33 時の流れ 【33-2】

「ここ……ですか」

「そう。築はそれほど新しくないけれど、造りはしっかりしているよ。
4月に入ったからね。もう少し早ければいくつかあったけれど、
2月くらいが一番入れ替わりのピークなんだ」


あずさが、金曜日の仕事を終えて立ち寄った不動産屋では、

広夢が持って帰ってきた物件が、全て埋まったと言われてしまった。

その代わりと1枚、別の紙をもらう。


「電車で神奈川に渡って、3つ目の駅。
他の不動産屋に行っても、みんな同じようなものだよ」


出された物件は、以前、『ザナーム』の別の社員が住んでいた場所だと、

店員に教えてもらう。


「別の方が……」

「そう……えっと、大家さんの孫が同僚になるのかな。
『富田友華(ゆか)』って人が、『ザナーム』にいるでしょう」

「……富田」


あずさは、研修中はほとんど京子とだけ関わってきたため、

他の社員の名前まで、あまり覚えていなかった。


「彼女が大家のお孫さんなんだ。だから、『ザナーム』の社員だとしたら、
結構、優先的に貸してもらえるはずだよ。ここも本当は学生に決まったのだけれど、
地元の国立の補欠合格が後からわかって、キャンセルが出たんだ」


店員は、もし興味があるのなら、連絡をしておくけれどと用紙をくれる。

あずさは、会社の中にいる人の縁だと思い、少しためらったが、

店員の言うとおり、時期的にあまり選べるものがない気がして、

これを逃すと、また時期がずれてしまい、杏奈に迷惑がかかると思い始める。


「ぜひ、お願いします」


あずさは頭を下げると、もう一度間取りを見た。



2階建てのアパート。部屋は運良く2階の角部屋だった。

上と下、それぞれ3部屋のため、合計6室となる。

東向きのため、朝はしっかりと日差しが入りそうだった。

お風呂とトイレは別のつくりで、キッチンはコンロが1つ。

部屋が畳だということが少し気になったが、実家の茶の間を思えば、

それも悪くないと考えることにする。


「和室ねぇ……」

「うん。でも、ゴロンと出来るでしょ。それに時期もあるしって言われたの。
確かに、引っ越しシーズンからちょっとずれているから、
あれこれ贅沢は言えないみたい」


あずさは、3月中に決めておくべきだったかもと、苦笑いする。


「だから言ったでしょ、慌てて相原さんの家を出てくるから。
夏前くらいなら、もっと選べたかもしれないのに」


杏奈はそういうと、あずさに間取りの紙を戻す。


「ねぇ、あずさ、あまり気に入らないのなら、無理に出ようとしなくていいんだよ、
しばらくここにいたって平気だって」


杏奈は、自分のことを思って早く出て行こうとしているのだろうと、あずさに聞く。


「ううん……正直、通勤も辛いなと思ったの、ここからだと」


あずさは、どうせ引っ越しをするのだから、荷物もないうちにとそう話す。


「最初は同僚の人が大家さんの孫だって聞いて、どうかなと思ったけれど、
前に住んでいた人も『ザナーム』の人だって言うし。
それなら、シフトで時間がずれるのも、理解してもらえるだろうし」

「そうか、まぁ、そうかもね」

「うん。とりあえず明日、部屋を見せてもらうことにしたから」

「明日? そうなんだ、それなら私も行こうか」

「……本当?」


あずさは、東京に出て初めて決める物件なので、杏奈が来てくれたら助かると、

胸をなでおろす。


「行くわよ、あずさのことだもの、あたり前でしょう」


あずさは『ありがとう』と杏奈に礼を言うと、食事の支度に取りかかった。





「おかえりなさい」

「ただいま」


岳は仕事から戻ると、とりあえず着替えてくるからと滝枝に言った。

持ち帰ったクラリネットの箱を、いつもの場所に戻す。

柴田に頼み、『Sビル』に出入り出来る残りの1週間。

『リラクションルーム』を岳が借りることにして、鍵を受け取った。

あずさが一緒に吹いてくれた時間の中で、昔、教えてもらった知識が戻ってきて、

それなりの曲も、吹けるようになった。

だからこそ、この1週間で、どうしてもマスターしたい曲が出来る。

岳はカバンの中から楽譜を取り出し、指使いの復習を始めた。


亡くなった母が眠るのは、『織田家』の墓ではなく、『相原家』の墓になるが、

岳は思い出の場所に行き、その場所でクラリネットを吹いてみようと考える。


『伝えるべきことを、伝えるため』


岳は、動かしていた指を止め、あずさの番号を呼び出し、電話をかける。


『はい……』

「もしもし、俺だけど」

『はい』


受話器の向こうにいるあずさに、来週の土曜日に現地に向かおうと思っていることを話し、

都合がつくのならと、墓参りのことにも触れる。


『はい……お願いします』

「それじゃ、朝、迎えに行くから」


岳はそれだけを告げると、電話を切った。

仕事先ではどうなのか、大変なことはないのかなど、聞きたいのは山々だったが、

一度口に出すと、全てが解決するまで聞き続ける気がしてしまう。

ネクタイを外し、スーツから普段着に着替えると、

滝枝が用意してくれている夕食を取るため、食卓に向かうことにした。



「何……誰?」

「岳さん」


電話を受け取ったあずさは、すぐに予定表を開き、来週の土曜日に丸をつけた。

亡くなった祐の眠る場所に出かけるということも、岳に会うということも、

どちらもあずさの鼓動を、確実に速くする。


「来週の土曜日、織田先輩のお墓参りをしてくる」

「うん……」

「きっと、岳さんと会うのは最後になるから……」


あずさはそういうと、小さく息を吐く。


「何後ろ向きな言い方をしているの。きちんと話すのでしょう。
相原家を出たのは、嫌だからじゃなくてって」

「……うん」

「あなたを好きになりましたって……言うのでしょ」


杏奈は、小さく頷くあずさの顔を見た後、クスッと軽く笑う。


「笑った? 今」

「だって、今からそんなに緊張していたら、絶対に無理だなと思って。
そうそう、無理しなくていいよ、あずさは。ずっと恋愛にあたふたして、
枯葉になるんだもの」


杏奈のからかう言葉に、あずさはそんなことはないと上を向く。


「きちんと言うから」


あずさはそういうと、茶碗を持ち、ご飯を箸ですくい口に運んだ。



【33-3】



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