【S&B】 52 心のSOS

      52 心のSOS

「返品?」

「はい、『富田』の焼酎にだけ、異物が混入していたと返品騒ぎがあったんです。それが2件」


昨日、千鶴が慌てて電話をよこした理由が、それだったのだろうかと思いながら、

僕は売り上げのデータ表を手に取った。地元では有名なブランドだが、初の全国展開だったため、

少し心配していたが、『富田』の評判は良く、売り上げも伸びている。


「なんなんですかね。他のメーカーからの嫌がらせじゃないかとか、松本さんも言ってましたけど、
嫌ですよね、そんなことで水をさすようなことをして」

「あぁ……」


濱尾の言うとおり、子供のいたずら程度の騒ぎで、こんなことは珍しくないが、

『富田』だけが被害を受けたという状況が、嫌な気分を残した。





僕が千鶴の携帯に連絡をすると、彼女はまた東京で仕事をしていて、

すぐに待ち合わせ場所を指定され、昼過ぎに到着する。


「結構、東京にいるんだな」

「そうよ、今は半分以上こっちにいるわ。大分になんていても、つまらないし、
イライラするだけだもの」


僕らの前にウエイトレスが来て、千鶴はすぐに『カフェオレ』を2つ頼んだが、

僕はそれを断り、紅茶を注文する。


「祐作、紅茶なんて飲んだっけ?」

「飲むよ。君が知らないだけだ……」


僕は濱尾から預かった返品の資料を彼女に見せる。

昨日、慌てて電話をよこしたのはこのことなのだと、千鶴は悔しそうに唇をかんだ。


「あんまり考え込むなよ。こんなことはよくあるんだ。
松本さんも気にしないで欲しいと言って来ただろ」

「うん、これからもそんなことはあるだろうって言われた。でもね、わかってるの、犯人」

「犯人?」


千鶴は、返品騒ぎを起こしたのは、自分の大分にいる家族なのだと言い出した。

この企画に反対する姑と旦那が、評判を落とすためにやったのだと、ため息をつく。


「そんなことあるわけないだろう。いくら気に入らないって言ったって、
『富田』のブランドに傷がつくんだぞ。老舗を経営している人たちが、
そんなばかげたことをするわけがない。冷静になれよ」

「邪魔なのよ、私が」

「……邪魔?」


書類の端を指2本でつまんだまま、千鶴は悔しそうな顔をした。

チリチリという、指が紙に擦れる音がする。


「あの人、もう2年も前から、外に女がいるの。子供もいない私のことなんか追い出して、
そっちとうまくいけばいいと思っているんだから」


取引先の社員だという女性のことを、千鶴は語りながら指でテーブルをカチカチと叩く。

そんな態度を見ながら、再会してからずっと思っていたことが、僕の中でまとまりだした。

その確認をするために、あえて問いかける。


「そんな男なら、すぐに捨ててやればいいじゃないか。『富田』のために、君があくせくして、
イライラしても意味がないんだろ」

「……私は私のためにやってるの。『富田』のためじゃないわ」


僕らの前に飲み物を持ったウエイトレスが止まり、一つずつ丁寧に飲み物を置いていく。

紅茶のカップはそこら辺の喫茶店より飲み口が広く、香りが余計に漂う気がした。


「『富田』の担当は、濱尾に決まった。申し訳ないけれど、僕は担当じゃないから、
これから何かあるときには、濱尾に連絡をして欲しい。番号は……」


小指に引っかけられたような状態を、こちらから解消するつもりで、僕がそう言うと、

千鶴は置き去りにされるのが怖いのか、首を横に振る。


「どういうこと? どうして? 祐作、あなたを頼って私……」


僕はそんな焦りの表情を浮かべた千鶴の顔をしっかりと見た。

あの頃に比べたら何が変わったのだろう。


あの頃は、彼女が僕の方を向いていてくれるだけで、満足出来た。

しかし、今、まっすぐ向いている視線の先は、もう僕じゃない。


「君がこっちへ来て、再会してから、ずっと思っていたんだ。たしかに、
夫婦がうまくいっていないことは事実なんだろうけれど、あとの言葉はウソばかりだって」

「……どういうこと?」

「本当に別れたいのなら、『富田』のために必死になれるはずがない。嫌いな男が守るのれんを、
盛り上げようなんてするはずがないんだ。この計画が無事に進めば、誰が一番特をする? 
君か? 違うだろ。結局は業績をあげることになるご主人だ」

「それは……」


僕はカップの中に角砂糖を一つだけ落とす。すぐに細かい泡が浮き始め、やがて消えた。


「昔だったら、君は僕に気をつかった。確かに二人で飲んだ物は『カフェオレ』だったけど、
勝手に頼んだりはしなかったし、夜に急に呼びつけたり、自分の要求ばかりを
突きつけたりもしなかった。そう、君の目は僕を見ていたからね」


今、僕を見ている千鶴の視線の先は、あの日、殴りつけたあの男のものだ。

僕はそう思いながら、紅茶を一口飲んでいく。


「愛したまま他の男と結婚しただなんて、無理に思うことなんてない。君が愛しているのは、
今もご主人だ。だからこそ、必死になっているんだろ。振り向いて欲しくて、戻って欲しくて……」


そうじゃないのだと言いたげな、千鶴の唇が、力をなくし閉じていく。


「逃げたりするなよ。もっと必死にすがりつけばいい。
自分の本当の気持ちはどうなのかって、ぶつかればいいんだ」


思っていたよりも口当たりのいい紅茶は、すんなりとノドを通り、僕の中におさまっていく。


「僕には今、守りたい人がいる。その人もどちらかというと、気持ちを隠して、
頑張ってしまうタイプなんだ。昔なら、それを単純に受け止めていたのかもしれないけど、
今は、その裏の悲しさも理解できるようになった。だからなのかな、君を見ながら、
ずっと心は大分にあるんだと、そう思ってた」


千鶴は黙ったまま少しだけ下を向き、僕と視線を合わせようとしない。

目が合えば、何かを見抜かれる。そんな気になっているのだろうか。


「担当に決まった濱尾は優秀だ、失敗もするけど、あいつが関わった企業は必ず業績を伸ばす。
だから、主任として自信を持って、『富田』の仕事を任せたいと思ってる。
もちろん、僕も関わらせてもらうし、最大限の協力はするつもりだから」


少し強かった千鶴の表情が、落ち着きを見せていくのを、僕は感じ取れた。

あの頃の、優しく明るい彼女は、決して消えてしまったわけじゃない。


「そんなふうに、わかりきったように言われると……」

「わかるよ。僕が君を見る目も、あの頃よりずっと冷静だから」


僕のそのセリフに、千鶴はすぐに視線をあげた。

胸の奥にしまった思い出は消えることがないが、僕らはもう、見つめ合う関係ではない。


「自信持てよ。『ボルダワイン』の会場で、発表をした君は、昔と同じで魅力的だった」

「……何よ、とってつけたような言い方して」


僕は残った紅茶を飲み干し、店の外へ視線を向けた。

学生同士のカップルが、腕を組み、笑いあっている。


「千鶴……」


彼女と再会してから、僕はあえて名前を呼ぶことを避けていたが、この言葉だけは、

君と言うべきではないと、そう思った。

あの時言えずに、ただ苦しさだけをぶつけ合い別れたが、今ならば素直に言える。


「逃げないで、自分から幸せを捕まえに行け、意地を張ると後悔するぞ」


こんな風に二人で会うことは二度とないだろう。僕はそう思いながら、一度大きく深呼吸をした。





望の母親から連絡が入ることはなく、2週間が過ぎた。

そんな中、僕と濱尾は『ボルダワイン』の担当を分け合い、予定通り千鶴の『富田』は

濱尾が担当になる。最終的な打ち合わせを終えたため、慌ただしかった仕事も

少し落ち着きを見せ始めた。





「ただいま……」

「あ、お帰りなさい」


リビングに入ると、望が食器棚から皿を全て出し、掃除をしているところだった。

仕事を終え疲れて戻ってきただろうに、なぜこんなことをしているのかと、問いかけてみると、

僕が今日、食べないのを知っていたから、作るのが面倒だったと、望は笑顔で答え、

テーブルの上に重ねてある皿の山を、元の位置に並べ始めた。


また別の日に帰ってみると、望は窓ふきの最中だった。洗濯物を取り込んだ時、

汚れが気になったのだと言いながら、僕に気付くとすぐに食事の準備を始める。

そんなふうに何かに集中しているかと思えば、手に針と糸を持ったまま、

どこか上の空になっている日もあった。


そんなあべこべの日々の中に、口に出せない彼女の想いを感じとる。


一緒に暮らすようになって、自分の気持ちを少しずつ前に出せるようになった望だったが、

あの日、母親と再会したことのインパクトは強く、また、あまりに近い存在の悩みを、

僕に切り出すタイミングがわからないのだろう。


「それ、何?」

「エ……うん。あのね、ストラップを作ってみたの。
ほら、この部分で画面を拭くことも出来るでしょ」

「へぇ……」


一針ずつ進む望の手の動きを見ながら、僕はマウスを動かし、あるホームページを開く。


「なぁ、望。来週か再来週あたり、休み取れる?」

「休み? 何かあるの?」

「少し忙しかったからゆっくりしたくて。一緒に行かない? 温泉とか……」


望はその言葉にすぐこっちを向いた。僕が何を言いたいのか、薄々感じているようで、

リズムよく動いていた両手が、そこでピタリと止まった。


「箱根……、一緒に行かないか?」



……二人でもう一度、お母さんに会いに行こう。



その意味を含めた僕の言葉を聞き、望の目にうっすらと涙が溜まり始めた。

頷くことなく、返事をすることなく……。彼女の中で、一番反応が早かったのは、

やはりそこだったかと思いながら、僕は近くにあったティッシュを手に取った。





53 一歩前へ へ……




いつもおつきあいありがとうございます……

ランキング参加中です。よかったら1ポチ……ご協力ください。

コメント

非公開コメント

不思議な読後感

 あんにょん~^^


  千鶴・望との恋愛を通して、祐作の成長を感じとれ、
  千鶴の問題も一応の決着をむかえたようですね。

  望に対しても、悩む望に対して
  何が彼女に必要なのか・・・
  祐作の思いやりに ホロっとしました。

  こんないい男もいるんだな~と
  どこまでも続く青空のような 爽やかな読後感
  その余韻に浸っているところです・・・。

祐作の成長(〃▽〃)

ももんたさん こんばんは^^

祐作は、千鶴さんが自分のことを頼っているようで、実はちゃんと見つめてくれてはいないこと
ちゃんと判っていたんだね・・・。
>「逃げないで、自分から幸せを捕まえに行け」
元恋人へ贈る誠意のこもった言葉に…清々しさを感じました。

そして、自分の守るべき人の微かな変化も感じ取って…
ほんと祐作の心の成長が、実感できました。

ラストの「ティッシュを手に取った」って…、巧いなぁ~!
目と鼻を真っ赤にした望ちゃんが、目に浮かぶようです^^

愛が・・・

千鶴のSOSをちゃんと聞き取れた祐作。確かに愛した人だったから・・・
本当に守りたい人が出来たから、ちゃんと終わらせることが出来た。

望のSOS、その為にはもう一度ぶつかるしかない。
愛って人を素敵に成長させるのですね。

揺ぎ無い望への愛を感じる。

送り出す

miharuruさん、こんばんは!


>千鶴・望との恋愛を通して、祐作の成長を感じとれ、
 千鶴の問題も一応の決着をむかえたようですね。

はい、望の存在に安心し、祐作はしっかりと過去に別れを告げました。
もちろん、揺れていたわけではないですが、やっと『送りだせた』気分だと思います。


>悩む望に対して 何が彼女に必要なのか・・・
 祐作の思いやりに ホロっとしました。

祐作は、広告代理店のエリート営業マンですからね。人の心理を読むのは、得意なはずで(笑)。
まぁ、望に関しては、愛の力でしょう。

読み終えた後、爽やかな気分になれたのなら、こちらも嬉しいです。

望の姿

eikoちゃん、こんばんは!


>祐作は、千鶴さんが自分のことを頼っているようで、
 実はちゃんと見つめてくれてはいないこと
 判っていたんだね・・・。

はい、自分を素通りする千鶴の視線に、しっかりと気付いてました。
それでも、好きだった人ですからね、突き放せなかったのですが、こうして『送り出せた』ことに、
満足していると思いますよ。

それも、望との出会い、経験があったからでしょう。


>目と鼻を真っ赤にした望ちゃんが、目に浮かぶようです^^

あはは……。私もこのラストは気に入ってます。
目に、浮かびますよね(笑)

愛は人を成長させるのね

yonyonさん、こんばんは!


>千鶴のSOSをちゃんと聞き取れた祐作。確かに愛した人だったから・・・
本当に守りたい人が出来たから、ちゃんと終わらせることが出来た。

そう、ちゃんと終わることが出来ました。
どこか頼りない望ですが、その存在が、祐作を大きく変えています。


>愛って人を素敵に成長させるのですね。

そうそう、私達も彼に恋をして、成長しているんですよ、yonyonさん。
(いや、あなたはスリムになったんだった、私だけだ、成長したのは)

千鶴の変化

yokanさん、こんばんは!


>青山君、冷静だ~。今は三田村ちゃんがいるから、
 千鶴さんのことも冷静に見れるんだよね。

はい、望の存在が、祐作を強くして、また優しくしたのだと思います。
千鶴の余裕のなさが、二人が向かい合っていた頃とのギャップを生み出していて、気付いたのでしょう。

さて、箱根へ行って、わだかまり、とけるでしょうか……
またまた、続きます。

いい男は・・・

ももんたさん、こんばんは。

2話一緒に読めて、ヨカッタヨカッタ。^^

望ちゃんのお母さんの態度はムっとすることも歩けど、これも彼女が辛い経験したことで、そういう風になったのかもしれないね。

望ちゃんだって、何だかんだ言っても血の繋がった母親なんだからそういう姿を見るもの辛い。

>二人でもう一度、お母さんに会いに行こう。
よく言った。^^v いい男になったよね。

そしていい男になったから千鶴の事もよく見えるようになったんだよね。

一つ一つの言葉にう~~ん納得!!!。

峠をこえて・・・

こんばんは!(真夜中ですが・・・)

祐作くんにとって、望さんという恋人の存在がとっても大きくなっているし、千鶴と対峙した時に心にも
余裕を持てたのね! 祐作くんと望さんの、お互いを
思いやる気持ちが二人を成長させたのでしょう・・・

二人で箱根の峠を越えて、今度はお母さんと対峙する
時ね。 二人の気持ちが通じますように・・・
きっと通じますよね!

大人の男。

本当に祐作は大人の男になりましたね。
自分の事も相手の気持ちも分かっている。

千鶴が自分の向こうのご主人を見ていることも。
ご主人に振り向いて欲しいと思っていることも。
突き放すのではなく諭す様に話す祐作に惚れました^^;

望ちゃんの気持ちもしっかり分かっているし
なんだか妬けちゃうな~~

後はお母さんのことですね。
上手くいくと良いけど。。
これ以上望ちゃんを傷つけ無いで欲しいな!

祐作の経験

tyatyaさん、こんばんは!


>望ちゃんのお母さんの態度はムっとすることもあるけど、
 これも彼女が辛い経験したことで、
 そういう風になったのかもしれないね。

人は環境に左右されますからね。
別の場所に生きていれば、また違った考え方になったかもしれなくて。
それでも、まだ、全ては見えていない気がして、
二人は箱根へ向かいます!


>そしていい男になったから
 千鶴の事もよく見えるようになったんだよね。

そばにいてくれる人の存在があって、祐作も冷静に判断が出来ました。
最後まで、お付き合い、お願いします。

心のよりどころ

hachioujiさん、こんばんは!


>祐作くんにとって、望さんという恋人の存在が
 とっても大きくなっているし、
 千鶴と対峙した時に心にも 余裕を持てたのね!

はい、望という心のよりどころがある祐作には、
焦りを見せる千鶴の心が、しっかりと読めたのだと思います。
人って当事者じゃない事柄には結構冷静に対応できたりしますからね。

さて、箱根で頑張れるのか、気持ちが通じるのか、
それはまた次回へ続きます。

妬けちゃうの?

beayj15さん、こんばんは!


>千鶴が自分の向こうのご主人を見ていることも。
 ご主人に振り向いて欲しいと思っていることも。
 突き放すのではなく諭す様に話す祐作に惚れました^^;

恋の経験が、祐作を大きく変えてくれました。
自分が幸せだからこそ、出来ること……だと思います。


>望ちゃんの気持ちもしっかり分かっているし
 なんだか妬けちゃうな~~

あはは……妬けちゃうの?
祐作は望じゃないと、振り向かないよぉ(笑)

さて、二人は箱根へ……
うまく行くかどうかは、続きを!

ラストまでもう少し

拍手コメントさん、こんばんは

>元カノの千鶴の登場と望の母親再会で、何かありそうで怖かったけど、
 祐作が、箱根に行こうと提案して、もしや、御挨拶かな?って思いました。

毎日、読み続けてくださって、とっても嬉しいです。
さて、二人の箱根行き、何があるのか……
エンディングに向かって、もう少しです。
最後まで楽しんで下さい。