29 予想外の未来 【29-1】

『BEANS』の社長室。

武彦は岳の前に座ると、膝の上に両手を乗せ目の前で組んだ。


「宮崎さんのことで話しとは……」


武彦の顔色を考え、

岳はこの後出てくる話しが、あまりいいものではないかもしれないと予想する。


「あぁ……。実はな、宮崎さんが群馬のジムから、
『アカデミックスポーツ』の本部に異動となった理由のことだ」


武彦から出てきた『理由』という言葉に、

岳は『どういう意味ですか』と問い返した。

『アカデミックスポーツ』は確かに、親しい付き合いのある会社だが、

他社の社員の転勤理由が、ここで語られるということに、疑問符がつく。


「彼女が東京に異動になったのは、会長……いや、父がぜひにと望んでのことだった」


武彦はそういうと、私も初めて聞いた話だと、さらに先へ進めていく。


「父は、『橙の家』の仕事に関わっている中で、
宮崎さんが、『アカデミックスポーツ』にいることを知った。
仕事振りも真面目で、とてもいいいお嬢さんだということもわかり、
前向きで素直な性格の彼女に、相原家の中に来て欲しいとそう願った。
お前や敦が、このままでは『BEANS』という大きな物に飲み込まれてしまう気がして、
そこに風を吹かせたいと思ったらしい」

「……風」

「あぁ……はるか昔、自分が学生寮に入り、
まっすぐで素直な玉子さんに出会った時のように。自分の小さなこだわりや、
くだらないプライドなど、全て切り捨てられるような、
そんな風をお前たちにも吹かせたかったと……」


武彦は、その異動が、ちょうど今回の持ち逃げの時期と重なっていたため、

『ザナーム』側からも、あずさが信用されていない状態になっていると説明を受ける。

岳は、『ザナーム』が厳しい対応をするだろうとは予想していたものの、

そこまでの状態だったということを、初めて知らされた。


「持ち逃げに関わるなど、そんなありえないようなことが……」

「そうだ、宮崎さんが絡んだという証拠などない。でも、元同僚の中には、
彼女が東京に転勤になったこと。それに……うちと縁を持ったこと、
そういったことに、妬みや嫉みがあるのだろうと」


武彦は、『ザナーム』に、あずさが通販の仕事をするように言われたことを話す。


「通販? それは……」

「勤務先が『岸田』だと言っているそうだから、まぁ、通販の注文受付関連と、
苦情対応だろう。それが悪いとかダメだというわけではないが、
『アカデミックスポーツ』の部門からは外れてしまうし、
彼女が望んでいる仕事ではないかもしれない」


岳は、いつも人と関わることを楽しいと話していたあずさのことを考える。

通販の注文を受ける電話の仕事では、機械的に流れていくだけで、

そこにコミュニケーションが存在するとは思えなくなる。


「社員たちは、『アカデミックスポーツ』の仕事を、
そのまま引継ぐのではないのですか」

「私もそう思っていたが、そうもいかないらしい。
『ザナーム』側は妙な噂が収まるまでと言ったらしいが、
そんなものは向こうの考えでどうにでもなる。会社が受け渡しされたら、
柴田社長が言う権利もないだろうし」


岳は、あずさが『ザナーム』側に、操られているという状態を知った。


「何もかも、裏目と言うことですか」

「まぁ……そういうことになるのかもしれないな。
父もまさか『アカデミックスポーツ』が、
向こうに引き渡されるとは思っていなかっただろうし」


武彦は、『ザナーム』にこのまま彼女を任せるのではなく、

『BEANS』か『豆風家』で仕事をさせられないかと、会長から言われたことを話す。


「元々は、うちが彼女を追い込んだようなものだからと……」


武彦の言葉に、岳は黙ったまま頷いていく。


「経営企画の事務補助でも、賃貸の事務でもいい。とにかくどこかに」


岳はすぐにわかりましたと言うと、あずさのことは『経営企画』でと答えを返す。

武彦は、それならば岳に任せると言うと、これから人と会うからと、

かけていた上着を取った。





柴田が、『アカデミックスポーツ』に戻ったのは、昼過ぎのことだった。

相変わらず、『ザナーム』側の社員が数名顔を出し、引継ぎの作業を進めていく。

柴田はあずさを誘うと、花輪と面接をした喫茶店に向かう。

そこで初めて、あずさがどうして東京に来ることになったのかという理由を、

教えてくれた。


「宮崎さんが短大を卒業して、うちのジムに入ってくれたのは、本当に偶然だった。
よく働いてくれる事務員さんだと、江原からも聞いていて。
相原会長は、学校の記念イベントで君を見ていて、君ならとそう思って、
『東京行き』を我々に頼んできたんだ」


本来なら別企業の会長が、人事に口を出すことなどおかしなことだが、

柴田は、『アカデミックスポーツ』と『BEANS』のつながりは、

自分の父の代からあり、特別なものだったとそう説明する。


「会長は、宮崎さんを追い込むつもりなどなかった。
今回のことも、もちろん予想できる話ではないし。そのことだけは理解して欲しい」


柴田は、自分と江原のふがいなさだと、あずさに頭を下げる。


「社長、そんなことはしないでください」


あずさは、そういう理由からだったのかと聞いたことで、

もやもやしていた気持ちが少しずつ晴れていくのを感じた。

誰も、こんなふうになることは予想できなかったし、悪気があったわけでもない。

最初こそ、乗り気ではなかったあずさも、『東京』に出てきたことで、

得たものはたくさんあった。小原やほたる、そして柴田との出会い。

そして、一人っ子の自分にはいなかった、妹のような東子。

敦や滝枝など、相談に乗ってくれる人たち。



そして、何よりも、『恋する気持ち』を呼び起こしてくれた岳の存在。

長い間、祐の思い出に支配されていたあずさは、

岳との時間に、『今』を生きている嬉しさを感じられるようになった。

離れていた『クラリネット』との再会も、ここだからと言える。


「社長、私は大丈夫です。『ザナーム』で頑張りますから」

「宮崎さん」

「小原さんとほたるちゃんとは別の場所ですけれど、でも、避けずに向かってみます。
花輪さんに言われたんです。今の自分には、私を信じることも、疑うことも出来ないって。
それはそうですよね。でも、ここからの行動で、わかってもらえるとそう思います。
このまま逃げるように辞めてしまったら、それこそ噂が本当だったのかと、
ウソの上塗りをされてしまいますから」


あずさは、これからしっかり仕事をすれば、妙な噂も消えていくとそう話す。


「しかし……」

「実家にいる家族のためにも、頑張りたいです」


あずさは、東京に出てきたことには、何も後悔がないと、そう話す。


「群馬にいたら、見られないものもたくさん見られました。色々な体験も出来ましたし、
いえ、まだまだこれからも……」


あずさは、お世話になりましたと柴田に頭を下げる。


「誰よりも……『アカデミックスポーツ』と『Sビル』のために踏ん張ってくれたのに、
こんな送り出しになってしまって、本当に申し訳ない」


柴田は、少し声を詰まらせながら、そうあずさに頭を下げる。

あずさは、顔をあげてくださいよと明るい声を出し、

残っている二人にシュークリームをお土産にしましょうと提案した。



【29-2】



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