

やっぱり寂しいから、早く風邪治してよ……ブン。





13 親の理想と現実 へ……




頑張れユン! 頼むぞブン!

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コメント

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実はね……

mizsakiさん、こんばんは!


>ふと出た言葉に・・相手の思いをくみ取る。ブンやさしいね!

力が抜けていて、どこか頼りなさそうだけど、実はとっても優しく心が広い男。それがブンなんです。
おそらく顔は二枚目ではないと思うんですけど、心はピッカリ! なんだろうなと。

ちょっとうふふ……と笑いたくなる、それがサイダーなのかも。いつも。ありがとう。

なかったのか……

yokanさん、こんばんは!


>文章にして読むと、これがマリッジブルーというものかと・・・
 経験がないんですわ^^;
 早く一緒になりたくて仕方がなかった私です(笑)

あらあら……yokanさんはラブラブだったのね。
私もマリッジブルーとまではいかないですけど、でも、住んでいた家を
出て行くんだという思いは、結構強かったですね。

サイダーは、あんまり大きな出来事はないけれど、そこら辺でみなさんにも起こり得そうなことを、
拾い集めています。

真美ちゃんのことは、また次で。