43 今の自分 【43-1】

庄吉が突然両手を着き、頭を下げたため、その行動に、

夏子も美佐も、どうしたのかわからず慌ててしまう。


「いや、相原さん……そんな、辞めてください」

「いえ、あずささんは何もお話しになっていないのでしょう。
実は、あずささんが東京に行くことになったのは、
私が、付き合いのある『アカデミックスポーツ』の柴田社長に、お願いしてのことでした」


庄吉は、創立記念の指揮者となったあずさを見て、玉子を思い、

相原家に来て欲しいと願ったことを話し続けた。

夏子も美佐も、初めて聞く話に、思わずあずさを見る。

あずさはその通りだと言う意味で、二人に見えるように頷いた。


「会社が大きくなることは喜ばしいことですが、それによって個人が無くなるのは、
見逃せないことです。私と息子が残していく『BEANS』に縛られ、
岳や敦が心を封じ込めてしまうのは、辛いものでした」


庄吉は、何よりも相原家が前に出てしまい、岳と敦という個人の気持ちが、

どうしても裏側に回ってしまったと話し続ける。


「株式会社なのですから、継ぎたくなければ継がなくてもいいし、
やりたくない仕事なら、しなくてもいいのです。
でも、幼い頃から二人の前には『BEANS』があった。周りからも期待され、
当たり前のように工学部に進み、どこか無表情のまま仕事をし始めた2人を見ていたら、
申し訳なくさえなりまして」


庄吉は、そんな停滞した空気を、変えてくれる風があずさだったと話す。


「あずささんが明るく、まっすぐな気持ちで孫たちとぶつかってくれたおかげで、
今、こうして私自身、『仕事をやり遂げた』という気持ちになれました。
玉子さんに長い間、励まされてきた思いを今……」


庄吉は、あずさと岳を見る。


「託すことが出来ると、思うようになりました」


庄吉の言葉を聞きながら、

岳は長い間、自分自身が積み重ねていた感情がどういうものだったのか、

あらためて気付かされた。



『BEANS』を取ったら、何が残るのか。



梨那やあずさにそう聞いていたのも、切り離せない運命に、

実は、自分自身が潰されかけていたのかもしれないと、考える。


「しかし、その私の決断で、あずささんには関係のない噂話が広まってしまって。
こちらにもご迷惑をおかけしてしまったことを、謝らなければならないと」


庄吉は自分のわがままで迷惑をかけたと、謝罪する。


「そんな……相原さん、やめてください。あずさも東京に行って、
学んだことも得たものもあるはずです。相原さん、本当に……」


夏子の言葉に、美佐は黙ったまま庄吉を見た。

大きな企業の経営者の家など、娘の相手としては不釣合いだと話すつもりだったが、

庄吉の話を聞きながら、その一言目が出せなくなる。


「ありがとうございます」


庄吉はそういうと、顔をあげる。

美佐は、自分が幼い頃も、よく玉子から庄吉の話を聞いていたことを思い出す。

『恋人同士』ではなかったけれど、長く、強く結ばれている絆が、

常に話の中に存在した。



『長い間……もしかしたら望まれていたのかもしれない』



玉子と庄吉が出会い、時を重ねている間に、昭和は平成となった。

時代が感情に追いつくときが来たとき、それが今なのかもしれないと考える。

あずさが創立記念の指揮者になったのも、玉子のように明るく前向きな性格なのも、

そして、常に冷静に物事を見られる庄吉の、同じように血を引く岳がそこにいるのも、

全ては『望まれている』からなのだろうかと思ってしまう。


「あずささんは……本当に素晴らしいお嬢さんです」


庄吉はそういうと、夏子と美佐にあらためて頭を下げ、そして玉子の仏壇の方を見る。


「玉子さん……あなたと会ったのも、こんな蒸し暑い、夏でしたね」


小野は黙ったままになり、岳は庄吉を見る。

あずさの視線が岳を捕らえていることに気付いた美佐は、小さく息を吐いた。





同じ頃、涼子に会いに行った敦は、待ち合わせの店に先に着き、外を見ていた。

空は梅雨だとわからないくらいの真っ青な状態で、日向を見るだけで、

汗がにじみそうになる。

注文したコーヒーが半分くらいになる頃、涼子が到着した。

敦に気付くと、『遅くなってごめんね』と言ってくれる。


「遅れてはいないよ。僕がはやかった」


敦は、道路が混むかもしれないと思って、早く出てきたと涼子に話す。

涼子は『アイスミルクティー』と頼むと、敦の前に座った。


「少し……痩せたね」

「うん」


涼子はそう答えると、情けないよねと頑張って笑って見せた。

敦は、以前会っていた涼子のような、はつらつさがないことが気になり、

この数ヶ月に何があったのかと尋ねた。


「まさかとは思うけれど、あの後も、うちの方から嫌がらせとかあったとか」

「ううん……そんなことはない」


涼子は、千晴が一度伊豆に来ただけで、それからは何もないと言う。


「だったら、どうして……」


敦は、そう言った後、涼子が寂しそうに下を向いたことがわかり、

あえて話を変えようとする。


「ごめん。今日はそういうつもりではなくて、
涼子ちゃんに、自分のことを話そうと思ってきたんだ」


敦は、つい、首を突っ込みたくなる感情を抑え、1枚の名刺を出す。

涼子の視線も、そこに動いた。



『株式会社 豆風家 施設管理課 相原敦』



「『豆風家』に異動したんだ。今、埼玉の方に建てるうちのマンションと、
『紅葉の家』という新しいホームや保育園の建設に携わっている」

「『紅葉の家』」

「そう……新しいホームの名前。場所が都心ではないから、
複合的に施設を建築することになった。『BEANS』にいた頃は、
あまり仕事に積極的になれなかったけれど、今は、自分のやりたかったことが出来て、
すごく充実している」


敦の言葉に、涼子は頷いていく。


「最初は、『BEANS』から外れることが嫌だと思っていた母も、僕が家を出て……」

「あつくん、家を出たの?」


涼子は、1月に聞いていた状況と、あまりにも変わっている敦の生活に、

驚きの声をあげた。


「うん……独立した。それも、最初は反対されたけれど、
でも、今はそれなりに受け入れている」


敦は、最終的に親は子供の意思を認めてくれるとそう話す。


「出来ないと思っていたことも、やったら出来たんだ。ダメだと思い込んでいたら、
そのままだったかもしれない」


涼子は敦の言葉を聞きながら、黙っている。


「ごめん……やっぱり気になるから、黙っていられない」


敦はそういうと、別れを告げられてからも、色々と考えていたと話した。



【43-2】



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