26 噂のひとり歩き 【26-5】

『あずさ、仕事が終わったら、広夢のお兄さんの店に来て』



あずさが東京に戻ったと知り、そう連絡をくれたのは、杏奈だった。

あずさが、以前も出かけた杏奈の彼氏、

広夢の兄が経営する洋食屋『ピエロ』に向かうと、

コックである兄が、明るい声で迎えてくれる。


「すみません、杏奈は」

「もうすぐだと思うよ、座っていて」

「はい」


杏奈からの呼び出しは、あずさにとってもいいタイミングと言えるものだった。

玉子が亡くなったことで、相原家から出て行こうと思っているあずさにとって、

東京で一人暮らしをしている杏奈は、唯一、東京で頼れる存在だった。

全国の『ザナーム』を管理している場所は、東京に2つ、

大阪と福岡に1つずつ存在したが、今回は東京のどちらに自分たちが行くのか、

まだ発表されていないため、とりあえず新しい住まいを決定するまで、

杏奈のマンションに数日泊めてもらえないかと、そう交渉するつもりだった。

あずさが水を飲もうとコップを持ったとき、扉が開く。


「あ……あずさ、あずさ」


杏奈は飛び込んでくると、すぐに目の前に座った。

あずさの持っていたコップを奪うように取ると、水を飲んでしまう。


「何慌ててるのよ。そんなに忙しいの」

「そうじゃないわよ、どういうことよ」


杏奈は、田舎の母親から連絡をもらい、慌ててあずさを呼んだとそう話す。


「『アカデミックスポーツ』の責任者、お金の持ち逃げしたんだって?」


杏奈の言葉に、あずさは回りにお客様がいるからと言いながら、小さく頷く。


「本当なの? もう……やだ。その悪事を知っていて、あずさは東京に逃げたとか、
少しもらっているらしいとか、ちょっと、地元で噂になっているらしいわよ」


杏奈は、母親が驚いてあずさちゃんに聞けと、連絡をくれたと話す。


「うん……」

「うんって、もらったの?」

「もらうわけないでしょう。どうしてそんな話になるのかわからないけれど、
実際、噂にはなっているんだって。タイミングがちょうどかぶっていて」


玉子の葬式のために残っていたとき、元同僚からも話を聞いたと、あずさは話す。


「だよね……あずさがそんなことするわけないもの」

「当たり前でしょう」


あずさはそういうと、何か食べようよと杏奈に声をかける。


「そうだね、お兄さん。美味しいもの」

「よし、待ってろ」


あずさは『お願いします』と頭を下げながら、実際、杏奈の親にまで、

妙な噂が入っているのかと、哀しくなった。

そんなことはないと、疑心暗鬼の目を向ける人たちに説明して回りたいが、

どこでそう言っていいのかも、何もわからない。


「で、仕事、どうなるの」

「『ザナーム』が丸ごと面倒を見てくれることになったって」

「『ザナーム』? やだ、さらに大手じゃないの」


杏奈は、だとするとラッキーだったのかもと、そう言った後、

いや、それは不謹慎だよねと舌を出す。


「柴田社長がかわいそうなの。何も悪くないのに、責任を取らないとならないでしょ。
誰よりも『アカデミックスポーツ』を愛してきた人だろうし」


あずさは、杏奈が新しく持ってきてくれた、お冷の入ったコップを両手でつかむ。

杏奈は、気持ちはわかるけれど、それが経営者だからねと、言葉を返す。


「ねぇ、杏奈。それがらみでお願いがあるんだ」

「何」

「アパート探すまで、少しお世話になってもいい?」


あずさの言葉に、杏奈は『どうして』と切り返す。


「相原家を、出ないとならないから」


あずさは、自分と相原家をつなげてくれていた玉子が亡くなった以上、

庄吉の恩恵を受けているわけにはいかないと、そう話す。


「出て行けって?」

「ううん……そんなことは言われていない。
実際、庄吉さんには気にしなくていいと言われたし。でも……」


あずさは、病院の前で抱きしめてくれた岳のことを考える。


「これ以上、お世話になっているのは、自分のためによくないことだと思うから」


あずさは『ザナーム』なら収入も安定しているし、一人で住むことも出来ると、

そう言いながら、お冷を一口飲む。


「私は構わないけれど、荷物は?」

「家具も全て相原家のものを借りていたから、実際、荷物って言っても、
スーツケース2つくらいしかないの。アパートが見つかるまでとか言っていると、
ズルズルしそうだし」


あずさはすぐにでも実行しなければと言いながら、またお冷に口をつける。


「なんだか慌ててるのね」

「エ……」


杏奈は、気持ちはわかるけれど、急にあれこれ決めて出て行くのも、

逆に誠意がない気がすると、そう話す。


「そうかな」

「そうよ。だって、『ザナーム』が経営を引き継ぐのでしょ。
就職だってしっかりしているのだから、落ち着くまでお世話になって、
きちんとアパート借りてもいいんじゃない?」


杏奈はそう言った後、上目遣いにあずさを見る。


「玉子さんがどうのこうの言っているけれど、本当は他に理由があるとか……」


杏奈はあずさを見ながら、口元を動かした。

何か言いたげな表情に、今度はあずさが反応する。


「他の理由って何よ」

「何ってわからないわよ。わかっているのはあずさでしょ」


杏奈がそういうと、カウンターの向こうから美味しそうな匂いが鼻に向かってくる。


「ほら、杏奈。運んでって」

「はい」



『本当は他の理由があるとか……』



あずさは思いが言葉になってしまわないように、

コップに半分くらいあったお冷を飲み干し、気持ちを押し込んだ。





【ももんたのひとりごと】

『名字について』

いつもなのですが、登場人物の名字、これには頭を悩ませます。
創作も数が増えてきたので、もちろん数回登場する名字もありますが、
考え込むのが面倒になり、今回は、『オリンピックメダリスト』の中から、
選んでいます。このお話しを作り始めたのが、昨年夏のオリンピック終了後だった。
まぁ、そんなきっかけです(笑)




【27-1】



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