34 あなたのこと 【34-4】

その後、岳とあずさはしばらく車を走らせた後、コンビニでコーヒーを買った。

あずさは大きく息を吐くと、一気に飲み干してしまう。


「なぁ……」

「はい」


あずさが横を向いたので、岳はその表情を確認する。


「よし……もう大丈夫だろう」


そういうと、車のエンジンをかける。


「グズグズしている顔のまま、実家に戻ったら心配されるからな」


岳は、あずさの気持ちが落ち着いたことを確認し、実家まで送るとそう言った。





「あら……」

「あらあら」


何も話していなかったため、岳の登場に、

あずさの実家では美佐と夏子が慌てて出迎えた。

あずさは、岳が仕事のために来る用事があったので、乗せてもらってきたと説明する。


「どうぞ」

「うん」


岳は『おじゃまします』と中に入ると、玉子にお線香を上げるため、仏壇の前に座った。

玉子の写真は、『橙の家』で楽しそうに笑っている顔になっている。


「祖父も、一度こちらにと思っているようです。もう少し季節がよくなったらと」

「いえいえ、お元気だといっても、ご無理のないように。
色々とよくしていただいて、本当に感謝の気持ちばかりですし」


夏子はそういうと、岳に頭を下げた。

岳は今日はすぐに失礼しますと、挨拶をする。


「あら……でも」

「いえ、東京に戻るのが遅くなりますので」


美佐は、それでもと言いながら、家の中をバタバタ走り回る。

何やら畑で取れたものや、ご近所からもらったものをダンボールに詰め、

相原家のみなさんでと、岳の前に差し出した。


「お母さん……ちょっと」


あずさは、お土産だと言うにはあまりにも遠慮ないものだと思い、岳を見る。


「形も悪いですし、田舎のものですからお口にあうかどうかわかりませんが、
でも、気持ちだけはたくさん入っていますので」


美佐はそういうと、あずさをここまで送っていただいてと、あらためて礼を言う。


「ありがとうございます」


岳は、あずさに大丈夫だという顔をした後、ダンボールを受け取ると、

車のトランクに乗せようとする。


「待って」


あずさは、大きなタオルをトランクに敷くと、ここに置いてくださいと指示をした。

岳はその場所にダンボールを乗せる。


「本当にすみません……こんなもの」

「いや……」


岳は、あずさに話しかけようとしたが、夏子と美佐の視線が揃っていたため、

軽く頭を下げて、運転席の扉を開ける。


「土曜日だったな、引っ越し」

「……はい……え?」


岳はエンジンをかけると、そのまま走り出してしまう。

あずさは、岳が引っ越しの日に来るつもりだろうかと思いながら、

車が小さくなるのを見送った。





『驚きました。ごめんなさい、心配させたようですね。
少し忙しくて気持ちの余裕がなくなっていました。ただそれだけです』



以前、敦が涼子のブログに送ったコメントの返事が、

ずいぶん時間を開けて、戻ってきた。

お付き合いは出来ないと言われ、それから会うこともなかったが、

選んだ道を、頑張ってくれていることがわかれば、自分の力にもなると思い、

コメントをしたのに、涼子からの返事は、あまりにもそっけないものだった。

敦は、もう一度と思い、キーボードに指を置くが、

積み重ねることは望まれていない気がして、辞めてしまう。

ソファーに寝転び、しばらく天井を見続けた。





『中村流』の展示会が終了し、逸美は愁矢と食事に出かけることになった。

自分の人生の集大成だと言っていた父も満足し、

逸美自身も継承者としての挨拶が出来たことで、さらなる時間を持つために、

努力をしようという前向きな思いが強くなる。

自分の選んだ道に自信を持てると思えるようになったのも、

目の前にいる愁矢の広い心と、優しい思いがあったからだと、乾杯のグラスを前に出す。


「逸美さん」

「はい」

「大事な催し物も終わりになったので、ほっとしています」


愁矢は、気持ちも疲れているでしょうと、いつものように逸美を気遣った。

逸美は、満足感の方が大きいですと、笑みを浮かべる。


「あなたに初めて会ったのは、高校生の頃でした。
かわいらしい方だと思った記憶があって、数年後に再会したのが、
筆を動かしている姿だったので、同じ人なのかと驚きました」


愁矢は、そう話すとワイングラスに口をつける。


「高校の時にはソフトボールをしていたので、足も太くて……。写真を見返すと、
目をそむけたくなります」

「いえ……」


愁矢はそんなことはないですよと、逸美を見る。


「父から、あなたとの結婚を勧められたときには、驚きよりも嬉しさの方が大きかった。
僕にはない、あなたの積極性とか、社交的なところに、
憧れのようなものもありましたし……」


愁矢の表情と話の内容に、逸美は少しずつ疑問符が浮かび始める。

今まで、そんなことを言ったことがなかったのにと思い、何かあったのかと、

逆に問いかけた。


「あなたと幸せになれたらと……ずっと思っていました。
あなたも僕を望んでくれるのなら、一生かけてと……」


逸美は、その先の言葉に何も予想が立てられず、笑うことも忘れてしまう。


「でも、『忘れられない人がいる』のだと、わかってしまった……」

「……愁矢さん」

「逸美さん、今思うと、婚約当初のあなたは、いつも戸惑っているように思えた。
このまま流れていくことをどこかで拒絶しているような……そんな……」


愁矢はそういうと、固い表情のまま逸美を見る。


「あなたの言葉を……心の声を、聞いてしまった……」


逸美は、頭の中でこれまでのことをあれこれ思い返していた。

愁矢に、何かおかしな態度を取ったことがあっただろうかと考えるが、

何も浮かんでこない。


「あなたは僕に……」


張り詰める空気と、壊れそうな心臓の鼓動が、ぶつかってはさらに違和感を生み出し、

逸美の回りに張り付いていく。


「……彼の名前を呼んだ」


『彼』という言葉に、逸美の顔から血の気が一気に引いていく。


「『岳』という名前を……」


愁矢はそれだけを言うと、ワイングラスを持ち、飲み干してしまった。



【34-5】



コメント、拍手、ランクポチなど、お待ちしています。(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪

コメント

非公開コメント