23 思い込みの法則 【23-1】

『今日、あんたの借り日だろ』

『まぁ、ちょっとだけ顔でも出すよ』



あずさが『リラクションルーム』を借りる日。

そこに村田が来ることになりそうな返事をもらい、

あずさは、タイミングよく岳が顔を出せば、『ミドルバンド』の人たちと同じように、

新しい関係性が生まれるのではないかと考えた。

ハミングしながら3階に戻り、事務所に入ると、

ちょうど社長の柴田から電話が入ったようで、小原が受話器を持ち、

『はい』と何度も頭を下げている。

横にいたほたるに、あずさは『社長だよね』と口を動かす。


「そうみたいです。なんだか急に群馬へ行ったとか」

「群馬?」

「はい。昨日も社長、結局事務所に来なかったですよね。遅番引き受けていたのに」

「あ……そういえば」


あずさは席まで戻ると、FAXで届いた注文書を見る。

どうして急に『群馬』なのだろうと、

持ち主のいないまま空席になっている社長の椅子を見た。





「こんばんは」

「うん……」


いつものようにあずさは『クラリネット』を組み立て、そこに来た岳を出迎えた。

岳は、明らかに楽しそうなあずさに気付く。


「何かいいことでも起きたのか」

「どうしてそう思います?」

「起きましたと顔に書いてある気がした」

「いえいえ、別に」


あずさは、これからここに村田が来るだろうと予想しているだけに、

岳がどういう態度を見せるかと考えた。最初こそ気まずさもあるだろうが、

村田の本格的な演奏を耳にすれば、空気はきっと変わるだろうと思い続ける。

岳はクラリネットの箱をテーブルに置く。


「1ヵ月後だそうだな。ここでのコンサート」

「はい。楽しみです」


あずさはそういうと、岳を見た。


「岳さん」

「何」

「少し、肩……揉みましょうか」


あずさの提案に、岳は顔をあげる。


「どうして急に」

「急ですか? ここでクラリネットを吹くために、
肩を緊張させていると思っていたので。練習していても、
よく肩を動かしてましたよね」


あずさは腕も完全に治ったし、大丈夫ですよと腕まくりをする。

岳は『いいよ』と言おうとしたが、そのセリフは出て行かない。


「肩もみをしたからといって、別に何も言いませんよ、
期限を引き延ばせとか、条件を変えろとか……」


あずさは、それを警戒しているのですかと、岳を見る。


「いや……」

「ただ単純に、岳さんの肩が凝っているように見えただけです」


あずさは無理にとは言いませんがと、楽譜を取り出す。

岳は、あずさの提案には答えないまま、自分の左肩に右手を置いてみた。

少し押すだけで、確かに自分でも凝っていることがわかる。

視線をあげると、様子を伺っているあずさと目があった。

岳は上着を脱ぐと、それを椅子の背もたれにかける。


「まぁ、そう言うのなら」


あずさは立ち上がると岳の後ろに回り、両手を肩に置く。

ただそれだけなのに、岳の肩からは、スッと力が抜ける気がした。

今まで結果を出してもらってきた安心感。

そういったものが、無駄な力をそぎ落としていく。

あずさの指が動きだし、丁寧に岳の肩を揉み始めた。

凝り固まっている色々なものが、徐々にほぐされていく。



『頭がいいのだから、出来て当たり前』

『あなたは完璧だから、絶対に間違いない』

『力があるから期待されている。しっかりと答えなさい』



岳の鎧が、あずさの指の動きに、錆びた部分を修正されていく。

人は誰でも同じように呼吸をし、誰でも同じように眠くなる。

どんなに頑張っても、気持ちには限度があることなど、

口に出したことのない思いが、岳の頭の中で浮かんでは消えた。


「なぁ……」

「はい」

「俺から『BEANS』を取ったら、何が残る」


岳は、無意識にそうあずさに問いかけていた。

どう答えが戻ってくるのか、どこかで予想しながら、

そこに別の答えが出てこないかと、期待している自分がいる。


「岳さんから『BEANS』ですか」

「あぁ……」


岳は以前、梨那に聞いた時の答えを、思い出していた。

『BEANS』が岳の全てであり、そんなものは取ることなど出来ない。

自分に絡み付いている『BEANS』の存在を、あらためて突きつけられた。


「妙な質問だなと思いつつ、答えますね」

「妙な質問か?」


岳は、予想外の言葉に、思わずそう言ってしまう。


「妙だと思いませんか?
だって、岳さんの中に元々『BEANS』があるわけではないでしょ」


あずさは、『BEANS』は、社長の武彦を始めとした社員全員のものだと、そう話す。


「もちろん、岳さんが責任のあるポジションだから、そういう考えを持つのも、
わかる気がしますけど。そうだなぁ……きっと肩が凝ることもないし、
スーツを着て厳しい顔をする必要もなくなるのかなと……」


あずさは、何かを想像するのか、岳の背中越しにクスクスと笑い出す。


「笑われるような質問だったのか、今のは」

「いいえ、違います。でも、岳さんは岳さんだし……」


あずさは肩を揉みながら、『そうだな』とさらに考え出す。


「そうだ、お風呂あがりに裸で平気なこととか、人には注意するのに、
自分は忘れ物をしてしまうこととか、そんなそこらへんの人たちと同じ部分が、
たくさん見られるようになる気がします」


あずさはそういうと、これでどうですかと岳に聞き返す。


「あ、うん。もういいよ。ごめん……」


岳は肩もみを終わりにしようとしているのだと勘違いし、肩を動かし始める。


「あはは……違いますよ。今のは質問の答えがどうなのかと聞いたのに。
ほら、勘違いですよ。もう……」


あずさは楽しそうに笑い、あと5分と自分で時間を決める。

岳はあずさの笑い声を聴きながら、自然と笑みが浮かんだ。



【23-2】



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