25 朝日の昇るとき 【25-2】

「こうしたらこうなるとか、考えていません。得とか、損とか、
それも考えていなくて……そうしたくなるんです」


あずさは、『何か出来るのでは』と考えてしまうと、笑って見せた。

岳は、あずさらしさと言えばそれまでなのだがと、残りの距離を見る。


「なんのためにやるのかって、以前聞かれましたよね。でも、それが私だって、
そう答えた気がします」

「……あぁ……確かね」


あずさは、横で一生懸命運転してくれている岳の顔を見た後、クスクスと笑い出す。


「どうして笑うんだ、笑う会話じゃないと思うけれど」

「だって……岳さんだって今、ここにいるじゃないですか」


あずさは、自分の得にならないことを、岳自身がしていると、そう指摘する。


「疲れているのに、こうして群馬まで車を走らせてくれているでしょう。
私は、今、その岳さんに助けられているわけで……」


あずさの言葉に、岳はそれは違うと言おうとしたが、

何が違うのか、自分でもよくわからなかった。

庄吉から玉子のことを聞き、あずさがまだビルの中にいると知った時から、

こうなることを、当たり前のように話していた。


「みなさんに支えられて、私もここにいます。だから、自分だけ損をしているなんて、
思ったことはありません」


あずさはそういうと、まっすぐに前を見る。


「玉子さんは大丈夫です。あの苦しい時代を一人で生き抜いてきましたから。
私のことを誰よりもかわいがってくれたし、絶対に待っていてくれるはずです」


あずさは、隣にいる岳と、自分自身を励まそうと、精一杯言葉を並べていく。


「そうだな……おじいさんが憧れ続けた人なのだから」


岳の後押しの言葉に、

あずさは手に持ったハンカチで目を何度か押さえながら、小さく頷いた。





『庄吉さん……』


あずさと岳が玉子のところに向かって走っている頃、

庄吉は『青の家』の部屋で、一人海を見つめていた。

長い間、絆を保ってきた自分と玉子の時間に、

『終わり』が迫ってきているような、そんな重苦しい時間を1分ずつ重ねていく。

そばに行きたいという気持ちと、行かない方がいいという気持ちが半分ずつ、

庄吉の心を揺らしている。


太平洋戦争という『個人』というものさしでは何も図れない、重苦しい空気の日々。

父親の思いを引き継いだ玉子が、正式な夫と暮らしたのはほんの短い期間だった。

それよりも長い、長い年月、庄吉と玉子は『小さな交流』を続けてきた。

保たれた距離が、近くなることはなかったが、それをあえて選び続けてきた。

庄吉は海の上にある空を見る。

自分は、やはりこの場所でただ黙ったまま、

訪れる無言の別れを受け入れようと思い、月にかかっていく雲を見た。





「お母さん」

「あずさ……」


岳の車に乗ったあずさは、渋滞に巻き込まれるようなことは無く、

順調に『第一病院』に到着した。

玉子の入っている病室の前には、母の美佐と父親が立っている。

あずさは玉子の様子はどうなのかと、美佐に尋ねた。


「とにかく入って」


あずさは美佐に言われるとおり、病室の中に入った。



病院に無事あずさを送り届けた岳は、駐車場に停めた車の中で、

シートを少しだけ倒し、緊張していた気持ちを、解放しているところだった。

メールの印を開くと、留守番を頼んだ敦から、

『練習は無事に終わった』という連絡が入っている。

診察は終わっているものの、『救急病院』だけあって、まだ病室も明るい場所が多くある。

岳はその中に飛び込んでいったあずさのことを考えた。



『みなさんに支えられて、私もここにいます。だから、自分だけ損をしているなんて、
思ったことはありません』



あずさの言葉には、迷いも繕いもないように思えた。

心の底からそう思い、自分の行動を自分のためだと受け入れていた。

『コンサート』は確かに、あずさ自身が考えたもので、

無謀ともいえる色々な行動がなければ、成り立たなかったイベントになる。

それでも、それによってバラバラだった『Sビル』の借主たちと、

『BEANS』側の人間が、一緒にその日を迎えようという一体感まで生まれた。



『なんのためにやるのかって、以前聞かれましたよね。でも、それが私だって、
そう答えた気がします』



玉子の容態がどうなのか、ここからはわからないが、これまで頑張ったあずさが、

演奏を聴けないのかと思うと、心に空しさだけが増えていく。

それでも、あずさは満足げに、後から報告を聞くだろうということも、

岳には予想がついた。『聴けなかった』ことを悔しがるのではなく、

『みんなが楽しんだ』ことを、自分が楽しんだように受け止める。

あずさの言葉に出ていた、『それがあずさ』だと、岳自身もそう考える。



『玉子さんは大丈夫です。あの苦しい時代を一人で生き抜いてきましたから。
私のことを誰よりもかわいがってくれたし、絶対に待っていてくれるはずです』



岳は、とりあえず玉子のところにあずさを送り届けられてよかったと思い、

一度車から出ると、帰り道で飲むために、自動販売機でコーヒーを買う。

両手でその温かさに触れていると、病院内からあずさが飛び出してきた。

岳は思わず『どうした』と声を出す。

あずさは、その声に気付くと、岳の顔を見ながら、ボロボロと涙を流し始める。


「どうした……」


玉子との別れに間に合わなかったのかと、岳は緊張した顔であずさを見た。

あずさは、泣いている顔の前に、自分の両手を出した。


「岳さん……玉子さんが握ってくれました。
あずさだって言ったら、ちゃんとしっかり手を……」


あずさはそう言いながら、『よかった』と声を出す。


「岳さんのおかげです。本当に、こんな遠くまでありがとうございました」


あずさの言葉に、そばに立っていた岳はそのまま前に出る。

『よかった』の気持ちは言葉にならず、そのままあずさを抱きしめた。

一瞬、驚いたあずさだったが、そのぬくもりに押さえていた涙がまた溢れ出す。

二人はしばらく抱きしめあったまま、病院の小さなライトの前に立っていた。



【25-3】



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