34 あなたのこと 【34-2】

「それは絶対に、違います」


あずさは、自分が相原家を出たのは、嫌な部分があったからではないと、

そう必死に訴えた。確かに、庄吉があずさを東京に呼ぶためにした行動で、

妙な疑いをかけられてしまったが、それを越えるくらいの思いが、

あずさの中に存在する。


「それなら戻ってくればいい。無理してオートロックもないような……」

「同じ場所に、立ちたいんです」


あずさはそういうと、相原家にお世話になっていると、

自分は『同じ』ではないと、そう言い返す。


「同じ……」

「宮崎あずさとして、きちんと自分の力で生活しないと、買い物をして、
生活費を払って、自分ひとりにならないと、こうして、先輩のお墓参りに行きたいと、
岳さんにお願いが出来ない気がしました」


あずさは自分が相原家にいたときには、いつも誰かの世話になっていて、

申し訳ない気持ちだけが強かったと、そう本音を話す。


「いつもいつも世話になるだけで、でも、その中で、唯一、
岳さんの肩もみをしているときだけが、違っていました。
私の手に、その効果が伝わってくるときだけは、『役に立てている』って、
そう思えて……」


あずさは自分の両手を見る。


「こんな私でも、役に立てているなって……そう……」

「だったら、これからもそうしてくれたらいい」


岳の言葉に、あずさの顔があがる。


「幼い頃に母をなくして、その後妹も失った。当たり前にいるべき人が、
俺の回りにはいなくなった。新しい母が来て、弟が来て、妹が生まれて、
自分の持っていたつながりとは違うものが、どんどん増えていくたびに、
嬉しい気持ちよりも、誰かに認めてもらわなければ、
自分がここにいられないのではないかと、いつの間にか思うようになっていた」


岳の言葉を聞きながら、あずさは敦と語ったことを思い出していた。

岳はあの場所にしかいられない、逃げられないという会話は、

今、確かにその通りだと、思ってしまう。


「それからは、無意識に、いつも肩に力が入っていた。
絶対に失敗してはいけない、成功して褒められなければと、
そんな経験ばかりをしてきた」


岳の言葉に、あずさはいつも仕事に立ち向かっていく姿を思い出す。


「期待もある、でのその反面、厳しい他人の目のある。
この環境にいる以上、体や心の力を抜くことなんて、一生、出来ないと思っていた。
それならば、仕事で結果を出して、誰にも何も言われない環境を、
自分が整えるしかないとそう信じて……努力もしてきたつもりだ」


岳は、少し前に出て、その場で背伸びをする。


「でも、そんな考えが、君の行動でことごとく崩された」


岳は両手を下げると、ふっと笑みを浮かべる。


「『肩もみ』で会社の利益を生み出すと、君が言った時、
正直、何を言っているのかと、そう思っていた。『Sビル』の立ち退き期限を、
敦が待つと言ってしまったから、条件を飲むしかないけれど、
これ以上の延長がないことを理解してもらうため、
なんでもいいから、こじつけておくつもりだった」


岳は、自分の右手を左肩に乗せる。


「ところが……だ。肩を揉んでもらうようになってから、
驚くくらい自分自身が変われたし、目に映るものが変わり出した。
人の言葉を受け入れることも、自分の意見を引くことも、
『負け』ではないという考えさえ生まれてきた。
それは……自分自身が、無条件に受け入れてもらえていると、思えたからかもしれない」


岳はそういうと、一度あずさを見る。

そして、今度は視線を流れる川の方に向けた。

墓地のある場所は、それなりに整備をされ、母と訪れたころに比べると、

道は歩きやすくなった。しかし、目の前を流れる川は、

逆らうことなく上から下へと流れているだけで、何も変わっていないように見える。


「どんな自分でも、受け入れてもらえているという安心感が、いつの間にかあって、
肩がほぐれるのと一緒に、自分自身の妙なプライドも取れていた。
最初は、君と話すことも、ストレスだと思っていたのに、それがだんだん……」


横を向いた岳の目を、あずさも追いかけるように見た。

優しく、温かいその眼差しは、間違いなく自分に向いているものなのかと、

恥ずかしさも忘れ、ただじっと見てしまう。


「……諦めは悪いし、何を言っても言い返すし、
面倒なことに自分から勝手に巻き込まれるし、要領も効率も悪すぎる。
そんな人を、自分が『愛しい』と思うとは……今まで考えたことがなかった」


『愛しい』という言葉に、あずさの心臓が、コトンと音を立てる。

ストレートな表現が、岳らしいと思いながらも、緊張してしまい顔が引きつっていく。


「……岳さん」

「この場所で君と話したかった。
もし、あの思い出の曲を吹かれるのが嫌だと言われたら、
ここには二度と来ないと決めていたし」


岳はそういうと、あずさを見る。


「いや……それだけではないな。ここに眠る人に、勝ちたいという気持ちが、
どこかにあったと思う。君の中に残っている思い出も、変えてしまいたい、
越えてしまいたいと、そう思った。だから……君にとって彼の象徴とも言える曲を、
どうしても自分が吹きたかった」


岳はそういうと、祐の眠るお墓を見ながら、くだらないなと少しだけ笑みを浮かべた。

それまで穏やかだった風が、存在をアピールするように、少し強めに変わり、

二人の間を吹き抜けていく。


「本当にそんなふうに、思ってくれていたのですか」


あずさは、自分はいつも迷惑ばかりかけていたし、怒られてばかりいたので、

今日も、会えるのは最後だろうと思っていたことを話す。


「私も、最後になるのなら、相原家を出て行く理由は、嫌だからではないことを話して、
先輩のお墓参りだけはと、そう思って」


岳と会えなくなったら、来ることも出来なくなるからと話す。


「俺は一度も、怒っていたつもりはないけれど……」


岳は、いつも文句を言うのはそっちだったと言い、クラリネットの部品を外そうとする。


「あ、待って」

「何……」

「終わってしまうつもりですか? もう一度……もう一度、吹いてください」

「もう一度?」

「はい……『素顔のままで』を、ここで……」


あずさは、人差し指を『もう一度』という意味で立てる。

今度はきちんと聞きますからと、岳の前に出た。

あずさは『さぁ、どうぞ』という表情で、岳を見る。


「今度はって、さっきは聞かなかったのか」

「いえ、聞いていましたけれど、どうしてその曲を吹くのかって、
どこか集中できていなかったので」


あずさは『お願いします』と、岳に合図を出す。

岳はクラリネットを持ちあずさを見たが、そのまま箱を持ち、歩き出してしまう。


「あ……岳さん」

「2回目はない、時間の無駄だ」

「エ……でも……」

「だいたい2回目というのは、最初の感覚では聞けなくなるものだ。
ありがたみが減るだろう」

「そんな……待って、あ、あの……待ってください!」


あずさの声に、歩き出した岳の歩が止まる。


「だったら……一つだけ、私に答えてください」


あずさは岳の手にある『クラリネット』を見る。


「私は、これからも岳さんと会えるということですよね」


心が通じたのだという証拠を、自分の胸に残したいと、あずさはそう聞き返す。


「好きでいて……いいですよね」


あずさの自信がなくなっていくような小さな声。

その中にある、大きな意味に答えようと、岳は数歩戻り、あずさの頬に振れ、

自然に唇を近づける。

言葉ではないぬくもりから突然得た答えに、あずさは顔が赤くなるのを感じていく。


「ここから一歩、踏み出します」


岳の視線は、祐の眠るお墓の方向にあり、あずさも同じ場所を見る。

二人揃ってしっかりとお辞儀をした後、ゆっくりと坂を下った。



【34-3】



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