39 親心のベクトル 【39-4】

『どこかに行かないか』


岳からの提案に、あずさは『はい』と言ったものの、

喜びが日付を変えて朝になると、なぜかまた『不安』な気持ちが芽を出し始める。

祐の墓参りの日、互いの気持ちは確認できたのだし、毎日相原家で過ごす中で、

誰かの目を気にすることなく、一緒にいたいと思う気持ちは、どんどん膨らんでいた。

まだ、あずさの一人暮らし環境が出来上がっていない以上、

二人で過ごすため、別の場所を確保するのは当然とも言える選択になる。


「宮崎さん……」


あずさを呼ぶ京子の声が、今の状態では右耳から左耳へと抜けた。

あずさの目は、カレンダーの日付だけをただ追っている。


「宮崎さん……宮崎あずささん!」


京子は手に持っていた書類を、メガホンのように丸くするとあずさの耳元でそう言った。

慌ててあずさは『はい』と現実に戻る。


「話し、聞いていました?」

「すみません……たぶん聞いていません」

「でしょうね」


京子はこの間、あずさが一生懸命に働くことを褒めすぎたかしらと、

少し嫌みな口ぶりをする。


「すみません、集中します」


あずさは目の前の書類に目を通し、この1ヶ月の流れを書き込んでいく。


「ウソよ、ウソ、ウソ……。誰だって少しくらいボーッとすることがあるわよ。
ましてや、遅番だの早番だの、シフトもコロコロ動くでしょ」


京子は仕事は素早く済ませて、休憩時間をしっかり取りましょうと宣言すると、

あずさの前を離れた。あずさは確かに言われたとおりだと思いながらも、

またカレンダーを見てしまう。『ザナーム』では入社1年目とはいえ、

条件面は『アカデミックスポーツ』を引き継いでいるので、

あずさの扱いは、すでに5、6年目の社員と同等だった。

もちろん、申請をすれば有給も取ることが可能になっている。

あずさは、自分よりも数倍忙しい岳が、休みを取れるところに合わせようと考えながら、

また書類に目を通した。





その頃、岳も同じようにスケジュールを見ていた。

もう少し空きがあるのではと思っていたが、ここのところ、

出席しなければならない印が増えている。

昨年の秋、分譲候補地として提案した『稲倉』は、

土地の競りに負けたことで『岸田』に代わり、

そのチーフは別の人間が担当しているため、関わりは少ないと思っていた。

しかし、先日の事故の件で、担当者を増やすことになり、

結局、サブとして岳が現地に何度か顔を出さなければならなくなった。

基本的な造りは終えているので、ここからさらに細かい構造部分のチェックと、

内装の業者が加わることで、人の出入りも多くなる。

『Sビル』の解体が始まったこと、埼玉に決まった『紅葉の家』との合作マンション。

そこに入ってくれることになる保育園の選択など、それぞれ担当者はいても、

提案をしたのは岳自身のため、どれからも外れることは出来なくなる。


「相原さん」

「あ……うん」


2週間、行動をともにすることとなったまどかが、そろそろ時間だと岳に話す。


「そうだな」


岳は立ち上がると、まどかを連れ『岸田』へ出発した。





「友華……」


玲子はベッドに寝ている娘に、調子はどうなのかと尋ねた。

友華は背を向けたまま、小さな声で『大丈夫』と話す。

その声は、どこかとげのあるような言い方で、向いている背中は拒絶を意味していた。


「何か食べないと」


玲子は、部屋から出てきて欲しいとそう話す。


「今は、いらない」


友華はそういうと、さらに深く布団を被った。

玲子は昨日の一件で、すっかり気分を下向きにさせた娘の背中を見ながら、

扉をゆっくりと閉めた。

玲子が、友華の部屋からお盆を持ったまま居間の前を通ると、

耕吉はテレビを消して畑に出るための支度をし始めた。

玲子は、耕吉に対し、不動産屋から『フラワーハイツ』を貸して欲しいという

別の客が来たと連絡があったのではないかと聞く。


「あぁ、らしいな」

「この後、電話を待つと……」

「そんなもの誰でもいいだろう。玲子さんが聞いてくれ」

「いえ、あの……お義父さん」


耕吉は逃げるように家を出ると、ひとり歩いていってしまう。

玲子は時計を確認すると、嫁という立場の自分が決めるわけにはいかないと思い、

部屋にいる洋平に話す。


「洋平さん、『フラワーハイツ』の入居希望の人がいるって。
不動産屋から連絡があって」

「『フラワーハイツ』? そんなもの親父だろ」

「そうなのだけれど、お義父さん、畑の方に」

「で?」

「で……って、私に決めていいって……でも……」

「いいって言うのだから、勝手に決めたらいいだろう。いちいち……」


洋平は空けておいてもしょうがないからと、誰でもいいのではと口にする。

玲子は、明らかに関わることを嫌がっている洋平の愚痴らしきつぶやきを聞きながら、

不動産屋の方でいいのならと返事をするつもりで、部屋を出た。





岳とまどかが『岸田』に着くと、事故のあった日のこどなどはるか昔と言えるくらい、

活気ある現場の雰囲気が伝わってきた。まどかはつい先日もここへ来たと話す。


「そうだったか……それはつき合わせて悪かったな」

「いえ、相原さんと来ることには、意味があると思いますので」


まどかは、泰成と違い、

岳に対して、現場全体が引き締まっている態度を見せているのが、よくわかった。

誰が力を持つ人なのか、誰の目を見ればいいのか、まわりは目の前に立つ人を意識する。

自然と周りを取り込む雰囲気が、岳には出来上がっていた。

まどかはその隣に立つ自分も、一つ高い場所からものが見られている気がして、

嬉しくなる。


「さて、現場の休憩が30分後だ。担当者との話し合いの前に、
朝原さんの特技を披露してもらおう」

「はい」


まどかはテーブルの上に書類などを置くと、上着を脱いだ岳の肩に手を置いた。

両手がしっかりと動き、また時折、首の骨を意識するような親指の押しがある。


「肩を揉むことにはコツがあります。人の骨の仕組みを理解してやるのと、
ただ、闇雲に動かすのでは効果が違います」

「……うん」

「工学部で建築の勉強をしていて、色々なものの骨組みに興味を持ちました。
その中でも人の骨って、色々と役割があります……」


まどかは、岳の肩を揉みながら、自分の学んできたことについて、熱く語った。


「人骨かぁ……」


岳自身、工学部を出ているが、そこから人骨に興味を持つことはなかったため、

まどかの話しは、それなりに得るものがある気がしてしまう。



『岳さんの首が……ちょっと動いたんです』



「この部分を押すと、必ず効果が出ます」

「必ず……」

「はい」


まどかは、肩を揉んでいる人にも、揉まれている人にも、

効率よく時間を過ごせるようにと、さらに色々と話しだす。



『岳さんは奇跡って信じないのですか』

『ダメでも……やりきって……』



「ありがとう、もういいよ」

「……はい」


岳がまどかに肩もみを頼んだ時間は、5分もないくらいだった。



【39-5】



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