26 噂のひとり歩き 【26-1】

相原家ではあずさが東京に戻る前に、敦の引っ越しの日がやってきた。

浩美は納得できていないものの、武彦の賛成があった以上、

とりあえず黙って見送ることになる。


「滝枝、今までありがとう」

「敦さん」

「とは言っても、ここは僕の家だから。なんだかんだと出入りする」


幼い頃から家のことをいつもしてくれた滝枝に、敦は言葉をかけると、

体に気をつけるようにと、そう話す。


「はい……」


滝枝は、ありがとうございますと頭を下げる。


「兄さん。ありがとう……」


敦は見送りに出てきた岳にそういうと、深々と頭を下げた。

隣にいた東子は、早く部屋を片付けて遊びに行かせろと、文句を言う。


「しばらく来るな。お前が来るとうるさい」

「ひどい」


敦から声をかけてもらったものの、

岳は東子の割り込みもあり、適当な言葉がかけられなかった。

『元気でガンバレ』とか、『いつでも戻って来い』など、

この場にふさわしい言葉はいくつかあるのだろうが、今の岳には、

どれも自分の気持ちの代弁となるには、合わない気がしてしまう。

敦の視線は、浩美に向かう。


「母さん……。僕は、しっかりと生きていくから。
母さんに理解してもらえる日が、必ず来ると思っている」


敦はそういうと、見送る家族に背を向け靴を履き、『相原家』を出て行った。





『あずさ……危ないからこっちにおいで』

『玉子さん、大丈夫、ねぇ、見ていて』



あずさは、その瞬間目を開けた。

カーテンの外はすっかり昼の時間なのに、

あずさの気持ちはまだ夜明け前のように、靄のかかった状態になっている。

何か用事があるわけではなかったが、どこか気持ちを入れ替えたくて、

あずさは自転車に乗り、近所を走り出す。

家の角を曲がり信号を渡ると、そこは懐かしい場所だった。

幼稚園に入った頃、少しずつ老いが進み、歩くのもゆっくりになった玉子と、

あずさは家の周りをよく散歩した。

足取りは幼稚園児のあずさの方が、しっかりしていたくらいなのに、

玉子はいつもあずさを心配し、何度も声をかけてくれた。

母親の美佐に怒られて押し入れで泣いていると、玉子はよく遅れて入ってきて、

優しくあずさを抱きしめてくれた。

しわだらけの手が大好きで、幼いあずさはその手のしわをひっぱってみたり、

なでてみたりしていて、玉子もそんなどうでもいいようなことを、

いつも楽しみにしてくれていた。

あずさは次の作物を育てるために、休んでいる畑の真ん中で自転車を止める。

白い雲が浮かんでいる空を見た。


「そっか……」


『玉子さんはもういない』

この言葉を口から出すことなく、あずさの目から涙が溢れ出す。

いつかはこういう日が来るとわかっていたのに、その日はもっともっと先だと、

どこかそう思い込んでいた。

あずさは流れてくる涙をそのままに、また自転車で走り出す。

どこに向かおうと決めていたわけではないので、ただ、気持ちが済むまで、

自転車をこぎ続けた。





「おはよう」

「おはよう……」


敦が家を出た相原家でも、いつもと同じ朝をむかえていたが、

やはりそこにいた人がいないという現実が、残ったメンバーをどこかギクシャクさせる。

敦は自分から話題を振ることもあまりなく、

どちらかというと聞いている方が多いくらいだったが、

頷いてくれるという、ただそれだけで、『家族』そのものだったと、

岳も東子も口に出さないまま、感じていた。


「あずさちゃん、いつ戻ってくるのかな」


東子はそうつぶやくと、朝食のパンを一口かじった。

浩美は、人が亡くなるということは、やらなければならないことも多くて、

ご家族が大変なのでしょうと、そう話す。


「もう帰ってこないとか……ないよね」


東子のつぶやきに、岳は何も言わないまま立ち上がる。


「ごちそうさまでした」


片付けのためにそばに立っていた滝枝に声をかけると、

岳は身支度を整えるために部屋へ戻った。





「今回は、『BEANS』の複合的な仕事を意識して、あえて高級路線から動き、
地方都市のよさをいかしたマンション造りを目指したいと思い、計画しました」


定例会とも言える会議の中で、岳は新しい仕事の流れを作ろうと、

売りに出る土地の説明と、そこにどういう計画を立てたのかを披露した。

別チームとして『岸田』の建設を進めている泰成も、

その岳の変貌振りに言葉が出なくなる。

生まれたときから『BEANS』を担う存在だと、年齢は変わらないはずなのに、

周りの期待感は一人だけ特別な状態にあり、それに応えるだけの頭脳と決定力。

それは泰成から見ても、岳は段違いの存在だった。

岳のように私学のトップを2つ卒業するような離れ業がなくても、

『BEANS』に入社してきたメンバーはみな、

自分の経歴にはそれなりの誇りを持っている。

だからこそ、『相原家』の人間だから特別なのだという流れに、

あえて反対の意思を示そうと、見えない旗を振るものも多くいたが、

岳にこれほど柔軟な感覚があったのかと、いつもは斜に構える社員たちも、

黙って意見を聞き続ける。


「家族は今、多様化されています。上世代、下世代、それのどちらも取り込めるような、
大きなものを作るチャンスが、ここにはあります」


岳が全てを発表し終えると、あちこちから賛同の拍手が送られた。



【26-2】



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