42 未来の風 【42-2】

分譲マンションの棟数が決まり、『紅葉の家』のおおよその広さも決まった。

保育園は、以前から地元になじみのある園長が、

その場所に分園を出してくれることが決まる。

実際に建設開始となるのは9月になり、

一歩ずつ築いてきた会議は、そこから一気に担当者が動き始める。

敦も本社に缶詰だった忙しい時期を乗り越え、『青の家』に顔を出した。

そこでは、涼子のいない『染物教室』が行われていた。

何か話したいことがあれば、連絡を取ることも出来るのだから、

お節介はと思うものの、あれほど頑張ると言っていた染物を辞めてしまったことが、

敦にはどうしても納得出来なかった。

敦自身は家を出てから、母や千晴から、何かを言われるようなことはないが、

知らないところで、さらに気に障ることでも耳に入れたのだろうかと心配にもなる。

1月に突然の別れを告げられてから、携帯番号を回したことはなかった。

『着信拒否』などをされるのも嫌な気がしたし、涼子の気持ちを思えば、

無神経にかけることもいけないことではないかという気さえしていた。

敦は、その日も決心がつかないまま、最上階にいる庄吉のところへ向かう。

庄吉は、元気だと言いながらも、やはり以前ほど行動的ではなくなった。


「おぉ……敦」

「おじいさん、いいですよ、起き上がらなくても」

「いやいや、寝てばかりでもよくない」


庄吉はそういうと、上着を羽織る。

敦はベッドのそばに椅子を持っていくと、庄吉の手伝いをした。

梅雨真っ只中の、ジメッとした空気が、窓の外には広がっている気がしたが、

『青の家』の中は、いつ来ても、快適な温度に保たれている。


「岳のプロジェクトは、順調か」

「はい。それぞれの概要が決定したので、細かく担当者が決まり、動き出しました。
兄さんもまずはひと安心だと」

「そうか……」


庄吉は嬉しそうに頷くと、いただきものの羊羹があるはずだと敦に話す。


「僕はいいですよ」

「食べないのか」

「今は……」


庄吉は、それなら家に持って帰って欲しいと話し続ける。


「東子やあずささんが食べるだろう……女性はこういうものが好きだと聞くからね」

「わかりました。会社に戻って、兄さんに渡します」

「あぁ、そうしてくれ」


庄吉は、大き目の椅子の背もたれに、体重をかける。


「それなら、そろそろ岳に頼めるだろうか……玉子さんのお墓参りを」


庄吉は、岳の体が空いたら、玉子のお墓に手を合わせに行きたいとそう言った。

敦は、もう少し元気になってからと言うが、庄吉は首を振る。


「自分のことは自分が一番わかる。大丈夫だ、今ならまだ行ける」

「おじいさん……」

「敦……」

「はい」

「お前も、岳も、東子も、私たちの若い頃、つまり戦争時代に比べたら、
いい時代に生きていると、そう思うだろう。
でもな、世の中はいつ何が起こるかわからない。
今日と同じ明日が、必ず来るという保証は、実はどこにもないんだよ」


庄吉は、窓の外に広がる、横浜の海を見る。


「戦争から戻って、伯父の仕事を手伝い、『BEANS』が出来た。
だが、残したものを大きくしろだなんて、私は一度も思ったことがない。
岳も、敦も、自分を大切にして生きなければダメだぞ」


庄吉は、近頃、なぜだか一緒に戦争に行き、帰ってこられなかった友達のことなど、

考えてしまうと話す。


「日本はあの頃とは違う。すっかり別の国のようになった。
飛び立とうと、翼を自由に広げられる……」


庄吉はそこで、2、3度咳をする。


「おじいさん」

「敦。それでも私は……幸せな人生を送れたよ」


敦は庄吉の顔を見ながら、空にカモメが飛んでいると言い、その姿を指で追った。





「おじいさんが」

「うん。少しずつベッドでの時間が増えていると、施設長からもそう言われた。
話すことなどはまだまだしっかりしているけれど、年齢も年齢だし。
兄さんの仕事が一段落しないと、悪いと思っていたんじゃないかな。
玉子さんのお墓参りをしたいって」

「……そうか」


敦は『BEANS』に戻ると、受け取った和菓子を岳に渡し、庄吉の様子を話した。

岳は、埼玉の計画や、あずさと富田家のこと、さらに猪熊のことなどが重なり、

近頃『青の家』へ顔を出していなかったことを反省する。


「もう少し体調が戻ったらと言ったら、『今ならまだ行ける』って、そう言っていた」


敦は、庄吉は自分自身の体力が劣ってきていることなど、

全てわかっているのではないかと話す。


「小野は……」

「小野さんも近頃、あまり調子がよくないらしい。腰痛だって」


敦は、岳が難しいのなら、自分が行こうかと名乗り出る。


「いや、俺が行くべきだ」


岳は、玉子と庄吉、そして自分とあずさのことを考え、

近いうちに時間を作ると敦に約束した。



岳のところから『豆風家』のフロアに戻った敦は、デスクに荷物をおくと、

あらためて席を立った。携帯電話を握り、休憩所まで向かう。

庄吉の言葉は、岳だけではなく敦にも刺さるものがあった。

『BEANS』につぶされることなく、自分の道を歩く。

そう決めたからこその、『豆風家』への異動だった。

敦はポケットから携帯を取り出す。おせっかいだと言われたらそれでもいい。

このまま、ただ黙っているだけでは、

また行き詰ってしまうときがくるような気がしてしまう。

そう思いながらある人の番号を呼び出す。



『古賀涼子』



着信拒否なら、それが涼子の気持ちだとわかるし、

会いたくないと言われたら、電話で状況だけは教えて欲しいと頼むことが出来る。

1回の呼び出しが、2回、3回となったとき、『はい』と声が届いた。


「もしもし……」

『はい』


かけているのが誰なのか、携帯に表示されるのだから、

涼子は敦だとわかって出てくれた。敦は小さく息を吐き出す。


「敦です。ごめん、急に電話をして」

『ううん……』


涼子の声は、穏やかだった。


「また、染物教室が始まったのに、涼子ちゃんの姿がなかったからさ、
どうしたのかなと思って、ブログも急になくなっていたし」


敦は、余計なことかもしれないが、元気なのか気になったと話す。


『心配してくれて、ありがとう……あつくんに心配してもらうなんて、
なんだか申し訳ないね』

「そんなことはないよ。僕は……」


敦は、別れることになってからもずっと、同じ思いの中にいると言おうとしたが、

それは涼子に対して重すぎると思い、黙ってしまう。


『染物……辞めたの』


涼子は、2月に入り何をしていても集中できなくなったり、

一人になると急に気持ちが動揺したりするようになったと、話した。

敦は、黙ったまま聞き続ける。


『伊豆で、先生や同僚たちと、染物のことだけを考える生活が、
窮屈なのだろうって言われて、どうなのかわからないまま、
迷惑はかけられないと考えて、申し訳なくて辞めたけれど、
家に戻っても、あまり変わっていなくて……』


涼子は、何か新しいことを始めなければならないのにねと、話す。


「涼子ちゃん……」


敦は、受話器越しの話を続けていることに、自分自身が辛くなる。


「一度、会えないかな」


涼子の返事は、すぐに戻らなかった。



【42-3】



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