29 予想外の未来 【29-3】

厳しいところもあり、冷たく見えるとこともあるが、岳が本当は優しい心を持ち、

愛情も持っている人間だと言う事は、妹である東子はわかっているつもりだった。

しかし、あずさのために何かをしたいと訴える兄の姿は、

ただの優しさだと解決できないくらい、初めて見る表情だった。


「岳さんは、今まで通り仕事を頑張ってください。素敵なマンションを作って、
幸せな人たちの笑顔を、たくさん作ってあげてください」

「あずさちゃん……」

「何?」

「就職のこと、私はよくわからないけれど、でも、トラブルが起きているなら、
せめて引っ越すのは、もっと後にしたらどう?」


東子は、今、慌てて出て行かなくてもと、言葉を送り出す。


「ありがとう……でも、それとこれは別だと思う。東京に来るときもそうだったの。
不安もたくさんあったし、正直、嫌だなと思ったりもして。でも、来てみたら、
楽しいことがたくさんあった。だから、今度もそう考えて前に進む」


あずさは、あらためて岳を見ると、『ご心配をかけてすみません』と頭を下げる。


「滝枝さん、手伝います」


3人の食事をどうしようかと見守っていた滝枝に気付き、

あずさはキッチンの方に向かう。

岳は、テーブルの上に残されたままの紙を左手で取った。

自分が用意したポジションが気に入らないのではなく、

入る資格ないとがないと言ったあずさの気持ちを考え、用紙を握りつぶしてしまう。

あっさりと引き下がるしかなかったのは、実際、岳がそういう考えを持ち、

仕事をしているからだった。あずさに『核』を鋭くつかれた気がしてしまう。


「あずさちゃん……本当は嫌なのかな」


東子の声に、岳は反応せずに前を見たままになる。


「うちに来てから、なぜだかわからないけれど、
あずさちゃんには嫌なことばっかり起きているし……」


東子はそういうと、自分も食事の支度をすると、滝枝とあずさのところに向かう。

岳は、東子の言葉を受け、楽しそうに食器を並べる、あずさの姿を見た。


『BEANS』には、千晴のように『縁故採用』という枠が実際にあった。

もちろん前向きに仕事をしている人もいるが、縁という絆に甘えている社員もいる。

岳が千晴に対して、どこか冷たい態度に出るのは、『この部分』が大きかった。

それなのに、平然と自分があずさを押し込もうとしたことを考える。

あずさは、あの場所を『岳が守っている場所』だとそう言った。

自分が守っているという意識はなかったが、気持ちを張り詰めて仕事をしてきたことが、

理解された気がして、そこから強く出られなかった。

しかし、だとしたら自分は何が出来るのかと、岳はしばらくあずさの姿を追い続けた。



「美味しい……滝枝さん、作り方を教えてください」

「はい」


あずさはメモを持ち出すと、残っている相原家の時間で、

いくつかメニューをマスターしたいと、滝枝と話しをし始めた。

岳は食事を終えると、席を立ち自分の部屋に向かう。

扉を閉め、ベッドに寝転がると、見えるのは天井だけだった。

岳の脳裏に、東子のセリフが蘇る。



『うちに来てから、なぜだかわからないけれど、
あずさちゃんには嫌なことばっかり起きているし……』



そう言われてみると、出社初日から、あずさは『立ち退き問題』に巻き込まれ、

岳の肩を揉むという仕事をすることになった。『東京』自体不慣れなのに、

岳と知らない場所に向かい、時にはどうしたらいいのかわからない状態で、

立食パーティー会場の外に立ち、不安そうな顔をしていた。

給料では高すぎると言ったスーツを買うことになり、

気晴らしにと連れて行った『新商品のお披露目会』で、逸美に押され、

腕の骨にヒビが入ってしまった。

その怪我が治り、自分の給料からスタジを代金を支払い、

やっと借主と『BEANS』側との歩み寄りが現実になってきたとき、玉子が亡くなり、

そして『アカデミックスポーツ』も終わりを迎えることになってしまう。

さらに、庄吉が東京へと導いたがために、関係のない事件の共犯だと疑われ、

『本来ならするべき仕事』から、外されてしまった。

考えすぎかもしれないが、全て、『相原家』、そして自分との絡みがなければ、

起こらなかった出来事になる。



『女を不幸にする男』



最後に逸美と向き合った日、彼女はその言葉を投げつけた。

それは、自分を幸せにしなかったと、悔し紛れに言ったセリフだからと、

無視し続けてきた岳だったが、今、偶然から積み重なる出来事に、心がざわつきだす。

日本でも優秀だと言われる大学を2つ卒業し、将来有望だと言われ、

責任あるポジションにつき仕事をしている自分が、『宮崎あずさ』の人生に、

『ひとつの光り』さえ、生み出せないという現実。

岳は自分の無力さを、痛感する。



『岳さんは、今まで通り仕事を頑張ってください。素敵なマンションを作って、
幸せな人たちの笑顔を、たくさん作ってあげてください』



あのセリフは、あずさが自分との距離を開けようとしている気がして、

岳は両手を目の前で広げると、つかむものがなにもない場所にある何かを、

必死につかもうと手を強く握った。





『……それなら、俺は君に何が出来る』



眠るだけの時間になって、ベッドに横になると、

あずさの頭は、このセリフだけを何度も繰り返した。

あの瞬間、自分は何もしていないのに疑われたこと、どうしたらいいのか本当は不安で、

逃げ出したいと思うことなど、心の底にある思いを、全て吐き出してしまおうかと、

そんな感情に揺れた。

岳の提案どおり『BEANS』に入社し、雑用でも、今までどおり肩揉みでも、

そばにいられるのならと思ってしまう自分が嫌で、必死に話題を納めてしまった。

あずさは、玉子と庄吉の縁で東京に来たことを、恨んでいるわけではないのに、

気持ちだけが岳に向かおうとしていることに、目をそむけていられないくらい、

自分が押さえられなくなっていると思い、布団を深々とかぶり、

そこにある空気から、必死に逃げた。





『WALKEL』本社。悟はオーダー靴の受付書類を確認しながら、少し肩を動かした。

目の前に人の影があったので顔をあげると、そこにいるのが愁矢だとわかる。


「どうも……」

「お久しぶりです、室伏さん」


愁矢は、今日は『ザナーム』との打ち合わせで、

新商品のパッケージ見本を見に来たのだと、説明した。

悟はそうでしたかと返事をすると、そばにあった椅子を横に出す。


「昔から器用だったわけですか? 室伏さんは」

「器用? 俺がですか?」

「はい……『WALKEL』の経営陣として、スーツ姿の仕事も可能なのに、
こうして、職人の顔を持とうとするのは……」


愁矢は、逸美親子にも素敵な靴をありがとうございましたと、頭を下げる。


「いえ……驚いていましたよ、あいつも。こんなことが出来るのかって。
同級生って評価低いんですよ……こういうとき」

「彼も……同級生ですよね」


愁矢は悟の顔を見る。


「『BEANS』の相原岳さん」


悟は、愁矢の表情を見ながら、『はい』と頷いた。





『ザナーム』の経営状態は、順調そのものだった。

売り上げも右肩あがりで、色々と縁を持った企業も、全て大手になる。

『エントリアビール』との特保商品、そして、家電メーカーとのダイエット機械。

さらに繊維会社とは、機能がついているという『ストッキング』。

岳は、敦から聞いていた花輪のイメージを考え、やはりこのままでいいのかと、

ペンでデスクを何度か叩く。すると携帯にメールが届いたことがわかる。

岳はその相手が梨那だと思い、忘れていたことを思い出した。

誕生日まであと数日。ここのところ、新しい仕事の打ち合わせと、

『アカデミックスポーツ』関連の話に頭が、頭の中を支配していた。

メールを見る前に、携帯でいつもの店に予約を入れる。

岳と梨那にとっては、馴染みのある店だったので、数日前とはいえ、

すぐに予約を入れてもらえた。岳はあらためてメールを開く。

梨那かと思っていた相手は、悟だった。



『明日かあさってに、会えないか』



悟の誘いに、岳は数日先ならばと返事をする。

目の前に起きている出来事の他に、まだ自分に渦のようなものが巻いていることなど、

今の岳には、何も感じられなかった。



【29-4】



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