23 思い込みの法則 【23-3】

「バンドマンだった頃は、収入もあったけれど、俺の金づかいも荒くてね。
家内には迷惑ばかりかけたんだ」


村田は、演奏を終えた後、『バンドマン』から、今の店を持った過程を説明し始めた。

あずさは初めて聞く話に対して、興味深そうに頷いていく。


「でも、いいときなんて長くは続かないな。
バンド演奏も必要がないような、カラオケ時代が来て、
気付くと、本来なら貯めていたはずのお金も、何もなくなっていた」


そんなとき、昔、よく店に来てくれた客から、持っていた店を引き継がないかと言われ、

今の『村田ホビー』の形になっていったと説明する。


「もっと大きな倉庫を借りていたけれど、事業の縮小で、立ち退くことになり、
そんな話を聞いた柴田社長のお父さんが、俺に今の場所を紹介してくれたんだ。
もちろん、相原会長にも世話になった。
『バンドマン』だった頃を知っている人たちの情けで、ここまで……」


村田を支え続けた奥さんは、5年前に亡くなったという。


「子供もいないし、家内もいなくなったし……そうしたらこのビルもと言われて、
なんだかもう、生きている必要がないと、言われた気になった」

「そんなこと」


あずさの言葉に、村田は『そうなんだ』と頷いていく。


「思い出が……このビルだけなんだよ。私には」


奥さんと二人で、商品をさばいてきた日々を、これから思い出せなくなると言われ、

岳はトランペットを見る。


「トランペットが……あるじゃないですか」


岳は、母、麻絵を亡くした自分も、今、『クラリネット』に向かうことで、

何かを思い出していることに気付いたからなのか、思わずそう言ってしまった。

あずさは、岳が村田と顔を合わせていることすら嫌なのだろうと考えていただけに、

話しかけたことに驚き、その顔をじっと見てしまう。


「そう……そうなんだよ。宮崎さんに言われて、気付いた。
吹かなくなって、もう何年も経つのに、
なぜだか手入れだけは当たり前のようにしていたんだよ。
これを吹いているときには、金遣いも派手で、あいつに迷惑もかけてきたのに、
なんだろうな、もう一度吹いてみると、あいつが店に演奏を聴きに来た時の頃を、
思い出したんだ」


村田は、今と違ってもっともっと若かったよと笑顔になる。


「ビルがなくなっても、店がなくなっても、俺がトランペットを吹いていたら、
あいつが喜ぶような気がしてね」


村田の言葉に、あずさはそうですよと頷いていく。


「村田さんが楽しく毎日を過ごしてくれることが、一番奥さんの望むことです。
音楽は……いつまでも残りますから」

「あぁ」

「その曲を聴くだけで、懐かしい思い出も蘇りますし」


あずさの言葉に、岳はここであずさが泣いていた日のことを思い出した。

亡くなった先輩、織田祐との思い出を、引き出しから出してしまった日。


「そうだな……」


岳は横にいるあずさを見る。


「コンサートが実現出来るのなら、会長が聴きに来てくれると聞いて、
いても立ってもいられなくなった。絶対にあの頃の生きた音を聴かせたいしね」


村田は、これからしっかり練習して、本番を迎えるよと、あずさに笑いかける。

あずさは、たくさん練習して素敵な音をお願いしますと、村田に頭を下げた。





午後9時半を過ぎ、『リラクションルーム』にはまた、あずさと岳が残った。

あずさの借りている時間は9時までだったが、今日は村田が登場し、

思い出話なども披露していた時間がプラスになり、予定がずれていく。


「もう時間が過ぎているのだから、帰るだろ」

「あ、はい。すみませんでした。今日はあまり練習できませんでしたね。
村田さん、気持ちが解放されたからなのか、
なんだかとても楽しそうにあれこれ話してくれて」


あずさは『クラリネット』を片付けながら、そう答える。


「いや、それはいいけれど」

「私は事務所に戻って、明日の納品がどれくらいなのか確認してから帰ります。
いつもは社長がいてくれるんですけど、ここのところ体調を崩しているとかで、
お休みが続いていて」


あずさは、柴田がいないため、明日の準備をして帰りますとそう返事をする。


「どれくらいで終わりそうなんだ」


あずさはどうしてなのかと、岳に聞く。


「すぐに終わるのなら、待っていようかと」

「待つ?」

「宮崎さんも車に乗って帰ればいい」


岳は、同じように『クラリネット』をケースにしまう。


「いいですよ……」


あずさの言葉が、床にしっかり落ちるくらいの時間、岳は黙ったままになる。


「あぁ、そうだ。いつもそう言うだろう。あまり強制的に言うのもと思い、
あえて言わないでいたけれど、今日は特別だ」

「特別? 何かありましたっけ」


あずさは誕生日でもないしと言いながら、スマートフォンで電車の様子を確認する。


「大丈夫です、電車も止まっていませんし」

「そうじゃない。てこずるだろうと思っていた、村田さんの説得を、君がやり遂げた」


岳は、これでビルの建て直しに問題はなくなったとそう話す。


「私が何かをしたわけではありませんから、そんな気遣いは結構です。
村田さんが気付いてくれただけですよ」

「だとしても、君がきっかけを与えたことは間違いないだろう」

「でも……」


岳は同じ場所に戻るのだから、素直に車に乗ればいいとそう返す。


「仕事が残っているのならすぐに取り組んでくれ。待っているから……」


『待っている』という岳の優しい言葉に、

あずさはそれ以上あれこれ言うべきではないと考え、

『はい』と答えるとクラリネットの箱を閉じた。





そして、涼子が東京に来る日がやってきた。

敦は車に乗り、朝から支度をし始める。

浩美は、敦の様子を見ながら、『どこに行くのか』と声をかけた。


「ちょっと、友達と会ってくる」

「そう……」


『友達』とはどういう意味なのか、浩美は深く聞くことなく敦の横を通る。

まだ、様子の変わった雰囲気は見られないため、

千晴の言葉が相手の女性には効かなかったのだろうかと、別の心配が生まれた。

敦は、そんな母の企みなど知らないまま、玄関で靴を履く。


「あれ? 敦、今日は会社じゃないの?」


入試休みとなった東子にそう言われ、敦は『出かけるから』と返事をする。


「あれ、あれ……デートとか?」


東子は、そういえばちょっとおしゃれだよねと、敦の周りをグルリと回る。


「邪魔だよ、東子」


敦は、軽く東子の頭を叩くと、車に乗って相原家を離れていった。





『稲倉』と『岸田』の争奪戦に負けてから、岳は次の仕事をどう進めるのか、

ずっと迷いの中にいた。だからこそ、『クラリネット』を取り出し、

夢中で吹くようになり、気持ちを切り替えるつもりだった。



『歩み寄り』




そのキーワードを元に、

岳は、今まであまり重要視してこなかった営業部のアンケートを、

あらためて見直そうと考える。岳は階段を降り、『営業部』にいるはずの男を捜した。



【23-4】



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