30 女性の末席 【30-4】

『入院された方は、どれくらいの怪我ですか』

「あ、うん。3人とも意識はしっかりしているから、大丈夫は大丈夫なんだ。
一番重傷だった作業員も、ご家族と会話は出来るし。
医者も、命に関わるようなことはないって。骨折だの打ち身だの色々あるけれど」

『そうですか……それならとりあえずよかったですね』

「うん」

『あの……岳さんは……怪我、していないですか?』


あずさの問いに、岳は『大丈夫』と返事をする。

岳は、自分があずさの研修を心配して、『岸田』へむかったはずなのに、

こうして心配してもらっていることが、妙におかしくなる。


『私は、あの場所でやっていけますから』


岳の耳に、あずさからの言葉が届く。


『まだ研修は1日目ですけれど、でも、やっていけると自信もつきましたから。
これ以上、心配したり、申し訳ないとか思わないでください』


あずさは、一緒にいた京子のことを、少し変わっているけれど、

心根は悪い人ではなさそうだったと、そう印象を語る。

岳は、喫茶店で『お局』と言われていたことを思い出す。


「どうしていい人だと言えるんだ」

『言ってくれたからです』

「言った?」


岳は、あの京子があずさに嫌みでも言ったのかと思い、何を言われたのかと聞き返す。


『仕事の終わりに、私が少しだけ嬉しくなるようなことを、言ってくれたからです』


あずさは、嫌みのある人なら、疲れた時にこそ、嫌な言葉をぶつけてくるはずだからと、

そう持論を展開する。


「何を言った?」

『それは秘密です』


受話器の向こうから、あずさの楽しそうな声が届く。

岳は、あずさが東京に来てからずっと、『疑問符』ばかり投げかけていた気がして、

自然と口元が動く。


『あの……』


あずさは、もし出来るのなら、車は会社においてきた方がいいのではないかと、

そう言い出した。


『『岸田』まで来て、事故のことがあって、また戻ってますよね。
きっと、疲れているでしょうから、無理に運転しない方が、いいような気がします』


あずさは、群馬の実家にいる父親が、

昔、長い運転の中で、電信柱に車をぶつけてしまったことがあると、そう話す。


『あ……いえ、すみません。一緒にするなと言われそうですが』

「いや……わかった。そうするよ」


岳はあずさの提案を素直に受け入れ、

今日はタクシーで帰ることにすると、そう言った。

あずさは『そうしてください』と、明るい声を出す。

岳はあずさとの会話を終えると、家に戻るつもりで企画部を出た。





『相原岳』



岳に誕生日を忘れられたと怒った梨那は、

食事をする予定だった店をキャンセルし、

一人、ホテルのラウンジでカクテルを飲んでいた。

携帯を開くと、何度か岳からの着信が入っているのがわかる。

岳が仕事熱心なことは知っているし、その厳しさの裏にある優しい面もわかっていて、

惹かれているのだからと、頭の中では納得しているものの、

どこか『自分だけは特別』だと思って欲しい気持ちが、電話を勝手に切るという、

行動に変わってしまった。いつもなら、岳の態度を気にして我慢するところだけれど、

今日は1年に1度の『誕生日』ということもあって、

梨那は少し強気に出てしまったことを、反省する。

それでも、数回ある着信が、『自分を気にしてくれている』と、

少しだけ気分を上向きにした。

携帯を開くと、まだ日付まではしばらくの時間がある。

誕生日をどう過ごすのか、誰と過ごすのか、梨那は左手で携帯を握る。

梨那にとってまだ、『誕生日』は来ても終わってもいない。

そろそろ岳も落ち着いただろうと思い、携帯のボタンを押した。

数回の呼び出しの後、声が聞こえる。


「ねぇ、岳……今どこ」

『これから、家に帰るところだけれど』

「家? トラブルは解決したの?」


梨那は、さっきはごめんなさいと謝り、ちょっと言い過ぎたと小さく頷きながら話す。


『いや、約束を守れなかったのは、俺の方だから。
とりあえず、トラブルは担当の方に任せられたし……』

「ねぇ、だったら、これから迎えに来て」


梨那は、同じホテルのラウンジでお酒を少し飲んだから、迎えに来て欲しいと話す。


『ホテルに?』

「うん……まだ、今日は終わってないでしょう」


梨那は岳と一緒に過ごすことこそが、

誕生日なのだとそんな気持ちを表したつもりだった。

毎年しているように、一緒の部屋で過ごしたいと考える。


『梨那』

「何?」

『今、タクシーに乗ったばかりなんだ。車じゃない』

「どうして?」


梨那は車にトラブルでもあったのかと、岳に聞く。


『いや……』

「別にタクシーでもいいわよ。わかるでしょ、場所」


梨那は、どれくらいで来られるのと、当たり前のように聞き返す。


『梨那』

「うん……」


岳の顔さえ見られたら、言葉さえ交わせたら、きっといつものような時間が訪れる。

梨那はそう信じてしまう。


『……今日はごめん……無理だ』


そういうと、電話はプツリと切れてしまった。

梨那は、岳の予想外の言葉と展開に、携帯を耳から離すことも忘れてしまう。

いつも一緒に食事をして、朝まで過ごすのが当たり前だとしてきた日々が、

『どうしても一緒にいたい』という気持ちだけを押し出してしまい、

『なんとしても来てほしい』という願いを出してしまった。

梨那にしてみたら、『誕生日』らしい時間をただ持ちたかっただけなのに、

また、岳とすれ違ってしまう。

レストランだけでなく、ラウンジでも一人となってしまった梨那は、

そこからお酒にほとんど口をつけないまま、店を出た。





岳を乗せたタクシーが相原家に着いたのは、午後11時を回った頃だった。

長かった1日が終わりを迎えると、玄関に入る。

リビングに入り、ソファーにこしかけると、カチャンと音が聞こえた。

その方向へ目を動かしてみると、あずさが部屋から出てきたのがわかる。

螺旋階段を降りる音が、その後に続く。


「おかえりなさい」

「うん……」


あずさは、研修の内容を書き込む作業をしていたら、遅くなったといい、

喉が渇いて降りてきたことも、立て続けに語った。


「1週間は、クレームの対応をしないといけないようです……」


あずさはそう言いながら、座っている岳のことを上から下へと見るように、

視線を動かした。



【30-5】



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