34 あなたのこと 【34-5】

逸美はそんなことはないと言おうとしたが、

ここで繕う事は、愁矢に対して失礼なことではないかと思い、黙ってしまう。


「『婚約』は……なかったことにしましょう」


愁矢はそういうと、自由になって欲しいと逸美を見る。

哀しいのか、情けないのか、自由になれて嬉しいのか、

逸美には自分の感情が全くわからなかった。

自分にも自分なりの思いがあるのだと、ここで話したいこともあったが、

岳との別れに愁矢との婚約を使い、一度は勝手に裏切ろうとしたこと、

そして、『パワフリズムストーン』の力を借り、岳にこだわっていたことなど、

この結果を生み出したのは、自分自身の醜い心が呼び込んだことではないかと、

そう思い始める。

高校生の頃の記憶から、自分を意識してくれていた愁矢の気持ちを思うと、

逸美はただ、申し訳ないという思いだけで、潰されそうだった。





その日のあずさは、新しい就職先『ザナーム』での研修も終了し、

引っ越し先を決めたこと、

その間取りを見せ、来週の土曜日に杏奈のところから越すのだと、話した。

夏子や父親は一人で生活できるのだろうかと、あずさを茶化すようなことを言う。

あずさは、今はそれなりに生活を助けるお店がたくさんあるのだと、

その意見に対して反論した。

夕食が終了し、片付けも終わると、夏子は早めに部屋へ入り、

こたつのある居間には、テレビを見るあずさと、新聞を広げる美佐だけが残った。

美佐はかけていた老眼鏡を外す。


「ねぇ、あずさ」

「何?」

「相原さんの息子さん、本当に仕事でこっちに?」


美佐は、仕事という割にはスーツ姿ではなかったしと、あずさを見る。


「建設予定地の下見を兼ねていたからよ。正式にはまだ土地を譲り受けていないから、
中には入れないし……」


あずさは、繊維工場の跡地だから、敷地も広くて驚いたのだと、見てきたことを語る。


「あずさ……お母さん。玉子さんと庄吉さんのつながりは理解していたし、
本当に『橙の家』のことも、色々とお世話になってありがたいと思っているけれど、
それとこれとは別だからね」


美佐はそういうと、わかるよねという顔であずさを見る。


「……お母さん」

「『BEANS』の社長になるかもしれない人なんだよ。お付き合いも広いだろうし、
私たちのような凡人には、理解できないこともたくさんあると思う。でもあずさは、
正直すぎるほどに真面目だし。だから……」


美佐の言いたいことは、遠まわしな表現だったけれど、あずさには伝わっていた。

岳と個人的な付き合いをすることは、いいことだと思わないので、

そうならないようにと、釘を刺されている気がしてしまう。

互いに気持ちが寄り添いだしたことを、話してしまいたい気持ちもあったが、

まだ、本当の意味で伝えられない気がして、あずさは『そんなことはないから』と、

否定する。


「本当に?」

「本当。わかってますから……」


美佐はそれならばいいけれどと、また老眼鏡をつける。

あずさは、見ている番組がつまらないねと言いながら、リモコンのボタンを押した。





あずさは自分の部屋から、空に輝く月を見た。

自分の『肩もみ』が、岳にとって、本当に役に立てたのだという満足感と、

『愛しい』と表現してくれた思いの中にいることが出来た幸せに、

気持ちは穏やかな時間を迎えようとするが、心配そうに自分を見た、

母の気持ちを思うと、この先、どういうことが待つのかと、ため息が出てしまう。

玉子がいて、庄吉がいるからこそ、あずさが相原家にいたことを認めてもらえていたが、

『岳の相手』となると、その視線の意味が、全く違うものに変わる気がしてしまう。

同じ場所に立ち、互いに遠慮なく出来るための行動だというのは間違いないが、

その分、ぶつかってくるものも、ストレートに来る気がしてしまう。

あずさはふとんをかぶり、目を閉じる。

それでも思い出すのは、岳の横顔や、笑った顔ばかりだった。



同じ頃、岳も部屋の中にいた。

クラリネットの箱を開け、付属の布で丁寧に部品を拭いていく。

あずさ自身が、この家を、そして自分を避けたのではないことがわかり、

ほっとした反面、思いが通じたとわかれば、こうして離れている現実が、

どこか寂しくも思えてくる。

小さな蝋燭に、小さな光りがともされたような、柔らかい温かさを感じながら眠るのは、

どれくらいぶりなのだろうと思いながら、ベッドに寝転ぶ。

あずさの笑った顔、楽しそうな表情を思い出すだけで、自分の両肩にかかる力が、

勝手にほぐされる気がして、岳は首を少しずつ動かした。





「おはようございます」

「おはよう」


岳とあずさが過ごした週末が終わり、世の中はまた新しい1週間を迎えることになった。

岳は朝から、動き始めた企画の担当者を集め、会議を開くことになる。

そこには敦も参加し、それぞれに持ち寄った資料が、担当者分用意される。


「どうして私がやらないとならないのよ」


千晴は文句を言いながら、コピーの前に立った。

その横を新人のまどかが歩いていく。


「ねぇ、朝原さん」

「はい」


千晴は、あなたが新人なのだから、資料のコピーをして会議室へ運んでほしいと、

そう提案する。


「私が……ですか」

「そうよ。あなた新人でしょう」

「まぁ、確かにそうですが」


まどかは、明らかに不満な顔をする。


「何……その顔」

「コピーをすることは構いませんし、実際、どんな話し合いをされているのか、
出来たら参加させていただきたいくらいですが……」


まどかは千晴に対して、コピーされて出てきた紙を渡す。


「何?」

「私がこの仕事をしてしまったら、先輩の出来る仕事がなくなるのではないかと、
それが心配ですので、遠慮します」


まどかはそういうと、千晴に頭を軽く下げ、また颯爽と歩き出す。

千晴は自分の仕事ぶりをバカにされたのだと思い、まどかの後姿を睨みつけた。





【ももんたのひとりごと】

『母親』

今までも色々な『母親』を創作の中に登場させてきましたが、今回も、美佐と浩美、
そして亡くなった麻絵などが登場します。さらに夏子。
あずさにとっては祖母ですが、美佐にとってはやはり『母親』。
それぞれの『母親』が、どんなことを思い、気持ちを見せていくのか、
『違い』が書けたらいいなと、そう思っています。




【35-1】



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