33 時の流れ 【33-1】

『欠席』

大変申し訳ありませんがという挨拶の後、岳からの返信は『欠席』というものだった。

書道教室で、名簿を確認していた逸美は、懐かしい筆跡にふと目が留まる。

あずさの事故の件以来、岳とは連絡もしていない。

自分を恨み、消えていったことを思えば、この返事は当たり前と言えるのに、

あらためて突きつけられると、それだけこじれてしまったのだと感じた。


「残念だったな、お会いしたかったのに」


その日の夜、食事に向かった場所で、愁矢から岳の出欠席について聞かれたため、

逸美は仕事が忙しいからと、そう話した。


「愁矢さん、彼はそういう人よ。自分というものがあって、絶対に妥協はしない。
人との付き合いがどうのとか、とりあえず出てみるかなんていう
面倒なことはしない人なの」


逸美は、学生時代から、自分が嫌だと思えば、仲間が動いても動かなかったと話す。


「そうかな……」


愁矢は自分が招待状を出したからだろうかと、苦笑する。


「そんなこと……いいのよ、無理に来てもらうことではないし。
仕事にもつながらないと、判断したのでしょうから」


逸美はそういうと、メニューを開き、魚がいいかお肉にするかと指でなぞり始めた。



同じ頃、千晴と泰成も別の店でお酒を飲んでいた。

千晴は、不満だという表情を一切隠すつもりもないのか、

泰成に対して、少し体を斜めにし続ける。


「言いたいことがあるのだろう。珍しく君から誘ったのだから」

「あるわよ。あるに決まっているでしょう。でも、言わないとわからない?」


千晴は泰成の方を見る。


「どうして今まで相原さんに対して、斜に構えていた面々が、
態度を変えたのかってことだろ」

「そうよ、その通り。あなたも含めてね」


千晴は、これからおもしろくなるようなことを言っていたくせにと、

泰成の手を軽くつねる。泰成はつねられた場所を右手でさするように触れる。


「俺もそう思っていた。相原さんの考えとは、絶対にぶつかることが増えるし、
社長の考えは、こっちの方に傾いていると、自信もあったしね」


泰成はそういうと、グラスに口をつける。


「まさか……あの人があれだけ考えを変えてくるとは思わなかった。
いや、違うな。あの人が、あんな考えを持つことが出来る余裕があるとは、
正直思わなかった」

「余裕?」


千晴は、岳はいつも余裕だらけでしょうと、当たり前のように言い返す。


「女にはわからないよ。男は少しでも高いところを目指すものなんだ。
今よりも上に、もっとって……でも、普通は上へ行くほど立っていられる場所は狭くなる」

「何それ」

「組織だからね、底辺が一番広くて、上に行けば行くほど、
立っていられる人数も少なくなるし、場所も狭くなるってこと。
だから、上にいる人間は、下から上がってこられないように、目を光らせ続けなければ、
上がってきた誰かに、自分が突き落とされる……」


泰成は今までの岳は、そんな感じだったと過去を振り返った。

千晴は、黙ったままカクテルグラスに口をつける。


「でも、相原さんは変わった。這い上がってこようとする社員たちに、
自ら手を伸ばして、上に引っ張りあげようとしている。するともちろん場所は狭くなる。
そうなったとき、その場所にあつまった人間が何を考えると思う?
よし、この人をまた上にあげようって……そうなるんだ」


泰成は、今の岳は上に行ってもまた、自分たちを引き上げるために、

手を伸ばしてくれるはずだと、思える存在になっていると語る。


「何もっともらしいことを言っているの、意味がわからない。結局、
やり込められたのでしょ。あの事故で先輩から責任をかぶされて、
岳が助け舟を出したから」


千晴は、どんな言い訳をしても、そういうことだと泰成にまた背を向ける。


「そう簡単に言うなよ。緊張感の中に君はいるわけではないだろう……」


泰成は思わずそう言い返す。

その言葉に千晴は振り返り、泰成を見た。

泰成は、千晴の表情に『ふぅ』と息を吐き出すと、またグラスに口をつけた。





「誇らしかったよ、今日の兄さんは」


敦はそういうと、これからみんなで一丸となり、

『紅葉の家』と、分譲マンションを作っていけるとそう嬉しそうに話す。

そばにいた武彦も、今日の発表はよかったと、岳を褒めた。

岳は細かい部分はこれからだと、二人に話す。


「現地の話は、瀧本さんから情報を得たのだろう」

「はい。地元でも期待は大きいそうです。若い層が引っ越してくることは、
税金のアップにもつながりますし」


岳はどこかで一度、現場を見に行きたいと、武彦に話す。


「あぁ、そうだな。計画を立てたほうがいい」

「……はい」


岳は、すぐにあずさのことを考えた。

研修もすでに終了し、カレンダーは4月を迎えている。

接点のなくなってしまった今、『祐の墓参り』だけが、

唯一、あずさと連絡が出来る予定だった。

岳は社長室を出ると、そのままケースを持って『Sビル』に向かう。

柴田に最後の管理を任せていた『Sビル』も、3月末で全ての入居者が出て行った。

解体工事の日程も決まり、1週間後には『立ち入り禁止』の場所になる。

『ミドルバンド』のメンバーたちも、ビルが新しく生まれ変わってから、

また、スタジオを貸して欲しいと約束はしているようだったが、

それはしばらく先のことになるため、岳は気持ちの整理をするため一人、

エレベーターに乗った。

『アカデミックスポーツ』に向かうと、岳から連絡を受けていた柴田が待っていて、

『リラクションルーム』の鍵を渡してくれる。


「すみません、もう仕事の日ではないのに、わがままを言いました」

「いえ……」


柴田は『1週間しかないけれど』と岳に確認する。

岳はしっかりと頷き、誰もいない部屋の扉を開けた。



『吹けてますよ、それ……』

『音、外しましたよね、今』

『コンサートを開けないかなと……』



岳は、椅子に座り、『クラリネット』を組み立て始めた。

このビルを建て直すと決めてから、立ち退き完了まで、正直、予定外の長さがあった。

腹を立て、大きな声を出したこともあったけれど、

今、誰よりも自分自身が、無くなってしまうことへの『寂しさ』を感じてしまう。

『当たり前のようにあった時間』が、『当たり前ではない』ことに気付いたとき、

沸き起こってくるのは、自分ではない別の人のことばかりだった。

今、何をしているのか、どういう思いで道を歩いているのか、

楽しいと思うことはあるのか、苦しくて泣いていることはないのか、

岳は組み立てた『クラリネット』に指を置くと、ゆっくりと音を出す。

この部屋にいない人に、届くことはないだろうと思いながら、

もう戻らない日々をただ思い返し、これから向かうべき道を、

あらためて自分で見つめることにした。



【33-2】



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