32 決意の日 【32-5】

杏奈は、あずさの後ろにある紙袋を見る。


「ねぇ、あずさ。さっきから気になっているのよ、何、これ」


あずさは、岳が食事会に仕事で出られなかったから、

その謝罪にくれたものだと小物入れを出す。


「うわぁ……これ『ロスウッド』だね」

「うん。岳さんの亡くなったお母さんの、曽祖父に当たる人が創業者なんだって。
会社が大きくなる前に、権利は譲ったらしいけれど」


あずさは形がかわいいでしょうと、小物入れを開ける。

相原家を出る前の日、仕事中だったにも関わらず、

自分のためにと紙袋を持って帰ってきた岳のことを考えた。

『妹』なのかもしれない。職場の先輩京子が言ったように、『末席』であって、

中心にはなれないかもしれない。それでも、関わってきたことも、

好きになれたことも、流してしまうのは、あまりにも寂しすぎる。


「杏奈」

「何?」

「私……決めた」

「決めた? 何、もういい部屋あった?」


杏奈は小物入れを持ったまま、どれなのと首を動かしてくる。


「今度、岳さんが織田先輩のお墓参りに連れて行くと、約束してくれたの。
向こうに新しい仕事が始まることも決まっているから、そのついでにって」

「……うん」

「きっと……それが二人で会える最後のチャンスだと思う」


あずさは、杏奈から小物入れを受け取り、両手で持つ。


「結果なんてどうでもいい。そう、ダメなことも承知しているけれど、
ただ……岳さんを好きになったことを、直接伝えたい」


あずさは、自分がどう考えているのか、きちんと伝えることが、

出来ることの全てだと、そう言った。

杏奈は、あずさの意思を受け、大きく頷く。


「大丈夫? 出来るの? まだ逃げるんじゃない?」


杏奈は、あずさはいつも最後に逃げてしまうからと、顔を覗き込む。


「逃げない……私が相原家を出たのは、いづらかったからでも、
嫌だからでもないってこと、伝えてあげないと……」



『俺から『BEANS』を取ったら……』



「あなたのいる場所は、素敵なところだって、伝えたい」


あずさはそういうと、大きく息を吐く。

杏奈は、あずさの肩を軽く叩くと、一緒に買い物に行こうと、声をかけた。





食事を終えて、岳は部屋に戻った。

半年前には、こんな静かな時間が、相原家の当たり前の時間だった。

敦や東子とは、会社や食事の時に会話をしても、それが終わったあとまで、

互いの部屋まで向かい、語ることはなく、

岳は今まで同様、仕事の資料や本を読むことにする。

しばらくして携帯の時計で時刻を確認するが、岳の思いとは違い、

進んだのはたった10分だった。

もう少し読み進めようと資料を見ると、携帯が揺れ始める。



『青木梨那』



誕生日をトラブルで流してしまってから、どこか気持ちが離れていた。

最初は連絡をするつもりでボタンを押そうとしたが、結局押せないままになる。

岳は部屋を出ると、そのまま階段を下りようとしたが、頭と足は別の行動を取ってしまう。

気付くと、岳の前にあったのは、あずさが暮らしていたあの部屋の扉だった。



『岳さん……』



以前のように、自由に出入りできる場所になったはずなのに、岳は一歩が出ない。

この部屋を開けてしまったら、

ここで暮らしていた人の気配を、さらに探すのではないかと、そう思う。

自由になったはずの人に背を向け、岳はまた部屋に戻った。





「すみません、乗ります」


相原家からと違い、杏奈のマンションからだと、さらに『岸田』までの時間がかかる。

あずさはそれを考え早めに出たが、乗り換え客の多さに、必死に体を押し込むものの、

車内は、息を吸うのも苦しいくらいになった。

それでもなんとか『岸田』まで到着し、改札を出る。



『新しい時代の幕が開く 『BEANS』岸田 好評分譲中』



岳から聞いた事故のことがあり、現場は静かな状態だった。

それでも、『BEANS』の文字に、どうしても視線が向かってしまう。



『人を寄せ付けないくらい理論的に語るのも、誰にも負けないように、
必死に仕事をするのも。ここしか自分の居場所がないんだと、
実は兄さんが思っているのかなと……相原の家を離れてみて、今、そう思うんだ』



あずさの心の中に、敦の語ってくれた言葉が戻ってくる。

『逃げずに』と自分の思いに言い聞かせ、あずさは職場に向かって歩き出した。





「それでは、実際の設計図をご覧ください」


あずさが相原家を出て1週間が経つ、週末の金曜日。

『BEANS』では、『豆風家』との連携で建てるマンションの案が、

それぞれの担当者から発表される会議の日になっていた。

岳も敦ももちろん中に入り、予想される金額などを話し合う。

4月の始めに、土地購入の許可が下りることがわかっていたが、

ほぼ、『BEANS』の希望通り、計画が通るはずだった。

新しい試みは、大々的に宣伝する予定もあり、その広告案までもが、

すでに動き出している。


「新しい『BEANS』をコンセプトに、この数年間、動いてきました。
都心に似合う、おしゃれなマンション。デザインに工夫をこらし、
他の会社では出てこないものをと、一つの道筋を作りました。
しかし、その方向だけでは、あらゆる購買層を取り込むことは出来ません。
今回は、関連会社である『豆風家』との連携を図り、都心とは違う、
『BEANS』の街づくりを演出していきたいと思っています」


岳の発表は、『BEANS』をこれからも支えていこうという社員たちから、

大きな拍手を持って認められた。その中には、もちろん敦の姿もある。

会議の盛り上がりを外で聞いていた千晴は、

これまでとは違う状況に、大きく息を吐いた。





【ももんたのひとりごと】

『ロスウッド』

岳の亡くなった母の曽祖父が興した企業がスタートの、
『天然木』を使った会社という設定ですが、実は、私の遠い親戚にも、
こういった『木工』関係の会社をしている人がいました。小物入れや、オルゴール、
コースターなどを作っていて、小さい頃には、よく工場に出かけ、木の香りを鼻に、
機材の音を耳に、木屑や木片を手に、遊んでいた記憶があります。
今でも『木』の香りは、大好きな私です。




【33-1】



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