32 決意の日 【32-3】

「うちはね。うちっていうのは群馬の宮崎家のことだよ。
確かに小さなこたつを囲むけれど、でも、うちだっていつも一緒ではないよ。
それぞれ部屋にいるときもあるし、畑にいたり、買い物に行ったり、
バラバラなときの方が多いの」


あずさは、私だって東子ちゃんくらいの時には、

部屋に入ったらなかなか出なかったしねと笑う。


「一緒にいる時間の長さなんて関係ない。本当に大切なのは、
いざというときに思いやれることだよ。岳さんも敦さんも、
東子ちゃんにいざという日がきたら、絶対に駆けつけてくれるから」


あずさは、今日はあくまでも1つのけじめであって、

一生の別れではないからと、東子の膝を叩く。


「あずさちゃん……本当はここにいるのが嫌なの? だから出て行くの?」


東子は、あずさが東京に来てから、ずっと嫌なことが続いてきたから、

だから慌てて出て行くのかと、真顔で話す。


「東子ちゃん……そんなこと思っていたの?」

「だって、『アカデミックスポーツ』でも妙なことばかりあったし、
岳と仕事に行って、腕にヒビ入ったし。玉子さんが亡くなったり、
仕事も……そう、おじいちゃんが勝手なことをしたから、
あずさちゃんが疑われたって、そんな話も聞いたし」


東子は、正直、相原家が嫌いになったのでしょうとそう聞き返す。

あずさは、妹のように思えた東子に、思わず本音を言いそうになってしまう。



『これ以上、岳を密かに思い続けるのが辛い……』



「全然違う。相原家での経験は、楽しいことばかりだった。
だって私、毎日楽しそうだったでしょ」


あずさはそういうと、東子の顔を覗き込む。


「ここに来なければ、経験できなかったことがたくさんあった。
一度も相原家に住むのが嫌だなんて、思ったことはないよ」

「本当?」

「本当」

「だったら、出て行かないでよ」


東子は、これからもずっと、ここにいてくれないかと、あずさに言った。

あずさは『それは違う』と東子を見る。


「私、25歳なの。友達もみんな、一人で生活している。自分の足で立って、
自分のお金で生活しているでしょ。だから私も頑張らないと」

「……だったらうちにお金を入れたらいい」


東子はそれは認められないだろうとわかっているのか、すぐに力なく下を向く。


「それはダメ。宮崎あずさとして、何が出来るのか、考えたくなったから」


あずさは東子に話しをしながら、自分自身にそう言い聞かせていた。

『相原家』という後ろ盾がなくなり、一人になったとき、本当にどうしていこうか、

気持ちが定まる気がしていく。


「前向きな出発だから……応援して」


あずさの言葉に、東子は渋々ながら何度か頷いていく。

すると、エンジン音が聞こえ、東子が立ち上がった。


「あ……岳だ」


あずさはその名前に、鼓動が速まった。去っていく前日に、

少しでも会えたという嬉しさで、視線が前へと向かう。

扉が開き、岳の姿が見えたとき、目の前に立った東子が当然のように文句を言った。


「あれだけ言ったのに」


岳は、仕事だから仕方がないだろうと東子の横を抜ける。

視線は、その前にいたあずさと、自然にぶつかった。

岳は、手に持っていた紙袋を、あずさの前に置く。


「今日は申し訳なかった。新しいマンションの土地関連相手と、急に会えることになって。
『アルペンジホテル』へ行った。で、これを」


岳の出してくれた紙袋に、あずさは覚えがあった。


「これ『ロスウッド』ですよね。こんなことしてもらうのは……」

「気にしなくていい、食事会を欠席してしまったから」


岳は貴重品を入れることが出来る小物入れだと、中身を説明する。


「でも……」

「気にするなと言っているだろう。印鑑とか、鍵とか、入れられると思う」


岳は、ネクタイを緩めながら、立て続けに荷物はまとまっているのかとあずさに尋ねた。

あずさは、明日出発前に宅配便が取りに来るのだと説明する。


「そうか……」


あずさと岳の後ろにいた東子が、どんなものか見てもいいかとあずさに聞いた。

あずさは、あらためて岳に頭を下げると、リボンとビニールを外していく。


「うわぁ……かわいい」


大きなりんごの形をした、小物入れだった。

丸みのある形は、あずさが以前買った、猫のソーイングケースにも似た形になる。


「ありがとうございました」

「いや……」


岳はそういうと、何かを言おうとしたが、その口は言葉を発することなく閉じられる。


「大切にします」


あずさはそういうと、小物入れを元の袋に戻した。

東子は、岳があずさのために動いたことがわかり、少しだけ機嫌を直す。


「また、連絡する」


岳の言葉に、あずさの顔が上がる。


「先輩の墓参り、したいって言っただろ。向こうに行く用事が出来るはずなんだ。
その時に」

「あ……はい」


あずさは、そういえば祐のお墓を訪ねたいと話したことを思い出し、

これで岳との糸が全て切れてしまうわけではないと思い、少しほっとする。


「お願いします」


あずさはそういうと、大事そうに紙袋を抱え、自分の部屋に向かった。



『リクチュールのスーツ』と、『ロスウッドの小物入れ』。

あずさは両方を並べると、素直に嬉しさを味わった。

どんな理由だろうが、この2つは岳があずさに買ってくれたものになる。

これからどんな人生を歩もうと、思い出だけは自分のものだとあらためてそう思う。

『岳を好きになれたこと』は、これからの新しい自分を作ってくれるはずだと、

そう胸を張った。





「お世話になりました」


いつもの朝食を済ませ、あずさは宅配便に荷物を頼むと、出発の準備をした。

同じように自分の家に戻る敦が、杏奈のところまで運んでくれることになる。


「あの……下手なものですが、『スポンジケーキ』と『クッキー』。
皆さんで食べてください」


あずさはそういうと、あらためて相原家のメンバーに頭を下げる。


「宮崎さん。ここを出ても、いつでも来てください。東子もそれを楽しみにしているし」

「ぜひ……」


武彦と浩美の言葉に、あずさはありがとうございますと頭を下げる。

家族とは少し離れたところに立つ滝枝に気付き、あずさは視線を合わせると、

しっかり頭を下げた。

寂しそうな顔をする東子と、黙って前を向いている岳。


「ありがとうございました」


あずさはあらためて頭を下げ、相原家の玄関を出る。

『東青山』という、華やかな場所を見下ろすこの家に、

もう来ることはないかもしれないと、景色を見た。



【32-4】



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