44 戸惑いのある部屋 【44-3】

「ほぉ、会長のねぇ」

「うん」


悟と食事に出かけた岳は、あずさがどういったいきさつで東京に来て、

暮らしているのかを大まかに話した。悟は、あずさの行動に時折声を出して笑い、

何度も頷くような仕草を見せる。


「よく笑うな、お前」

「いやいや、ごめん。変な意味ではないんだ、楽しい人だなと思うのと、
お前がそういう人を選ぶというのがさ、うん……」


悟は、今までの岳なら選ばないタイプだろうと聞き返す。


「まぁ、そうだな。だから……」


だから扱い方が難しいと言おうとして、言葉が止まる。

自分の行動に対するあずさの反応が、予想とは違うことは何度もあり、

そのたびにぶつかったり認めあったりしながらここまで来たが、

越えたはずの壁の下が、ぬかるんだ泥のような状態で、

岳は身動きが取りづらくなっていた。


「何を求めているのか、さっぱりわからないんだ」


岳は、美味しいものを食べる店に出かけても、

喜ばないのではないかとあずさのことを話す。


「何かをしてやろうかと聞くと、『大丈夫です』と戻ってくる。
借りた部屋も小さくて、何が必要なのかもわからない」

「……うん」

「毎日、今日も楽しく仕事をしたとメールを寄こすけれど、それで終わる」


岳は、そこまで話した後、悟の顔を見る。


「すごいな、その人」

「すごい?」

「あぁ……学生時代から、女がそばに来なかったことなどない相原岳に対して、
それだけ悩ませる行動が取れるのは、百戦錬磨なのかもしれないぞ」

「……は?」


悟は、それだけ岳が考えなければならない状態を作るあずさのことを、

一度見てみたいとからかいだす。


「お前に話をしたのが間違いだった」


岳はそういうと、左のこめ髪に指を置く。


「いやいや、ごめん。だって25だろ。恋愛をしたことがないはずもないし。
しばらく相手の出方を見てさ……」



『恋愛をしたことがない……』



悟の言葉に、岳は瞬間的にひっかかる。


「人生初めての一人暮らしが楽しいと思うのもわかるけれど、
一人で楽しんでいる時間はそう長くはないよ。きっと頼ってくるようになるって」


悟はそういうと、『これうまいぞ』と岳に声をかける。


「……うん」


岳は同じように箸を持ち、悟が薦めたおかずをつかむと口に入れた。





「どうしたらいいのか?」

「うん」


次の日、あずさは『ピエロ』で杏奈と待ち合わせをした。

あずさは、一人暮らしを始め、少しずつ部屋に生活感が出てきていること、

そして、どうしたらいいのかわからないところが交差していると話す。


「10日間、あの部屋に相原さんは訪れていない」

「うん……」

「向こうが会いましょうと言わないの?」

「言わない……」

「外で待ち合わせして食事でもして、で、あずさがうちへ来ませんかってならないの?」

「……ならない」


杏奈は少しだけ身を乗り出すようにする。


「カギ……渡した?」

「どこの?」

「どこのって家のに決まっているでしょう」


杏奈は鍵を渡せば、いつでも来ていい、来て欲しいというアピールになるのにと、

呆れ顔になる。


「いつでもいいって、勝手に入ってくださいってこと?」


あずさのセリフに、それまでテンポよく流れていた会話が止まる。


「バカねぇ、実際には勝手に入るわけがないでしょう。気持ちだけはそういうものだと、
あらわすだけよ。あなたは特別ですという意思表示」


杏奈は、広夢と自分だって互いの鍵を持っていると話す。


「だとしたらさ、ちょっと相談があるからとか、呼べないの?」

「相談? でも、わざわざ、相原家よりも遠くまで来てくれというのも、
疲れているだろうから、申し訳ないし……」


あずさの言葉に、杏奈はそんなことをしていたら、

始まる前に終わってしまうよと忠告する。


「始まる前に?」

「そう……空気の読めない女だと思われるって。軽い女も問題だけれど、
つかみどころがないじゃない、今のあずさ」


杏奈の言葉に、あずさはそうだろうかと心配の種が芽を出してしまう。


「わけがわからないし、何を考えているのか面倒だなって、
他の女に目移りされちゃうから。本当に枯葉から化石になるよ」


杏奈はそういうと、あずさを見る。

あずさは『化石は嫌』という意味を込めて、首を横に振った。





『アカデミックスポーツ』にいた頃、親しくしていた雅臣とは、

職場が同じだったため、仕事中に自然と約束が出来ていた。

食事はどこに行こうか、どんな場所がいいかと聞かれても、

候補にあげられる場所には限りがあり、それなりの店を出すしかなく、

互いの財布事情もわかるため、だいたい基本パターンのようなものがあった。

しかし、相手が岳だと思うと、自分自身に妙な力が入ってしまい、

あずさは『どこかに行きましょう』というセリフが出せなくなっていた。

高級ホテルなどで食事をすることになれば、マナーなどよくわかっていない自分は、

みっともないところを見せてしまうかもしれないし、連れている岳自体、

周りから笑われるかもしれないなどと、『ローストビーフ』が置いてあった、

パーティーでの戸惑いを思い出し躊躇してしまう。

電車に揺られながら、あずさは価値観の違いを指摘し心配した、美佐の言葉を思い出す。

自分は大丈夫だと胸を張ったものの、あずさは車内でバッグを握ったまま、

一人、不安な気持ちを揺らしていた。





夏を迎える『三国屋』では、春に行われた『中村流』の展示会の後、

老舗呉服店の披露会準備が進んでいた。

昨年技能賞を受賞した作家が、新作をいくつか展示することもあり、

開催前から注目のあるものになっている。

梨那もスタッフの一人として仕事に参加していたが、途中、

並べられた帯の位置が気になり、靴を脱ぐと台に上がり丁寧に直し始めた。

触れてすぐにわかるくらい、上質な糸を使った帯は、丁寧な仕事がされている。

岳との結婚が、梨那の予定通りに進んでいたなら、

この作家に着物を頼みたいと考えていた。そんな思いが気持ちの隅をよぎっていく。

突然の別れに戸惑いながらも、やはり素直に認められず、

かおるの言うとおり父親にまで出てもらったはずなのに、

残された事実は、何も変わっていない。


「青木さん」


呼ばれた声に振り返ると、そこに立っていたのは逸美だった。



【44-4】



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