21 恋の糸 【21-4】

『稲倉』と『岸田』。

分譲マンションの候補予定地争いに勝った泰成は、

その仕事に取り組み、次なる手を考えていた。

岳の性格からすると、今度は別の候補地を自ら探し出し、今以上の物件、

今以上の条件を、自分の力で得ようとするはずだとそう考える。

東京でオリンピックが行われることが決まり、湾岸地域の土地は、

数年前とは比べられないくらい価値が上昇した。

新しいものは、全て耐震の基準が厳しいため、検査の回数も箇所も多く、

業者にしてみると、厄介なことも多い。


その泰成の見立ての通り、

確かに岳の頭の中には『次こそ』の思いが大きくなっていた。

敦が『BEANS』を去ることが決まり、武彦との糸を手繰り寄せるのは自分だけになる。

あと数年のうちに、この先20年以上の月日を問題なくこなせるように、

岳は自分なりの納得する地点を目指していた。

チームが探してきた候補地をあれこれ吟味するが、『ここ』という案は出てこない。


「はぁ……」


首を軽く回し、廊下を一人で歩いていると、

数日前、あずさに渡された楽譜の音楽が、勝手に体の中から鳴りだした。

岳は、頭の中でハミングしながら、歩いていく。

ふらっと外を見たとき、遠くに電車が走っていくのが見えた。

景色の見える窓の桟部分を、指ではたく。

それは『クラリネット』の指使い、そのものだった。





先日、悩み事があるのならここへ行けばいいと、

『マダムライラック』の名刺を、生徒として来ている社長夫人から

受け取った逸美だったが、それは、財布の中にしまっている状態が続いていた。

慌しい1月が終わり、カレンダーは2月になる。

『中村流』の催し物を開催する『三国屋』に、父が挨拶に向かうことが決まり、

そこに逸美も同席することになった。



『三国屋』



青木会長の3女。青木梨那のことは、逸美もよく知っていた。

典型的なお嬢様体質の女性で、3姉妹の末っ子ということもあり、

両親のかわいがりようは、周りから見てもよくわかるものだと父からも聞いている。

逸美は、そこに岳の姿を思い浮かべた。

親の後を継いでいかなければならない逸美と違い、

梨那は、姉夫婦がすでに地位をもっているため、岳と結婚し、

『相原家』に入ることが予想できた。

望んでつかめなかったものをつかむ予定の人が、ここにいると思うだけで、

落ち着かせようとしていた気持ちが、また勝手に騒ぎ出す。

応接室の扉が開き、逸美は父の少し後ろに立ったまま、前を見た。


「どうも、中村先生、本日はわざわざお越しいただきまして。
どうぞお入りください」

「いえ、こちらこそ申し訳ありません。
会長自ら打ち合わせに参加をしていただくなど」


逸美の目に、青木会長とは別の人間が映る。

父が前に進んだので、逸美もそのまま前に出た。

ハッキリと見えていなかった人の顔が、その時初めてわかる。


「書道の伝統と、新しい可能性を両立する中村流の催し物を開くのですから。
『三国屋』としても、喜ばしいことです」


梨那の父が、逸美と父親の前に姿を見せた。

そして、その隣には、梨那自身が立っている。


「中村先生、お久しぶりです、青木梨那です」


梨那は、逸美の父親とどこかで会ったことがあるのか、

『お久しぶり』という言葉を選び、挨拶をした。

逸美はなぜここに梨那が立っているのか、飲み込めないまま、一緒に頭を下げる。


「……あぁ、お久しぶりです。以前お会いしたのは、まだ高校生……」

「はい」


梨那は、学生服でお会いしましたと、照れくさそうに笑っている。


「3女の梨那が、今、『三国屋』の広報で仕事をしております。
今回、中村流の催し物を開催することが決まったことを知り、
それならばぜひ手伝いをと言い出しました。最初はお邪魔かとも思いましたが、
私自身、逸美さんの立ち振る舞いなど、ぜひ梨那にも学んで欲しいと思いまして」


梨那の父、文明は身のこなしや作法など、逸美はいつもすばらしいとそう褒めた。

逸美は『そんなことはありません』と言うと、父の隣に立つ。


「いえいえ……中村流の跡取りは、書も見事だし、志も見事な方だと、
『三国屋』をご贔屓にしていただいているお客様からも、お話しは伺っております。
それに比べて……」


文明は隣に立つ梨那に視線を向ける。


「とにかく末の娘で、甘やかしてしまったもので……」

「お父さん……」


梨那は、文句ばかり言わないでと隣に立つ父親の背中に触れる。

そして、斜め前に立つ逸美を見た。


「逸美さん……『エントリアビール』のご次男と、ご婚約されたと伺いました。
おめでとうございます。素敵なお相手で……」


梨那はそういうと、少し口元を緩めた。

逸美は、『全てを知っている』梨那の、あまりにも表向きな言い方を聞き、

バッグを持っている手を、強く握り締める。

逸美の感情が、全て愁矢に向かっている状態なら、素直に受け取れたのかもしれないが、

『あなたの相手は決まったでしょ』と、あえて釘を刺された気がしてしまう。


「ありがとうございます」


逸美は、挨拶の返しだけを梨那に向かわせる。


「本来なら、今月式をと思っておりましたが、
まさか会長が急に亡くなられるとは思いもしませんで、少し予定がずれてしまいました。
それでも、なんとかいいご縁を結べそうです」


逸美の父は、娘同士の複雑な関係など何も知らず、

『中村流』を残すために未来を選んだことを、嬉しそうに話す。


「そうですか……うちもそろそろと思ってはいるのですが」


文明は、梨那もそろそろ落ち着いて欲しいのですがと言いながら、

逸美たちに座ってくださいと合図する。逸美と父はソファーに座った。


「お父さん……私のことは文句ばかりね」


梨那は、中村家のみなさんには関係のないことだからと、父に話す。


「いや……梨那さんも、これだけ素敵になられたんだ。
結婚を考えさえすれば、いいお相手などすぐに見つかるでしょう」


逸美の父は、そういうと梨那を見る。

逸美は会話を耳に受けながらも、視線だけはその中に入るまいと下を向いた。


「それがですね、娘の心は決まっているようなのですが。
なかなか進まなくてね。今年中にはと、彼にも話をして……」


『彼』という言葉に、逸美の脳裏に岳の顔が浮かぶ。


「ほぉ……すでにお相手は決まっていらっしゃる」


逸美の父は、それはどちらの方かと、一般的な興味を示した。


「『BEANS』の相原岳さんです」


梨那は、あえてそうハッキリと口に出した。



【21-5】



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