37 痛みの深さ 【37-4】

「そういう話しは出来ません」

「あら、どうして」

「どうしてって……私は『BEANS』に無関係ですし」


あずさは、相原家の人たちには世話になっているが、

仕事のことは何もわからないのでと、寿美枝に話す。


「昔のことがあるからって、言えばどうにかならないかしら……」

「昔のこと?」

「そう……」


寿美枝は、父親が生きているうちに、

自分の家の資産がどれだけなのかを知りたいとそう言った。

友華は、あずさの斜め後ろに回り、洋服の裾をそっと掴む。


「あの……」

「何?」

「もし、本当に土地を売りたいとお考えなら、
それをお父さんと話しをして、納得してもらって、それからにしてください」


あずさは、耕吉の態度を見ても、『売却』には気持ちが向かっていないだろうと考える。


「あはは……あなたわかっているじゃない。あの父親がどれだけ頑固なのか。
追い出されたでしょう、アパート」


寿美枝は、だったらいいですと言いながら、仲間のところに戻っていく。

友華はあずさの裾から、手を離した。


「色々とごめんね、宮崎さん」

「ううん……」


あずさは、富田家の複雑な事情が見え始めてしまい、

『大丈夫だ』と返すだけで精一杯だった。





『婚約は破談ということにしていただきたいのです』



逸美と愁矢の間では、すでに話し合われたことだったが、

中村家に、上野家から正式な謝罪があった。

理由は愁矢の個人的な事情だと言うだけで、逸美の父はどういうことだと怒り、

母はただ悲しいと泣いていた。

『本当の理由』が逸美にあると、愁矢は決して言わずにただ謝り続け、

全てを知っている逸美は、申し訳なさと、自分の無力さに声が出なかった。

何度落としても割れない『パワフリズムストーン』を見ながら、

『あなたの時間は戻らない』と、神様に宣言されている気がしてしまう。

一人になり部屋にいると、ただ心が締め付けられるので、

生徒たちが帰った後も、逸美は教室に残り出来るだけ筆を動かした。

昔から、どんなときでも筆を持つと『無』になることが出来た。

思い通りにならないことで、心が苛立っていても、筆を持つと世界が代わり、

冷静さを取り戻すことが出来た。

逸美は紙を横に置き、墨をすり続ける。



『逸美さん……』



優しい愁矢の声が聞こえた気がしたが、その姿はどこにもなく、

一度止めた左手を、また動かし始めた。





「『ザナーム』の通販事業部でございます。はい、商品番号をお願いします」


その日も、あずさは本社の社員として、パートの抜けた穴を埋める作業をし、

後半は揃った資料をまとめ、本部に報告するための書類作りをこなした。

京子はその仕事振りを眺め、満足そうに頷いてくれる。


「宮崎さん、すっかり一人前ね」

「……ありがとうございます」


あずさは、少し変わっている人だけれど、京子のわかりやすい指導があったから、

仕事が出来ているのだと痛感する。


「花輪さんから聞いたの。地元のジムで起きた持ち逃げ事件に関わっていると、
疑われたんだってね」


京子の言葉に、あずさは『はい』と頷いた。

もちろん無関係ですと、その後に言葉を付け加える。


「わかるわよ、そんなこと、あなたを見ていたら……」


京子は、人はどんなに繕っても、どこかから本性が見え隠れするものだと、そう話す。


「あなたと1ヶ月近く過ごして、そんなことはありえないって、断言できるもの」


京子は書類に印鑑を押すと、封筒の中に入れていく。


「人に対して素直に接することが出来て、問題からも決して背を向けないでしょ。
あなたを見ていると、自分の若い頃を反省するというか……」


京子はそういうと、何かを思い出すのか、『ふっ』と笑う。


「女は、かわいくないとね……」


京子の言葉に、あずさはどう反応していいのかわからず、

お付き合いの笑いを浮かべるだけになった。



『かわいくないとね……』



帰りの電車の中でも、あずさの頭の中で、この言葉がグルグルと回っていた。

以前、『女の末席』と言われたときにも、なぜか妙に納得が出来た。

今回も、京子の人生からにじみ出た言葉のように聞こえ、

あずさは自分の行動を振り返る。

『かわいさ』とはどんなものなのか、窓に映る自分の姿を見る。

車内のアナウンスが『東青山』を継げたため、あずさは扉付近に移動した。



「いただきます」

「はい、どうぞ」


あずさは一人食卓に着くと、夕食を取った。岳の車はまだ、戻ってきていない。


「あ……あずさちゃん、お帰り」


冷蔵庫のペットボトルを取ろうとした東子が現れ、あずさも『ただいま』と声を出した。

東子はそのまま部屋に戻ろうかと1歩前に出たが、体の向きを変えてあずさの前に座る。


「どうしたの?」


あずさは、学校で何かあったのかと東子を見る。

東子は『別に何もない』と言い、あずさの顔を見たが、すぐに視線を下に動かした。

あずさは、何か隠し事でもあるのでしょうと言って見る。


「どうして?」

「だって……落ち着かないから」


あずさは、相談事でもあるのなら聞くけれどと東子を見た。

東子は本当に何もないからと、目の前で両手を振る。


「あずさちゃん」

「何?」

「なんだかさ……」


東子はそこから言葉をつなげずに、黙ってしまう。


「何? やっぱり変だよ……東子ちゃん」


あずさは、お父さんやお母さんには言いにくいことなのかと、尋ねる。


「違うってば……ただ嬉しいなと思って」

「嬉しい?」

「うん……あずさちゃんに、感謝したい気分なの。
うちに来てくれて『ありがとう』って」


東子はそういうと席を立ち、自分の部屋に戻っていく。

あずさは、少し不自然な東子の様子に、一瞬このままでいいのかと振り向くが、

『ありがとう』の言葉だけは、本当に自然に出てきた気がして、姿勢を元に戻す。


「お茶を入れますね」

「滝枝さん、自分でやりますから」

「いえいえ……」


あずさが食事を続けていると、駐車場に岳の車が戻ってきた音がした。



【37-5】



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