29 予想外の未来 【29-2】

『いつもの店を予約してね』


梨那からのメールは、自分の誕生日に店を予約して欲しいという、お願いだった。

岳は、デスクの上にあるカレンダーを見る。



『この日だけは、必ず来てね』



梨那が何も知らないのは当然のことで、

それにイライラしたりする必要もないはずなのに、

『自分のこと』を必死にアピールしてくるメールが、やけに気に障った。

どこかすれ違ったままのような感情を、互いに修正した方がいいと思いながら、

岳は内容だけを読むと、すぐに携帯をポケットにしまう。



『お前や敦が、このままでは『BEANS』という大きな物に飲み込まれてしまう気がして、
そこに風を吹かせたいと思ったらしい』



岳は、新しく動き出したマンションの資料をめくりながら、『風』の意味を考えた。



どの会社にも出来ない、新しい建築。

そう意識して、『稲倉』と『岸田』にこだわっていた頃なら、

こんな田舎の場所にマンションをいう考えは、おそらく持たなかった。

他には真似できない、自分たちだけの、自分だけのものにこだわりすぎていた岳に、

『価値は客が決める』と、そう当たり前の意見をぶつけたのは、あずさ本人だった。

今まで、当たり前のように後ろについてきた敦が、実は自分の意見を持っていて、

やりたいことがあったのだとわかったのも、あずさが表現することの大切さを、

教えたからだった。

庄吉の考えどおり、自分たちには明らかに新しい風が吹いていた。

その分の向かい風を、あずさ一人が受けて入る気がして、岳は辛くなる。


「お先に……」


その日は、定時くらいに仕事を終え、すぐに家へ戻った。





あずさが仕事を終えて駅からの道を上がっていくと、

珍しく岳の車が駐車場に停まっていた。

あずさは、一緒に夕食をとることが出来ると思い、嬉しくなる。

望んでいた形ではないが、『ザナーム』での仕事もある程度固まった。

自分の頭にあった疑問符も内容がわかり、

あずさはこれから引っ越しのことを考えなければと、玄関を開ける。


「あずさちゃん、お帰り」


一番最初に声をかけてくれたのは東子で、あずさは『ただいま』と返事をする。


「ねぇ、今日は岳が戻っているの。珍しいでしょ、一緒に食べよう」

「うん、着替えてくるから」


あずさはそういうと、階段を上がろうとする。

すると、リビングの奥から、岳の姿が見えた。


「宮崎さん、話しがある」

「今、あずさちゃんは着替えに行くの。夕食のときにでも話せば?」


東子の提案に、岳は食事の前の方がいいとそう話す。

あずさは、岳が何やら用紙を持っていることに気付き、

また何か妙なビラでも出てきたのかと、心配した。


「あの……」

「着替えたら、ここに降りてきてくれ」


岳はそういうと、リビングのソファーに座る。

あずさは『わかりました』と答え、部屋に入った。



降りてきたあずさに岳が見せたのは、『中途採用』と書かれた用紙だった。

仕事内容は『事務補助』となっている。


「就職は、『ザナーム』ではなく、うちでいい。
経営企画の事務補助もあるし、敦がいた賃貸部門の事務も入れるだろう。給料なら……」

「ちょっと待ってください。どういうことですか」


あずさは、突然岳が『BEANS』への就職について話し始めたため発言を止める。

隣にいた東子も、その突然すぎる展開に、テーブルに置かれた用紙をのぞきこんだ。


「柴田社長から、東京へのいきさつは聞いたのだろう」

「……はい、聞きました」

「『ザナーム』が、妙な噂を信じ、君に不平等な提案をしているはずだ」


岳は、『リラクションルーム』で、

そういうことがあったらすぐに言ってこいと話したのに、

何も言ってこないことを不満そうに付け足していく。


「妙な噂を信じてってことも、あれこれがこの数日で起きたことなので、
自分の中に取り込むだけで、精一杯だったんです。でも、納得しましたから」

「……納得? 何に」

「何って、仕事……」

「どこをどう取ったら納得が出来るんだ。俺にしてみたら、腹の立つことばかりで、
納得するためのかけらも見つからない。とにかく、仕事は……」

「ダメです」

「は?」

「あずさちゃん」


東子は、『BEANS』よりも『ザナーム』がいいのかと、聞き返す。


「そんなことじゃないの」


あずさは、質問を投げてきた東子を見る。


「『BEANS』が嫌なわけじゃないよ。ううん……本当にいい会社だと思う。
ただ、私にはその資格がないから」

「資格?」

「宮崎さん……」

「岳さん、これはしてはいけないことです」


あずさはそういうと、『お気持ちだけで十分です』とそう話す。


「どうしてだ」


岳は、当然提案を受け入れると思っていたあずさの、予想外の反応に、

言葉が続かなくなる。


「私、岳さんの『肩揉み』仕事をしていたとき、2ヶ月半でしたが、
『BEANS』の中に何度も入りました。みなさん本当にしっかり仕事をされていて、
優秀な大学を出て、入社試験を突破して、自分が憧れた企業に入ってきたという、
誇りを持ちながら、仕事をしているなと気付いたんです。
だから、『BEANS』は、私が入るようなところではありません」

「あずさちゃん……」

「玉子さんの縁で、相原家のみなさんを知っているから、ちょっとしたアクシデントで、
思うような待遇にならないから、だから、助けてもらって、
入っていいよ……なんていう、そんな場所ではありません。
あの場所は、岳さんが、とんでもない肩こりになるくらい、
一生懸命に守っている場所じゃないですか。私は……そこに入ることは出来ません」


あずさは、自分が『桜北』や『慶西』でも出ているのなら別ですがと、笑ってみせる。


「会社の軸になるポジションなら、確かにそう言えるだろう。
学ばないとならないこともあるし、知っていてもらわなければならない知識もある。
でも、全ての仕事がそういうわけではないんだ」


岳は、『補助』という役割ならば、今のあずさの経歴でも問題はないと言う。


「それでも、お受けできません」


あずさは、どんな形でも受けられないと、もう一度言いなおす。

黙ってしまった岳と、思いを変えようとしないあずさの顔を、東子は交互に見た。

キッチンの向こう側で、滝枝が心配そうに立っている。



「……それなら、俺は君に何が出来る」



東子は、今のセリフに、思わず岳を見た。



【29-3】



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