【S&B】 54 のんの

      54 のんの

箱根にある老舗の旅館『湯花園』で、仲居をしていた望の母親は、先月で辞めてしまい、

今はもうここにはいないのだと、荷物を持ちながら歩く、担当の仲居さんは教えてくれた。

望はその事実を頷きながら受け入れていたが、僕はあの日、強いことを言って

追い出してしまったことが気になり、気分が重くなる。



『望に……彼女の人生を返してあげてください』



身勝手に見えた母親に対して、僕が言った一言は本音だけれども、親子の関係はそれぞれなのだから、

あんなふうに割ってはいる権利があったのだろうかと、今更ながらそう思う。


「うわぁ……綺麗な富士山。写真より本物よね、祐作さん」

「うん……」


望は僕の気持ちに気付いているのか、食事の時も嬉しそうに笑い、

出された煮物の味付けを褒めたり、自慢の庭へ僕を連れ出し、記念撮影を何度もした。

それでも僕の気持ちは晴れることなく、隣に座る望の肩が触れると、申し訳なさだけが膨らんだ。


「望……」

「ん?」

「ごめんな……。せっかくここまで来たのに、お母さんに会えなかった。
あの日、あんなふうに追い出してしまって、もしこのまま……」


望は無言のまま何度も首を振り、僕の横に力なくぶら下がる左手をそっと握る。

もう、何度も肌を合わせてきたのに、つながれた細い指から伝わる望の温かいぬくもりが、

例えようのない安心感を与えてくれた。


「もしかしたらこんなことになるかもしれないって、少しだけ考えてたの。
きっと、私に会いに来る時から、ここを辞めることは決めてたことなんじゃないかって、そう思う」

「……どうして?」

「あまりにも、いろんなことを急いでいたから」


急いでいた……。そのセリフに僕が望の顔を見ると、

そこにはいつもと変わらない、優しい眼差しの笑顔があった。


「ここにいるだけでも、十分お母さんを感じることが出来た。
忙しく働いている人たちの中で、頑張っていたんだもの。私……少しほっとした」


その時、僕らの部屋の扉を叩く音がして、返事を返すと、着物姿の女将が入ってきた。

慌てて挨拶をすると、望の母親から預かった物があるのだと、白い封筒を取り出した。


「あ……」


望はその封筒に書かれた文字を見ると、すぐに反応を見せた。



『のんのへ』



「のんのって望のこと?」

「うん、小さい頃、お母さんがずっとそう呼んでいたの。のんびりやの望……のんのって」


僕らの反応に、女将は微笑み頷くと、テーブルの反対側に座り、これまでの事情を語ってくれた。

望の母親がこの『湯花園』に来たのは、かれこれ7年前にさかのぼる。

その時はまだ先代の女将がこの旅館を仕切っていて、借金を抱え、

どうしても働きたいとカバン一つで飛び込んできた彼女を、わかったと二つ返事で採用したという。


「弥生さんは働き者でしたよ。朝も早くから起きて、夜も最後まで残って……。
うちには仲居さんが暮らす寮があるんですけど、その部屋でも彼女はきれい好きだったって、
評判でした。洗濯物はいつもたくさん干されていたし……」


僕にとっては、あの日、家に来てくれた姿しか想像出来ないが、望には残っている面影が、

あれこれ頭をめぐっているのだろう。彼女の中に現れた母親の姿を邪魔しないように、

僕は黙ったまま女将の話を聞く。


「お店を出したけれど、うまくいかなくて、一緒に頑張ろうとした人が逃げちゃったんだと、
それだけは語ってくれましたが、詳しくは知らないんです。ここへ来る人たちは、
色々と事情を抱えている方が多くて。弥生さんはそれでも、娘の年齢が近いからと、
私とよく話をしてくれましたが、自分のことは一切語らない人もいるものですから」

「私のことを……何か……」

「はい。私には今年25になった娘がいるんです。先月、嫁に出したばかりなんですよ。
ここから花嫁衣装を着せて、仲居さん達にも見送っていただきました。
弥生さんも、大きな拍手をしてくれて。私の娘も、年頃だからと……」


女将さんはことあるごとに、福島にいるはずの親戚と連絡を取ったらどうだと

望の母親に提案したらしいのだが、彼女は一度も頷いたことはなく、

その話をすると、決まって同じことを言った。


「連絡をしたら、きっと自分は娘に頼ってしまうからって。いつも笑ってそう言ってました。
ご親戚にも、娘さんにも、これ以上迷惑をかけたくないって。あ、でもね、
雑誌が出たときには、それはもう嬉しそうにみんなに見せて回ってましたよ。
たまたまお客様の部屋のゴミ箱に残されていて、休憩時間の読み物として
何気なく持ち帰ったらしいんです。休憩室での大騒ぎは大変だったと、本日、
この部屋を担当している葉子さんから、聞きました」


『SKY』の手作りコンテストで、望の『ウェディングベア』は2位になった。

そんな細い糸をたぐり寄せたのは、親子という切れない縁なのだろうか。


「東京へお二人に会いに行ったことは、知りませんでした。戻ってきた時には、
これで気持ちに区切りがついたってそう言っていたので」


東京へ行く前に、旅館には退職する希望を伝えていたようで、引き留めはしたものの、

決意は固かったらしい。


「このお手紙は、1年以内に娘がここへ来たなら、渡して欲しいと言われてました。
それ以上、来ることがなければ破棄して欲しいって……」

「破棄? 捨てていいってことですか?」


望はまっすぐに女将さんを見つめ、小さな手がかりをなんとか知ろうとする。


「えぇ……。もし1年以内にここへ来ないようなら、きっと、娘は幸せなはずだからって」


女将さんは自分が知っていることはこれだけだと言い、僕らの部屋をあとにした。


望は、『のんのへ』という封筒を手にし、じっと見つめたままになる。

思い出の空間に入り込みたくなかったので、僕は携帯だけを握りしめ、扉の方へ向かった。


「どこに行くの?」

「ん? ちょっと風に当たってくるよ」

「行かないで……」


望は残されることが不安なのか、すがるような視線で僕を見た。


「お母さんからの手紙じゃないか、ゆっくり読めばいい」

「だから一緒にいて欲しいの。一人じゃ読みたくない……」

「望……」

「一緒にいて」


僕らは並んで座り、望は裁縫道具についていた小さなはさみで封を開けた。

望へ……と書かれた出だしが、僕の視線に飛び込んでくる。





望へ

望は小さい頃と同じように、のんびり屋だね。
もう、10年以上も連絡をしなかった、名前だけの母親に会いに来て、
責め立てることもなく、話をしてくれて。

私にも時間が流れたように、望にも時間が流れたのだと、
化粧をするようになった顔を見ながら、そう思ったよ。

もし、望が一人でここへ来ているのなら、すぐに戻りなさい。
母さんはもう、ここにはいません。

私はまだ、望と顔を合わせるような立場じゃないなと
一緒にご飯を食べながら、思ったけど、
幸せだと言い続ける姿に、ちょっと嫉妬して、
最後は困らせたまま飛び出してしまって、ごめんね。

あんなことでもしなければ、出て行くタイミングがわからなかった。


もし、望があの人と二人でここへ来ているのなら、ゆっくりと庭でも見て、
旅館の中にある『かつら』の、ぜんざいを食べてから帰りなさい。
小豆は北海道産の本物で、なかなかの味です。

あ、そうそう、あの人、母さんが絶対に選ばないタイプだから、
望は大丈夫だって、そう思いました。

元気で

また、賞でもとって、喜ばせてください。





読み始めたらほんの何秒かで終わってしまう内容だったが、望は何度も何度も読んでいるようで、

視線を一度も外すことなく、便せんを見つめ続ける。

親と子の姿には色々とあって、これもまた、一つの形なのだろうと、僕も黙ったままになった。

温泉へ向かう下駄の音が、遠くでカラカラと聞こえ、やがて消える。


「どこに行くかが、ひと言も書いてない」


縮まった距離がまた離れたことに、望は不満なのかそう小さくつぶやいた。

僕がそばにいることを伝えてやりたくて、望の肩をそっと抱く。


「祐作さんなら大丈夫だって、お母さんそう言ってる」

「そうなのかな、なんだか嫌われている気もするけど……」

「ううん……私にはわかる。そんなことない、わかるもの……」


望はそう言いながら、僕の肩に寄り添うように頭を乗せた。

姿は見えなくなっても、望の中で、母親の姿が、鮮明に残されたそんな気がする。

昔、目の前から消えた時とは違い、互いに『待つ』ことが出来る気持ちになれた。





その夜、少し強く吹く風の音に、僕は一人目を覚ました。

隣で眠っている望を起こさないように、ゆっくりと起き上がる。


望の左手がピクリと反応し、僕のぬくもりが残る場所で、動きを止め、

指は何かを包み込むように、少しだけ握られる。

そんな望の左手を、じっと見ていたら、僕はなぜか笑いたくなった。





明日も、気持ちよく晴れてくれるだろうか……。

僕はその後、一人で自由に生きている父に、久しぶりのメールを打った。





55 支え合うこと へ……




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コメント

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親心・・・

こんばんは。

母は母なりに娘のことをずっと心に思いとどめていたのですね。

どんなに連絡したかったか・・・
でも飛びたしてきた理由が理由なだけに 
連絡が取り辛い。

祐作宅への訪問時に漏れた言葉も
嫉妬というより 娘を任せられるかどうかの
母なりの試験だったかも・・・

また姿を消してしまったけど いつかは現れてくれるはず。と
望なりに思っているのでしょう。
母が来るかどうかわからない娘に手紙を残したように
娘も現れるかどうかわからない母に想いを馳せらす。

似たもの親子かも。

そろそろ終わり?

やはり親子なんだなー。
距離は離れてしまったけど、心はグッと縮まった。

短いけれど暖かい言葉でつづられたそれは、望への励ましで溢れてる。

望が良い人と巡り合えたということは、祐作も良い人と出会えたということ。

のんびり幸せを築きながら二人で歩んで行けばいい。ってもう終わりに近づいてるような
気分でコメントしちゃった。

親子いろいろ

azureさん、こんばんは!


>母は母なりに娘のことをずっと心に思いとどめていたのですね。

身勝手な母親ですけどね。それでもこころのどこかで、望のことを気にしていた……。
そう思えるような回かなと。

優しい手紙を残し、祐作とのことも確かに気持ちを確認したと取れるし、
それでもやっぱり、自分だけ満足して消えてしまったというところもあるんですよ。

しかし、望にとっては、今までのように空白ではなく、母親の足跡をたどれたことで、
また、新たな一歩が踏み出せるきっかけにはなりました。

いろんな親がいるし、いろんな親子関係があると、思ってもらえたらいいんですけど。

母親の生き方

yonyonさん、こんばんは!


>やはり親子なんだなー。
 距離は離れてしまったけど、心はグッと縮まった。

同じように消えてしまったけれど、以前とは違って、望の中に母親の足跡が残されました。
頑張ってきた実績が見えたことで、少し安心したのではないかと思います。

それでもね、娘の幸せを確認し、消えてしまうのは、自己満足だとも言えるんですよね。
どこか身勝手なのかもしれません。


>のんびり幸せを築きながら二人で歩んで行けばいい。
 ってもう終わりに近づいてるような気分でコメントしちゃった。

あはは……。
それはどうなんだろうか。次回を見てくださいませ!

母なりのけじめ

 アンニョン~^^

 望の母を誤解してたかもしれません・・・。
 やはり、紛れも無く親でした。そして母でした。
 自分のせいで苦労した娘のことを
 申し訳ないという気持ちと それでも娘の今を知りたい・・・
 果たして幸せなのか!?
 望と祐作に会えたことで
 自分の中でけじめがつき、娘を安心して託せると
 気持ちよく旅立て気がしてなりません・・・。
 

歩み寄る

yokanさん、こんばんは!


>娘に甘えてしまう・・・母なりの想い、母なりのやさしさ・・・
 それが三田村ちゃんに伝わってよかったわ^^

また、消えてしまいましたけれど、望はしっかりと母の足跡を感じられましたし、
またきっと会えると、思っているはずです。

色々な親子がいて、その形があるものだと、思ってもらえたらいいんですけど。


>オモ、これから青山君のお父さんが登場ですか、

あ……祐作の父親は出ませんよ(笑)。
存在だけはありますけれど、登場はないですから、安心して!

旅立ち

miharuruさん、こんばんは!


>やはり、紛れも無く親でした。そして母でした。

娘を放り出して、好き勝手に生きていた母ですけれど、やはり、どこかに娘を思っていた……。
そんな形もあっていいかなと思いまして。


>望と祐作に会えたことで
 自分の中でけじめがつき、娘を安心して託せると
 気持ちよく旅立て気がしてなりません・・・。

はい、私もそう思います。
二人もおそらく、そう感じているはずで……。
さて、これからどうするのか、続きをお待ちください。

親は親

mamanさん、こんばんは!


>母親としての気持ちはそれなりにあったのですね。

そうですね。自分勝手に飛び出して、望にしては迷惑な母親ですが、
それでも心の隅にはいつも申し訳なさがあった……と、親ってそうであってほしいという、
私の想いかも知れませんけどね。

離れていても、親は親なんだな……というところでしょうね。祐作君のメールは。

もう少しですので、最後までお付き合いお願いしますね。

二人の成長

nari4さん、こんばんは!


>母と娘の絆、泣かされました。 私も普通ではない、母との確執があります。

親子の形もそれぞれなんだなということは、私も結婚して気付きました。
それでも、心のどこか片隅はつながっているものだと、そう思っています。

nari4さんには、色々なことを思い出させてしまう回になってしまったんですね。


>温かい気持ちをもっている、望と祐作、幸せになりますね。

色々なことを経験して、二人とも成長していっています。
幸せに向かって頑張っていますので、最後までよろしくお願いします。

母親って・・・悲しいね

きゃ~~。すごい出遅れた!!!。

ウッカリしてたら次のページになってる。@@


せっかく二人で箱根まで会いに行っていなくなってたら、祐作としても最後のひと言が
そのときはただ望ちゃんを思ってのことだとはいえ、それが最後になってそれっきりになるとしたら辛いよね。

女将さんから聞く母の姿は、あの時祐作たちの前でとった姿とは全然違っていて。

そっちのほうを早く見せてくれていれば・・・もっと素直になれたのに。

でも自分のしたことの罪深さを知っているからこそあんな憎まれるような口ぶりになったのかなぁ。

母は母なりに考えがあってしたことなんだろうな・・・。って思います。

いつでもOK!

tyatyaさん、こんばんは!

次のページ? あ、そうか……。大丈夫ですよ、カテゴリーから入れば、そんなことにはならないから。


>祐作としても最後のひと言が そのときはただ望ちゃんを
 思ってのことだとはいえ、それが最後になって
 それっきりになるとしたら辛いよね。

そうですよね。そんな祐作の落ち込みに気付いている望も健気に思い、
残念そうな顔を見せたりはしないのです。

それでも、母の残した手紙から、祐作、望、それぞれの想いが、また一つ出来上がった気がします。

親子の形は、色々なんじゃないかと、思ってもらえたら嬉しいです。