44 戸惑いのある部屋 【44-1】

引っ越しを終えた後、友華を含めた5人は、デリバリーを色々と注文し、

簡単なお祝いをした。広夢はダンボールの切れ端を丸め、

マイクの代わりにすると、自慢の歌をと言ったが、杏奈がそれを阻止し、

軽トラックを戻さないとならないのでと、先に部屋を出た。

友華もあずさに明日から一緒に通勤しようと声をかけ、道路を挟んだ家に戻る。

携帯の時計が夜の9時を差す頃には、部屋にはあずさと岳だけが残った。

テレビと洗濯機、冷蔵庫と大きな家電は揃ったが、

部屋の中にあるのはテーブルしかなく、

洋服も全て、ダンボールの中にしまわれたままになっている。


「引っ越したけれど、あまりにもものがないな」


岳は視線を動かすと、そう言った。


「仕方がないです。それだけ相原家にお世話になっていたということですから。
ベッドもタンスもあるからと言われて、東京へ来るときに、
本当に何も持ってこなかったですし」


あずさは、包み紙や食べ物の入っていた容器を入れたゴミ袋をしっかり縛ると、

台所の隅に置く。


「それでも、友華ちゃんが家にあるお皿とかもって来てくれたので、助かりました」


あずさは、借り物の皿を洗うと、広げたタオルの上に置く。

部屋に座っている岳が、携帯を見ているのがわかり、

自分はどこに座るべきかとふと考えた。テーブルを挟んだ向かい側なのか、

それともソファーで話す時のように、横に並ぶべきなのか。

答えの出せなかったあずさは、さらに布巾を洗ってみたり、

お風呂場で何やら作業をしたりと、動き続ける。

岳は、あずさの出している音を聞きながら立ち上がると、

カーテンの向こうに広がる景色を見た。

昼間、富田家に上がり耕吉を待っている時に見えたのは、

以前、広夢が話していたスーパーだった。

敷地が道路を挟んで反対側になる、この『フラワーハイツ』は、

あずさの言っていたとおり、まだまだ田舎のよさを持ち続けているように思える。

亡くなった友華の祖母、花がこのアパートを大事にしていたというのが、

こういう景色からもわかる気がした。

岳の後ろを、パタパタと歩くあずさの足音が聞こえる。

冷蔵庫を開けて、すぐに閉める音。

コップを取り出して、何かを注ぐ音。

姿を見ているわけではないのに、何をしているのか全てわかった。


「いいな……」

「エ?」


岳のつぶやきに、あずさは『何がですか』と声を出した。

カーテンを元に戻し、岳はあずさを見る。


「最初は、引っ越しをするのならオートロックだの色々と言ったけれど、
この狭さもいいものだなと」


岳は、あずさがどこにいるのか、何をしているのかが全てわかると、笑顔を見せる。


「麦茶、どうぞ」


あずさはそういうと、コップを2つ、テーブルに置きその場に座った。

今度は、あずさの方が先に場所を取ったので、窓側に立っていた岳が、

どこに座るのかを注目する。

岳は、迷うことなくあずさと向かい合うように座り、麦茶を飲む。

あずさは、やはりこの形ならそれが正解だろうと、自分もコップを持った。

岳はコップを置くと、視線をあずさに向ける。

あずさは思わずあってしまった目を慌ててそらし、この場から逃げるべきかどうか、

それを考えた。お風呂の準備はしてしまったし、台所も洗うようなものは何もない。

岳の足が動いたので、あずさは何かを思い出したように立ち上がり、

カーテンのそばに立つ。


「明日……晴れるのかな」


そう言った後、あずさは判断を誤ったのではないかと、立ち上がった岳の姿を見る。

ドラマなどでは、こういうとき無防備な背中を抱きしめるシーンがよく存在した。

あずさはそうなった時に自分はどうすればいいのかと、

とりあえず背中をカーテン側にくっつける。


「そろそろ帰るよ。戸締り、ちゃんとしておけよ」

「……はい」


岳はあずさにそう声をかけると、窓のそばにいるあずさ側ではなく玄関側に動き出した。

あずさは『ふぅ……』と息を吐き、岳を見送らなければと、その後ろに続く。


「もう一度言う。鍵をかけ忘れないように」

「はい」


岳は一度あずさを見ると、靴を履き始める。


「今日は、本当にありがとうございました。
大家さんに、一緒に挨拶もしてもらって……」


何気なく今日のお礼を言っていたあずさの前に、岳の手が伸び、

体が思わず玄関横の壁に押し付けられてしまう。

言葉の途中になったあずさの口は、少しあいた状態だったが、

岳の顔が近付くことに気付き、慌てて閉じる。

唇が重なり、目を閉じたままのあずさの頬は、岳の両手の感覚を受けたままになった。

掴み場所を探すことの出来ないあずさは、両手をただ握りしめる。

『挨拶』というより、『名残惜しさ』の見えるキスは、数秒後に終わった。


「……おやすみ」


岳の言葉が聞こえ、あずさは目を開ける。

出て行く人の背中を追い、一緒に玄関を出た。

岳が階段を下りていく背中を見ながら、これでよかったのだろうかと考えるが、

『ちょっと待って』と声をかけるのも、どこかおかしな気がして動けない。

岳は車の鍵をリモコンで開け、運転席に入ってしまう。


「岳さん……」


あずさの声は、エンジン音に消され、岳には届かなかった。

岳は運転席の窓を開ける。


「また、連絡する」

「……はい」


結局、あずさは何も言えないまま、岳を見送った。





車が見えなくなってから、あずさは階段を上がり、玄関を開けると部屋に入った。

岳に言われたとおり、しっかりと鍵をかけ、チェーンも忘れないようにする。

すると、じわじわと目に涙が浮かび、ただ悲しくなった。

岳を思う気持ちは、しっかりと持っているつもりなのに、

なぜうまく出せないのかと、自分自身が情けなくなっていく。

岳が座っていたとき、隣だろうが、前だろうがすぐに行けばよかったし、

キスのときも、空いている両手は、岳の思いに答えるため、

その体に伸ばせばよかった。

あずさは自分の未熟さに、底なし沼に落ちていくような気がしてしまう。

両膝を抱えたまま、しばらく岳の残したコップを見つめ続けた。



【44-2】



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